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2022.07.12

【小説Domani:第23話】永い片想い

 

【随時更新中!】本作でデビューする作家・松村まつの本格ミステリー恋愛小説。夫婦とは、家庭とは、仕事とは、愛とはーー。交錯する過去と現在さまざまな思い、守るものと手離すものの境界線がリアルに描かれる!週2回更新中。

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〈23〉

▶︎各話一覧

【登場人物】
川口圭一 (25) 大手広告代理店・東通勤務。高知県出身。コピーライター。背が高くて見た目がよく、学歴もよく、年収もよい。世にいう三高。しかし、借金がある。のんきで無責任。
小林かおり(25) 大手出版社・祥明社勤務。編集者。長野出身。シングルマザー育ちで、奨学金をもらって大学を卒業する。頼まれごとは断れない気弱な一面がある。
大宮ちか(25) かおりと圭一を引き合わせた。かおりの同期。祥明社文芸誌『トロイカ』所属。

<これまでのあらすじ>
2022年2月14日、東京・佃。銀座にほど近い高級マンションから一人の男が転落した。男の身元は大手広告代理店勤務42才の川口圭一。転落したマンションは、川口が家族4人で住んでいた。他殺か、自殺か、事故か。話は18年前の2004年10月。できちゃった結婚をした圭一と妻のかおりの長男が生まれる日までさかのぼる。

 

〈23〉

産婦人科のベッドの上で、川口かおりはぼんやりとテレビを見ていた。情報番組は、おいしそうなチリビーンズトーストとコーヒーや、丼からは魚介がはみ出した海鮮丼など、人気のランチをランキング形式で紹介していた。

三軒目は昼から飲めるうなぎ屋が紹介されている。『お昼から申し訳ありません』と破顔一笑しながらリポーターはビールをあおった。黒い漆塗りの蓋を開けると、脂の良く乗ったウナギがこれでもかと器をおおっている。リポーターのはしゃいだ声に、スタジオから『我々も食べたい!!』という叫びがかぶさる。かおりは、リモコンをテレビに向けて消した。

魚介の生ものやスパイス、コーヒー、ビールにうなぎ。妊娠してこの方、避けてきたものばかりだ。つわりのころは食べたいとも思わなかったが、つわりが落ち着いたあたりから、猛烈に食べたくなった。しかし、妊娠雑誌を読むと『あれを食べるな』『これをするな』という禁止ばかり。かおりはぐっとこらえ続けてきた。

小さいころ、大きなあざがある子は『母親が妊娠中に火事を見たからだ』とささやかれていた。子どもたちにとってあざは、はじめに理由を聞いてしまえば個性の一つでしかなかった。足が速い遅い、頭がいい悪い、お金持ち貧乏、背が高い低い、あざがあるない。そう受けいれてなんとも思わずに過ごしていたけれど、『大人になってあざを取った』と風のうわさで聞いた。他人が思うより、本人は苦しいのかもしれない。したいことや、食べたいものを我慢をするのはつらい。でも、お腹の子になにかあれば自分を一生責めるだろうと思うと、快楽よりも理性が勝った。この子の長い人生を100点満点から始めたかった。

病室には静寂が戻った。陣痛の合間のひとときの静けさだった。突然、鈍痛のような、腹を内側からフォークでひっかくような痛みが来る。習った呼吸法をする。ひいひいふう。ひいひいふう。走馬灯のように、いままでのことを思い出していた。死ぬ前に見るというけれど、死ぬ前でなくても走馬灯のように人生を振り返るんだなと思った。

――『仕事だからさ』と悪びれもせず、酔っぱらって夜遅く帰ってくる圭一。本当に仕事だったのだろうか。毎日毎日。広告代理店はそういうものだと言い張るが、それが本当なのか嘘なのかかおりには判断がつきかねた。ただ、酒を控え、食事も制限しているかおりにとって、自分の暮らしを変えようとしない圭一の態度は許せなかった。
圭一に『自分で食べた皿は洗ってくれ』と言ったところで、口先では『やる』と言いながらも携帯をいじり、いつまでたっても洗わない。見て見ぬふりをし続けたが、さすがに4日も5日も経つと根負けをしてかおりが洗ってしまう。かおりが怒ると、『ごめんなさい』と土下座をするが、結局なにも改善はしない。その繰り返しだった。

