「酸いも甘いも噛み分ける」という意味で使わない
酸いも甘いも噛み分けるの意味は、人生経験が豊富で人の心の機微や世間の事情に通じていることです。つまり、世の中の裏表問わずいろいろなことを経験してきて知っていること。
一方で清濁併せ呑むは、すべてを区別せず受け入れるという意味であり、本人が善悪を問わない経験をしているかは問いません。似ているようでいて、酸いも甘いも噛み分けるというニュアンスで使うと誤りになります。
リーダーや政治家の器を表現
清濁併せ呑むは、善悪別け隔てなく受け入れる度量の広さを褒める言葉です。そのため、リーダーや政治家など人の上に立つ人物に対して使う機会が多いはずです。
清濁併せ呑むことができる人は、自分の価値観や考え方にこだわらず、自分とは異なる意見も積極的に取り入れ、より良い答えを導き出します。さらに、課せられた大きな目標を達成するために、時として意に反することや理不尽に感じることも乗り越えるぶれない姿勢も持っています。このようなリーダーにふさわしい器の人物を、清濁併せ呑む人物と褒めることができます。
清濁併せ呑むを使った例文・会話例
清濁併せ呑むを使った例文・会話例は次のとおりです。
【例文】
・人の上に立つ人物には、清濁併せ呑む心が必要だ。
・清濁併せ呑むことができてはじめて、その問題を解決できるようになるだろう。
【会話文】
「自分なりに事を進めてきたつもりだが、足並みが揃わない部下も少なくない。どうしたら良いだろうか」
「君の言っていることは正しいが、もう少し柔軟に、清濁併せ呑む姿勢が必要だと感じるよ」
「清濁併せ呑む」の類語・対義語
清濁併せ呑むの類語には、「来る者拒まず」や「懐が深い」などがあります。いずれも広い心をもち、多くのものを受け入れるといった意味です。対義語として挙げられるのは、善悪を分け悪を排除する「勧善懲悪」です。善悪の区別なく受け入れる清濁併せ呑むとは対象的な意味といえるでしょう。
ここからは、清濁併せ呑むの類語と対義語について、それぞれ解説していきます。
類語は「来る者拒まず」「懐が深い」など
清濁併せ呑むの類語には「来る者拒まず」、「懐が深い」など、器の大きさを表す言葉が多数あります。来る者拒まずとは、自分のところに来る人はどんな人でも受け入れること。そして、懐が深いとは、心が広く相手を受け入れるさまを表します。
清濁併せ呑むには「濁」というネガティブな要素も用いられているのに対し、いずれも触れていない点に注目しましょう。
対義語は善悪を分け悪を排除する「勧善懲悪」
清濁併せ呑むの対義語には、善を奨励して悪を懲らしめる勧善懲悪が挙げられます。正義を絶対的なものとして掲げる主人公が、誰が見ても悪人という人物を成敗するストーリーは、時代劇では定番でしょう。
善悪を分けて悪を排除するというスタンスは、善悪を区別せず公平に受け入れる「清濁併せ呑む」とは真逆にあるといえます。
▼あわせて読みたい
「清濁併せ呑む」を正しく使って相手を褒めよう
清濁併せ呑むとは、器が大きく善悪問わずすべてのものを受け入れることを意味する言葉です。よくある間違いとして、清濁併せ持つの意味との混同が挙げられます。意味が異なるので、きちんと使い分けることが必要です。
清濁併せ呑むは肯定的な言葉であるため、器の大きいリーダーに対して褒め言葉として使うことができます。ぜひ覚えておきましょう。
▼あわせて読みたい