「二束三文」とは数が多くても値段が安いこと
「二束三文」は「にそくさんもん」と読み、数が多くても値段がとても安く、値打ちがないことをあらわす言葉です。
商売などにおいて、「そんなの二束三文にしかならない」というように使われます。売値が安いため利益にならないという意味です。
このように、ネガティブな意味で使われることが多い言葉といえるでしょう。そのため、ビジネスシーンで使う場合には注意が必要です。
「二束三文」の意味について、辞書にどのように記載されているかを確認してみましょう。
【二束三文/二足三文:にそくさんもん】
数量が多くても、値段がごく安いこと。また、ひどく安い値段。「―で売り払う」
〔補説〕2たばでわずか3文の値である意で、金剛草履の値段から出た語という。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「金剛草履」の値段が由来という説
「二束三文」は江戸時代初期の金剛草履の値段から来ているという説があります。「金剛草履」とは、藁(わら)などで編んだ大きくて丈夫な草履のことです。二束を二足と書くことがあるという理由で、「金剛草履」の値段が二足で三文だったともいわれます。
二足と二束のうち、先に使われていたのがどちらで、なぜ最終的に二束になったのか詳細については明らかになっていません。
いずれにしても三文は安物の値段をあらわす言葉です。ただし「金剛草履」が三文で売られていたとするのは若干無理があり、「金剛草履」を由来とする説はやや信憑性に欠けるようです。
「二束売っても三文にしかならない」が由来とする説
二束は前述したとおり二足から変化した説のほか、二足ではなく二束(ふたたば)をあらわすという解釈もあります。「二束(たば)売っても三文にしかならない物」とする説です。
「束」は、大昔の日本で稲の穂を数える際に使われていた単位です。また、100の数字をあらわす単位でもあります。そのため、実は200もの物が三文の値段という意味だとする説もあるようです。
三文は現代では100円前後に相当する金額だと考えられています。江戸時代に十六文で売られていた蕎麦(そば)の価格が現在では400円相当とすると、一文はおおよそ25円です。25円(一文あたり)×3=75円ということで、100円前後であるという考え方に基づいています。
三文は「三文小説」や「三文芝居」という言葉からわかるように、安いもののたとえとしても使われていました。
【例文付き】「二束三文」の使い方
「二束三文」はたくさんあるにもかかわらず、値段がとても安くて価値がないことをあらわす言葉です。そのため、商売や買い物のシーンで使われることが多いでしょう。例文をご紹介しますので、実際の使い方を確認してみてください。
【例文】
・【二束三文】にしかならない商売を続けていくのはやめた方がよい。
・【二束三文】でしか売れないため、意味があるのかと思ってしまう。
ビジネスシーンでは使い方に注意
「この品物、偶然二束三文で買えた!」というように、「二束三文」は買い手としてはお得感を感じられる表現だといえます。しかし売り手側からすると、数はたくさんあるが安く、ほとんど利益がないものを売っているというニュアンスがあり、あまり好ましくないでしょう。
そもそも「二束三文」は安い、粗悪なものというイメージがつきまとう言葉です。そのためビジネスシーンで使う場合は、取引先の企業に配慮して使うべき言葉といえるでしょう。