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PEOPLE木下ココのうつくしいからだ

2017.12.05

元祖かわいい系モデルが語る、孤独な日々。【木下ココのうつくしいからだ】Part3

現在、ダンサーとしても活躍しているモデル・木下ココが、常に踊り続けるその理由とは・・・?実母であり、ダンスの師でもある母親との、幼少期からの関係を振り返り、その答えを探す。

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N.Y.で出会った画家の父とダンサーの母の間に生まれた、木下ココ。N.Y.に残った父とは、年に数回しか会うことができず、ダンス講師として生計を立て、忙しく働く母には甘えることが許されず、孤独な幼少時代を過ごした彼女。自我の芽生えと、そしてその後の、早すぎる父親の死…。

現実を受け入れると同時に、広がっていく母親との溝…。そんな中、彼女は大学に進学し、モデル活動をスタートさせる。雑誌『PINKY』時代から苦楽をともにした筆者が、彼女と知り合って13年目にして、はじめて触れた、木下ココの人生と本心とは———。

元祖かわいい系モデル・木下ココの誕生、そして・・・

大学に進学し、木下ココは、ヒップホップダンスのサークルに所属する。そして、スカウトがきっかけで、現在のモデル事務所への所属も決まった。

「そのころになると、家に帰らないことも多かったから、厳しかった母も、だんだん私をコントロールしきれなくなって、半分、あきらめモードになっていたと思う。自立心というか、早く自分で稼げるようになって家を出たい、という気持ちが強くなった時期でもあったの。

ヒップホップダンスのサークルに入ったのは、友達との遊びの延長。洋楽のカッコよさに目覚めて、踊れたらかっこいいな…みたいな軽い気持ちだったから、自分は本質的に踊りが好きだっていう自覚はまだなかった」。

高校時代から、モデル事務所からのスカウトを受けることも多かったという彼女。しかし、『学業第一』という母親のもと、事務所に入ることはなかなか許されず、結局、今の事務所に所属を決めたのは、大学3年生のときだった。

「大好きな吉川ひなのちゃんが所属しているレヴィ(現・レプロ)の人に声をかけてもらって、トントン拍子で事務所への所属が決まったの。もちろん母には言えないままで…。事務所に入りさえすれば、大学に通いながらすぐにモデルの仕事を始められると勘違いしていた私は、『仕事いつからですか?』って事務所の人に聞いて、『いや、仕事ないよ』って言われてしまって(笑)、結局アルバイトを辞められないままだったの。

その後、母に打ち明けられないまま、大学4年に上がる前に、『PINKY』のテストシューティングを受けて、専属モデルになることが決まった。素人の私が専属モデルになれるなんて、それまでの私の人生でいちばんツイてた出来事だったと思う。モデル初心者の私にとって『PINKY』は、ポージングだけじゃなく、モデルがどういうものか、そして仕事とはなんなのかを教えてもらった本当に大切な場所。たくさん迷惑をかけたのに、本当に大切に育ててもらった」。

モデルの仕事を本格的にスタートさせた彼女。ドーリーな顔立ちのせいか、モデルとして求められるのは常に“かわいい系”のキャラクター。素の自分と違うモデル像を求められることに、とまどいを感じることもあったという。

「当時の私はアングラな映画が好きで、ソフィア・コッポラの作品を好きになってからは、ガールズムービーをよく観てた。好きなカルチャーの影響で、MILKFED.やX-girl、古着をミックスしたファッションが好きだったから、仕事でいわゆるかわいい系の女子大生ルックに初めて触れて、最初は“私に着こなせるかな?”って困惑した。

でも、モデルの仕事をとおして、“人に求められること”の意味を知り、そこに自分が生きていく価値を見出していくことができるようになったの。応援してくれる人たちの期待に応えたい…っていう気持ちがだんだんと強まっていった。

と、同時によくも悪くも、子どものころ身についた“求められる自分を演じる”自分が顔を出して、求められる“木下ココ像”を懸命に演じていた部分はあるかもしれない。そうすることで、自分の居場所を保っていられる…と思っていたから」。

本格的にモデル業をスタートさせて、ある程度の収入が得られるようになったとき、彼女は実家を出ることを決心した。「23歳で、二度と戻らない覚悟で実家を出たの。母にももう会わないつもりで。まずは自分が帰る場所をつくらなきゃ…と思って、家に興味をもちはじめたのね。大きな家が欲しかったわけでも、いい暮らしがしたかったわけでもなく、自分がひとりで生きていくために、自分が心地よく過ごせる我が家がほしかった。

それなのに、自分の足で立って、自分の意志で生きていくために実家を出たはずなのに、街で見る素敵な家族を目にするたびに、喜びや寂しさを誰かと分かち合うことができない自分、誰にも頼ることが許されない自分…っていう現実ばかりが、心の中で大きくなっていった。

ひとりで生きていくことの孤独、家族がいないことの寂しさを、いろいろな場面で思い知らされるようになったの。変な話だけど、なんでもひとりでやらなきゃ…って、全部ひとりで背負いすぎていたからか、私の人生って、自分の精神的なバランスをとるのに、いつも苦労している気がする(笑)」。

二度と戻らない覚悟で飛び出した実家。———その3年後、彼女は再び母親のもとでダンスのレッスンを再開する。その心境はいかに…。

撮影:柿沼 琉(TRON)


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