賃貸で味わうはじめての屈辱【キャリアカウンセラー里香の場合2】 | Domani

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2018.11.24

アラフォー女子のセカンドハウス物語/賃貸で味わうはじめての屈辱【キャリアカウンセラー里香の場合2】

マイホームと別に、自分だけの「セカンドハウス」を見つけたワーキングウーマンの実録ストーリー。神戸と東京を行き来するキャリアカウンセラー里香さん(仮名)の2回目。

Text:
南 ゆかり(フリーエディター)
Tags:

story2 賃貸の屈辱からマンション購入へ

Profile
里香さん(45歳)夫・娘ひとり
職業/キャリアカウンセラー
趣味/美術館めぐり、旅行
住まい/兵庫・神戸(戸建・購入・約70坪・6LDK)
    東京・青山(分譲マンション・50平方メートル・1LDK)

○story1 できたてのマイホームにひとりきり

神戸―東京の往復生活

震災から1年半ほどたって、ようやく生活のペースが戻りつつあるタイミングで、里香は長女を出産した。その翌年から幼稚園通いも始まり、時間を持て余していたことがウソのように、やることだらけの新しい生活が始まった。

幼稚園のママたちは、医師や社長を夫にもつ専業主婦が多かった。里香が社労士の資格をもっていることを話すと、「なに、それ?」と珍しがって関心をもってくれた。ちょうど仕事を始めようと思っていたときだったので、「起業や独立のときは、私に相談してね」と軽く営業をかけてみた。すると、「試しに」という感じで、「夫がクリニックを開院するから、相談に乗ってもらえる?」と、最初のクライアントが決まった。「うちの夫も大学病院を辞めるみたいだから」と、次のクライアントも決まり、社労士としての仕事が本格的に始まった。

「開院する病院に対して、就業規則をつくったり、賃金規定を決めたり。ひとつのクライアントから月3~5万円の顧問料をいただくことにしましたが、いくらが妥当なのかその当時はわかりませんでした。ママ友、パパ友から、お医者様のクライアントが10件ほどになったとき、私自身も人を雇い、慣れないながらも個人事業主としての経営もやってみました。けれど、これがなかなか難しい。人を育てるのは苦手だし、忙しいからと従業員を増やしたら、今度は自分にお金が残らない…。勉強は好きだけど、自分のお金の管理ができない弱さを思い出しました。いや、さらに思い知りました。

それに、最初はお友達づきあいから仕事が始まっても、細かいお給料や保険料の計算が複数重なると、私の大雑把な性格が現れてくる。細かいことはいいじゃない。数字は来月に後回しでもいいじゃない。そんなふうに考える社労士、いないですよね(笑)。とても大事なことではあるけれど、私はまったく仕事を楽しめなくなってしまって。人のお給料計算はつまらない。代わりに気づいたのは、将来プランや年金のシミュレーションはすごく楽しい。今このくらい働いたら、どう年金が増えて将来の生活がどうなるか。想像を膨らませて、機械だけじゃ計算できないことを考えるのは、面白かったんです」

そこからは年金の知識をどんどんつけていって、セミナーや勉強会にも積極的に参加するようになった。関西だけでなく、年金の勉強会があれば、東京に自腹で出かけて行った。そして、いつも最前列でかぶりついて講義を聞き、その後は講師を質問攻めにして、ホテルに帰って復習をして。勉強が楽しくてたまらなかった。

娘を一緒に連れて東京に行くこともあったし、それが難しいときは、神戸の実家に預けて、なんとか育児とのやり繰りを乗り切った。夫のほうはというと、相変わらず何か意見を言うわけではないけれど、「頑張ってるね」と頭ポンポンをしてくれる。そして、東京出張の日は時間が合うかぎり空港まで車で送迎してくれる。マイホームを出て丘を下って行って、ばーっと海が開ける景色がふたりとも大好き。この場所に家がある幸せを感じる瞬間だ。多くを話すわけではないけれど、神戸の家と関空との約1時間の車内が、ふたりだけで過ごす大事な時間だった。

フリーランス、保障人なし、という賃貸物件の壁

里香がキャリアカウンセラーの資格を取得したのは、33歳のとき。いつも通っていた講演の先生から、「テレビでコメンテーターをやってみない? 仕事と年金について話せる人を探しているらしいの」と声をかけられたのは、その直後だった。

