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「清濁併せ呑む」とは善悪の区別なく受け入れること
【清濁併せ呑む:せいだくあわせのむ】
心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる。度量の大きいことのたとえ。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
清濁併せ呑むの読み方は「せいだくあわせのむ」です。器が大きく、善悪関係なく受け入れることのたとえです。
正しいものや良いもの、綺麗なものだけを受け入れるのではなく、悪とされるものも公平に受け入れる、度量の大きさを表します。会話や文章の中で使えると、さりげなく知性を感じさせることができるかもしれません。
清濁併せ呑むということわざの由来は、清らかな流れも濁った流れも受け入れる大海です。語源は『史記』にある記述とされています。ここからは、清濁併せ呑むという言葉の由来と語源について解説します。
清流も濁流も受け入れる大海が由来
清濁併せ呑むの由来は、どんな水をも受け入れる海です。川の底が見えるほどの透明度を誇る清流も、泥川の濁流もありますが、海は水が綺麗か否かで選別することはありません。どんなに濁っている水でも受け入れます。
清濁併せ呑むという言葉は、このように清らかな水と濁った水を区別せずにすべてを受け入れる大海が由来となっています。情景をイメージしやすい、美しい表現です。
語源は『史記』にある記述
清濁併せ呑むの出典については諸説ありますが、中国の前漢時代の歴史書の『史記』であるとされています。『史記』の中に「法令は治の具にして制治清濁の源に非ず」という記述があります。
意味は「法令はあくまでも統治のためのものである。決して清濁を裁く物ではない」というもの。この文章が、清濁併せ呑むの語源であるという説が有力です。
「清濁併せ呑む」を使う際には誤用に注意
清濁併せ呑むを「善悪の両方を併せ持っている」という意味で使うのは間違いです。誤解に気づかず意味を捉えたり、使用することのないように注意しましょう。
ここからは、誤用例として見られる「清濁併せ持つ」や「酸いも甘いも噛み分ける」との違いを解説します。
「清濁併せ持つ」ではない
清濁併せ呑むは、清濁併せ持つという意味では使いません。最後の二文字が異なるだけですが、両者の意味は大きく異なります。
清濁併せ持つとは、その人物が善と悪の面を両方持っていることを意味します。それに対して、清濁併せ呑むとは善悪の区別なく公平に受け入れるという意味ですので、まったく違う言葉になります。誤用しないように注意しましょう。