story1 辛くないと仕事じゃない。ぬくぬくの秘書課に配属されたけど…
Profile
美和子さん(仮名・38歳) 既婚
職業/外資系広告代理店営業
趣味/ヨガ
住まい/東京都目黒区
人生、答えがすぐにわかることばかりじゃない
「一度始めたら、絶対に途中で投げ出したくない。やるからには、とことんやる。自分が納得するまで。それを超えて、楽しくなるまで。だから、仕事をしながらビジネススクール【※1】に通い、3年かかってもMBA【※2】取得にこだわったのも、できないことが悔しいから。今の仕事にMBAが直結するというわけではないけれど、それでもいいんです。今の最優先は妊活で、それがうまくいって、子育てがひと段落して、そのときに、きっと自分に何かしら返ってくるものだと思うから」
一生懸命やったことは、すぐに結果になるものもあるけど、後になってから、そういうことだったのかとわかったり、じんわり効いてくることもある。美和子は、MBAの最終試験勉強をしながら、そう実感していた。最後までファイナンスでは苦労したけど、苦手だからこそ克服できた喜びも大きい。ちなみに、得意だったのはマーケティングだ。
【※1】ビジネススクール/経営やビジネスに関する知識やスキルを教える教育機関のことで、経営大学院やビジネス関連講座の総称。日本におけるビジネススクールの定義は広く、経営・ビジネスに関する体系的な知識を提供する経営学修士/MBA(Master of Business Administration)の学位を授与する経営大学院のほか、企業・大学などによるビジネス講座や実務セミナーもビジネススクールと呼ばれる。海外では、経営学修士号(MBA)の学位を取得できる教育機関を一般的にはビジネススクールと呼ぶ。 【※2】MBA/「Master of Business Administration」の略で、日本では経営学修士と呼ばれる。資格ではなく「学位」であり、MBAプログラムを提供している大学院は、通称「ビジネススクール」と呼ばれており、主に社会人を対象にしている。
いちばん頑張ったアメリカでの高校生時代
美和子のこの性格の原点は、アメリカのボストン郊外の高校で過ごした2年間にある。英語ができないまま、商社マンの父の駐在にともなって入ることになった現地の一般高校。そこでは、勉強についていくのがやっと。その上、初めて経験するアジア人差別や孤立感は、16歳の美和子には大きすぎる試練だった。
「授業でも家でも必死に勉強して、深夜に父が帰ってくるのを待って、わからないところを教えてもらって、休日は家庭教師と一緒に復習して。今思っても、人生でいちばん頑張っていたときでした。何がそんなに辛かったのかもよくわからなくなるくらい、よく泣きながら勉強してました。それを応援してくれる父は頼れる存在で、しかもアメリカだけでなく世界を飛び回って大きな仕事をしている尊敬する人。いつかあんなふうになりたいって、思っていました」
2年後、家族と共に日本に帰国した美和子は、それからしばらく「燃え尽き症候群」みたいな状態だった。「いつかアメリカでまた勉強を」「世界を飛び回って仕事を」と思いつつも、周りの友人と同様に日本の大学を受験し、卒業後は中堅広告代理店に就職し、秘書課に配属になった。やりたくて、というより「流されて」そこにたどり着いたという感じだ。
外に出たい。バリバリやりたい
「それでも、何か頑張っていない自分がイヤだったので、大学では練習がいちばん厳しそうな社交ダンス部に入りました。すごい運動量で、やっている最中は満足感もあるけれど、ちょっとでもダラけている部員がいると、許せなくて。イラついて、つい厳しく注意しちゃうこともありました。
卒業と同時にダンスは辞めました。広告代理店での毎日は、残業はちょこっとで飲み会や合コンづけの生活。そしたら、半年で体重7キロ増!ですよ。デスクワークばかりで運動量が減ったということもあるし、同期でバリバリ営業頑張ってる子たちがうらやましくて、ストレスがたまっていたんだと思います。秘書課は、年配の役員ばかりで、新人の私をチヤホヤしてくれる。残業しなくていいよ、おいしいごはんに連れていってあげるよ、そんなに仕事頑張らなくていいよ…。こんな温室にいていいのかしら私。こんなに頑張らなくて、いいのかしら」
役員たちと一緒にいることが嫌だったわけじゃない。美和子をはじめ女性社員を高級レストランに連れて行ってくれるし、予約もエスコートもスマートで、見ているとさすがだなと関心する。そして、美和子の若さや仕事ぶりを、いつも褒めてくれる。ふた回り以上もの年上や既婚男性に惚れる趣味は美和子にはないけれど、同期男子とはできないこうした経験を、たっぷり楽しんでいた。
が、ひとたび同期女子との飲み会になると美和子は、「外に出たいよー」「バリバリやらせてー」と叫ぶのだった。この思いを上司にソフトに伝えてみても、「何が不満なんだ」と理解してもらえない。役員に直談判して、営業への異動が叶ったのは、それから1年後だった。もちろん、その1年間は秘書の仕事はこれまで以上に完璧にこなした。
「やるからには、とことんやる。途中で投げ出さない。それは部活でも去っていく部署でも同じです。そしてやっぱり…、辛い思いをしながらでも、泣きながらでも、頑張ることが好き。ぬるま湯が嫌い。そういう生き方しかできないけど、それでいいよね。素敵なレストランに連れてってもらえなくなるのは、惜しいけど(笑)」
環境の変化と同時に美和子が行きだしたのは、同年代ビジネスマンとの合コンだった。結婚する友人がちらほら出てきて、美和子も結婚願望が強くなっていた。けれどいざデートをしても、秘書課で出会ったダンディなおじさま役員のスマートな振る舞いに比べると、選ぶ店もエスコートの仕方も、会話の内容も、なにもかもが気にいらない。幼く見えてしまうのだ。
「今思えば、十分にいい男性もいたはずです。でも私、高飛車で口うるさくて、自分から結婚相手を逃していたんですよね。幼かったのは、私のほうでした」(次回へ続く)
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南 ゆかり
フリーエディター・ライター。『Domani』2/3月号ではワーママ10人にインタビュー。十人十色の生き方、ぜひ読んでください! ほかに、 Cancam.jpでは「インタビュー連載/ゆとり以上バリキャリ未満の女たち」、Oggi誌面では「お金に困らない女になる!」「この人に今、これが聞きたい!」など連載中。