里香にとっては、小躍りしたくなるくらい、うれしいお誘いだった。張り切ってサンローランのスーツとジミーチュウのパンプスを買ってのぞんだけれど、たぶん足元は映らなかった。今でもそのパンプスはときどき、勝負靴として登場させる。里香にとっては初心を思い出す道具でもある。

東京でコメンテーターをするのと同時に、雑誌の取材が増え、執筆依頼が増え、月1回だった東京出張がやがて最初の週1回になり、週2〜3回になっていった。初めはビジネスホテルに宿泊していたけれど、やがてウイークリーマンションを使うようになった。

「そんな生活が5~6年続きました。渋谷のウイークリーマンションに荷物を置いて、打ち合わせをしてから、時間があったら一度部屋に戻って取材に出かける。拠点があるのは便利でしたけど、キャリアカウンセラーの仲間とチームで一緒に仕事をするようになったり、じっくり原稿を書いたりするのには、どうにもウイークリーマンションは落ち着かなくなって。もともと、神戸の自然豊かで風も通る場所に住んでいたから、窓が開かないホテルやウイークリーマンションは、長く居ると息が詰まってしまうんです。それに、40歳を前にして、移動の多い生活は体力的にも負担が多いと感じてきて。

キャリアカウンセラーの仲間が紹介してくれた、裏原宿にある小さなアパートを内見したとき、そのこぢんまりした雰囲気が気に入って、借りようとしました。築30年と古く30平方メートルほどの小さなスペースだけど、ショッピングや食事にも不便はないし、寂しくない。ようやくこれで、東京にセカンドハウスがもてる! 原宿生活ができる!」

とウキウキしたのはいいけれど、不動産屋さんはどうにも渋い顔をしている。聞けば、「フリーランス」「保証人がいない」ということがネックになって、審査が通らないというのだ。保証人を神戸にいる親にしたいところだが、年金生活のため、たとえ資産があっても貯金があっても、保証人としては認めてもらえない。里香自身の収入も年間1,500万円を超えていたが、交通費やテレビ出演用の服、アシスタントの人件費など必要経費を計上していたので、書類上の利益はほんのわずかだったことも、不利に働いた。

「親から譲り受けた資産だってあるし、貯金はないわけじゃない。それなのに、こんなイヤな思いをさせられて、賃貸物件のバカヤロウ! こんなことなら、買ってしまったほうがいい! 不動産屋さんの帰り道、不機嫌になりながら原宿から青山に向かって歩いていたとき、目に止まったのが、完成間近の1LDKの新築マンションでした」

4階建の低層マンションは、周囲が緑に囲まれていて、大通りから一本入っただけなのに静かでいい気が流れていた。風水的にいいらしいことは、カンでわかった。次に、里香は歩きながらスマホでハザードマップをチェック。地盤は固く、海抜も低すぎない。合格だ。あとは、空きがあるかどうか…。

「外壁に書いてあった不動産会社の電話番号にかけてみたら、1階のひと部屋だけ残っているとのこと。戸建で生まれ育った私としては1階は理想的で、値段を聞けば4,000万円だと。少し考えたけれど、親からの贈与で3,000万円はある。あとの1,000万円を自分の貯金で払えば、なんとかなる! 私にも買える!」

震災を経験した身としては、地盤の固さや何かあったときに避難できる公園が近くにあることは外せない条件だった。神戸の家が無事だったのは、まさに地盤の良さによるものだった。高層よりも地面に足が着く場所がいいのも、やはり何かあったときのことを考えて。

資金面では、相続時課税精算制度を使い、親からもらった資金に贈与税がかからないように手続きをした。自分の貯金はほぼ底をついたけれど、それがかえって仕事への意欲になるような気がした。手続きを終えた里香の足取りは軽く、新しい生活へのワクワクが止まらなかった。相変わらず、料理はしないし家計もざっくりだけれど、それでもいい。神戸では夫が食事を作ってくれるし、青山ではちょっと歩けばデリもあるしレストランにも困らない。できないことには固執しないで、できることにだけ力を注ぐ。時間を使う。それが何より幸せにつながるとわかった。里香40歳の秋のことだった。

story3 神戸と東京のデュアルライフ
へ続く

南 ゆかり

フリーエディター・ライター。10/5発売・後藤真希エッセイ『今の私は』も担当したので、よろしければそちらも読んでくださいね。CanCam.jpでは「インタビュー連載/ゆとり以上バリキャリ未満の女たち」、Oggi誌面では「お金に困らない女になる!」「この人に今、これが聞きたい!」など連載中。

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