かおりは怒りを仕事にぶつけた。おかげで、情熱的な中綴じ付録企画を校了することができた。

圭一は、仕事に関しては応援してくれる。
かおりの着眼点や、ラフをよく褒めてくれた。
『いい切り口だよ。かおりさんは仕事ができるね。ボスって呼ぼうかなあ』
圭一の軽口のおかげか、仕事は楽しくできた。圭一の助言で企画が引き締まって、視点の面白いものにできた。
かおりの中綴じが載った『プチファスト』は7月末売りで、ほぼ完売で仕上がった。手ごたえも感じた。

8月末の会議の時、配られたアンケート結果。かおりの企画は2位だった。
『面白かったよ』
とかおりのことをあざ笑った藤尾が褒めてくれた。それを聞いた編集長が意外そうな顔をしたが、『たしかに、よくできてた』と、藤尾と一緒になってねぎらってくれた。

褒めた理由はすぐわかった。アンケート1位は藤尾の巻頭特集企画だった。かおりは、藤尾の嫉妬の対象ではなくなったということだ。読者にとって編集者は誰でもいい。企画はごまかしがきかない。自分の力不足が悔しかった。まだまだ足りないところだらけなのに、かおりは産休に入った。その間、経験を積み続ける藤尾と差が開いてしまう。焦りがかおりを支配するが、夫の圭一はいつも他人事だ。

男女は平等だと学校では習った。体格の差はあったが、テストの点数は平等に出る。しかし、いつごろか、『女なのにそんなに頑張ってどうするの』『女が賢いと損するよ』『女のくせに』『女なのに』と、やんわりと線を引かれていた。

ある日、圭一と寿司屋に行った。食べられないけれど、火が通った食べ物くらいは大丈夫かなと選びながら食べた。
『生ものがお嫌いなのですか』と大将に聞かれ、妊娠中とを告げた。
『ええっ!? ヒールの靴なんかはいて、危ないでしょう。うちの嫁もそういう感じで見てられませんでしたよ』と言って大将は鷹揚に笑った。たった3センチの太いヒールも駄目らしい。
『一番に子供のことを考えないと』と言われるたびに、『お前の人生は二の次だ』と引導を渡された気持ちがする。ところが、圭一は大将に『これで一人前ですね』と言われ、嬉しそうにしていた。圭一の柔らかな笑顔に、店中の客が魅了されていた。かおりへの羨望のまなざしを感じた。しかし、かおりは心中穏やかでない。

なんだよこの差は。圭一のどこが一人前なんだよ。皿すらも洗わないのに。自分のことすらきちんとできないのに。これが『女』の人生なら、『女』なんて、完全な損クジじゃないか。いままで何のために勉強して、仕事してきたのだろう。大切にされているのはわかるが、『求めていないいたわり』は苦痛なだけだった。よい母でいろ。よい妻でいろ。選択肢なく苗字を変えたあの日から、かおりは一人の人間ではなくなったような気がしている。『男だから』『女だから』と性別を理由に不満を抱くのは嫌いだったが、いつのまにか社会の呪いがかおりをがんじがらめにする。ことあるごとに、『あの寿司屋へ行こう』と圭一は言うが、かおりは二度と行きたくなかった。

また猛烈な痛みが来る。気絶しそうだ。酸素の行き足りていない脳で痛みに耐える。圭一は『仕事だから。まだ抜けられない』と言う。時々来る看護師さんは『まだまだかなあ』とのんきな態度だった。日々、同じように痛みに耐える妊婦を見ていると、なんとも思わなくなるのだろう。その時、同期の大宮ちかが見舞いに来てくれた。東京で産むと言うと、ちかは付き添いを申し出た。
『断らないで。かおりはわたしに迷惑かけたくないだろうけど、取材に協力するとでも思って付き添わせて』
と強引に来てくれた。

母とは結婚式以来、連絡を取らなくなった。圭一の態度を見るにつけ、『すべてにおいてだらしない』と見破った母の言う通りだったと実感する。私が間違っていた。母の言うことを聞けばよかった。もうろうとする意識が思考力を奪う。

