だれしも経験するモヤモヤ30代を経て、40代の今はスッキリ。そんな、少しだけ先を行く先輩たちの体験談を聞きました。
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「海外に飛び出す人たちに、視野が広がる面白さを教えたい」
その想いが今、20年越しに叶いました。遠回りしても目標を見失わなくてよかった
女手ひとつで3人の娘を育てる決断をした30代
職場での撮影中、同僚と交わす流暢な英語に、帰国子女かと尋ねると、「いえ、英語オタクみたいなもので…日本で勉強して話せるようになりました」と自身の語学力を説明。ディチョックさんは現在、日本で語学を学ぶ人のための、講師や留学に関する業務を取りまとめているマネージャーだ。にこやかで柔和な印象だが、これまでの人生は、波瀾万丈という言葉がぴったり。
「大学卒業後、すぐ結婚しました。相手は、職場の英語の講師をしていたカナダ人。娘がふたり生まれたあと、教育の自由さに惹かれ、カナダに移住。その後、もうひとり娘が生まれましたが、8年ほど経って夫との間に溝ができはじめ…。意見の食い違いが決定的になったことで、離婚を決めて日本に帰国。日本なら、英語が話せることが仕事になると思ったからです。そこで、3人の娘をひとりで育てる決意をしました。ちょうど、33歳でしたね」
そんな起伏の激しかった結婚生活の裏では、キャリアに対する葛藤もあった。「カナダではほぼ主婦でしたが、キャリアに対する気持ちは消えませんでした。たまに会う友人たちを見ては、自分が乗り遅れたような気持ちになることもあったりして…。ずっとどこかで、英語を教える仕事や、日本人が海外に出ていく手助けになる仕事をしたいと思っていたのに。でも、カナダに行く前も、離婚後に帰国してからも、日本の企業で働こうと面接を受けると〝お子さんはどうするんですか?〞とか〝旦那さんはどうしているんですか?〞とか、私自身のことではなく、家族とか周囲のことばかり聞かれて。それが、8年経っても変わらないことに愕然としましたし、子供をもって働くことの難しさを2度にわたり痛感しました」
目の前の目標に対する貪欲さが結果を生んだ
帰国後、3人の娘を育てるために仕事を、と奮闘。英語力を生かして、キャリアを重ねていく。
「まず英会話教室の講師を1年。その後、大手の英会話学校では、法人営業をやってほしいと頼み込まれて。心の奥底では、〝教える仕事がしたい〞という強い思いは消えませんでしたが、引き受けました。半分は、お金のためもありましたが(笑)、次のステップにつながるかも、という気持ちも。そこで、新しいチャンスを求めて今の会社に転職。最初は法人営業の経験を生かして、建設業界などの担当営業をしました。3年ほど経験を積み重ねたころに、〝そろそろ、教える仕事につなげたいな〞と思うように。社内でワークショップに出て、レポートを作成するなどして積極的にアプローチ。そこから上司の同意を得て、法人営業との兼任という形で教育の仕事を始め、ようやく異動が叶いました。今年、マネージャーとしての試験を受けて合格し、晴れて完全に教務の仕事につくことができたんです。今後は、あの部署に行ったら楽しそう、と思ってもらえるような変革を起こしていきたいですね」
20年越しに、自身の目標を達成したディチョックさん。年齢とキャリアについては、どう感じているのか。「日本では30代半ばぐらいから、いろいろな年齢制限を感じるようになりますよね。無意識に、新しいことをはじめたり、何かにトライすることをあきらめるような風潮も。でも、私は20代は子供たちと過ごしてキャリアはまったくなかったけれど、30代からの小さな目標の積み重ねで、ようやく自分がやりたいと思っていたことにひとつ到達できました。だから、周りに振り回されずに、自分が積み重ねた経験と勘を信じて、新しいチャレンジをしてみてほしいです」
ベルリッツジャパン株式会社日本人講師プログラム(JIP)・ベルリッツ留学センターマネージャー
ディチョック 薫さん
でぃちょっく・かおる/1974年生まれ。
大学の英文科で英語を学び、23歳で国際結婚。カナダに移住するが、離婚を機に帰国し、女手ひとつで3人の娘を育てる。2017年より現職でマネージャー職につく。
Domani12月号 スッキリ40代に聞く!モヤモヤ30代の〝切り抜け方〟より
本誌構成時スタッフ:撮影/中田陽子(MAETICCO) 構成/佐藤久美子、山梨智子(本誌)