携帯が鳴った。モニターを見る。圭一の母だった。
『かおりさあん、もう産まれたかしらあ』
『お義母さん……まだ……です。産まれたら連絡しますので……』
『あらあ、待ち遠しくてねえ』
間延びした声が、高知ののどかな空気を思い出させた。もう、何度もかかってきている。痛みで気が遠くなりかけた時、電話が切れていることに気が付いた。頼むから、息子に電話してほしい。

結婚してわかったが、圭一は親のメールに返事をしない。電話にも出ない。高知の両親からしたら、体のいい見張りがついたと思っているようで、連絡はいつもかおりに来た。そのたびに、圭一に確認をして、また高知へ返事をする。高知の両親は圭一をまったくコントロールできていなかった。圭一のことを身勝手でのんきな男だと思っていたが、それに輪をかけてのんきな両親だった。悪気がないことだけが救いだった。

かおりは、つい、その正直さで居留守を使うことができない。どんなに出たくなくても、責任感から電話に出てしまう。
大宮ちかは
「性格だよねえ」
ため息をつき、
「いまは電話に出なくていい」
とかおりの携帯を強引に預かった。そして、スポーツドリンクやマッサージグッズを手に、かいがいしくかおりの世話をしてくれた。
圭一と出会ってから、ちかがいつも心配して寄り添ってくれた。ちかがいなければ、圭一とも出会わずに済んだけれど、ちかがいてくれてよかったと思った。自分も、ちかのような人間でありたい。この苦しみや悔しさは私一人でいい。ほかの人には味わわせたくない。もっと強くなりたい。

やがて、痛みが小刻みになり、腹痛のような腹を下したような感覚がしてきた。トイレに行くと、バシャっと水が出た。驚いてナースコールを押すと、分娩室へ運ばれた。

何度かいきんだ後、ずるりとなにかが体から滑り出る感覚がした。胸の上に、赤黒い生き物が乗った。『元気な男の子ですよ』。看護師さんは、いままでテレビで何度も見た定型文を口にした。もっと感動するものだと思ったが、痛みと苦しみ、不安から解放された安堵のほうが大きい。

もうこの子を産まなくていい。

マラソンを走り終えたようだった。ちかは涙を浮かべて写真を撮っていた。陣痛が始まってから、30時間が経過していた。

ちかが圭一に連絡をすると、すぐに圭一がやってきた。処置が終わり、病室に戻ったところだった。

「落ち着いたら、会ってほしい人がいるんだ」

ちかはそう言い残して、圭一と入れ替わりに帰っていった。

圭一は、赤子と同じくらいの重さのテディベアを手にしてやってきた。
看護師さんから赤子を受け取ると、感極まって涙を流した。看護師さんは圭一のすらりとした体躯や切れ長目で微笑む様子を見ていた。

「パパに似てますね。とってもスタイルがよくてかっこいい男の子ですよ」

言葉の狭間に妙な熱っぽさを感じた。圭一はそれに気づいていないふりをして、えくぼが浮かび上がるように飛びきりの笑顔を返した。圭一はいつでも魅力的で、何も知らない人が見たらかおりはすてきな圭一に選ばれたラッキーガールに見える。しかし、かおりは冷めた気持ちで見ていた。

圭一は赤子をかおりに戻すと、おもむろにPCを取り出し画面を見せた。パワーポイントファイルに文字が表示される。

『K・E・N・T・A』

画面に次々とアルファベットが表示され、文字が切り替わり、『けんた』から『健太』と表示された。

「この子の名前は健太で行きましょう」

満面の笑顔でかおりにプレゼンをしてくる圭一。30時間の激闘の末、赤子を産んだかおりに、考える力は残されていなかった。たまらずに目を閉じると、そのまま眠りに落ちた。

眠ったかおりの隣で、圭一は携帯をいじっていた。すると着信があり、青い顔をして病室を飛び出していった。

作家 松村まつ

東京都内に勤務する会社員。本作がはじめての執筆。趣味は読書と旅行と料理。得意料理はプーレ・ロティ。感動した建物はメキシコのトゥラルパンの礼拝堂とイランのナスィーロル・モルク・モスク。好きな町はウィーン。50か国を訪問。

 

 

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