「二束三文にもならない」はさらに悪い状況
「二束三文にもならない」とは、「二束三文」よりもさらに悪い状況であることを表現する言葉です。「二束三文」自体、値段がとても安くて価値がないことをあらわしており、「二束三文にもならない」とはその金額にも至らないという意味になるためです。
「二束三文」よりもさらに安く、ほとんどなんの価値もないことをあらわしていると理解しましょう。「ただ同然」と言い換えることもできるかもしれません。
「二束三文にもならない」という表現は、次のように使います。
【例文】
・どうせ【二束三文】にもならないだろうから、そのまま放っておくことにした。
・【二束三文】にもならない商売をしたところで、時間と労力の無駄だ。
「二束三文」の類語・対義語
「二束三文」には、類語と対義語がいくつかあります。
類語には「粗悪品」「捨て値」、対義語には「高値」があります。「粗悪品」は粗末で質が悪いもの、「捨て値」は損を承知でつけるくらい安い値段に対して使われ、「高値」はそのまま、高い値段を指す言葉です。
ここからは「二束三文」の類語と対義語について、意味や使い方を解説していきます。
類語は「粗悪品」「捨て値」
「粗悪品」は粗末で質の悪い品という意味の言葉です。すぐに壊れて使えなくなるようなイメージの物であり、当然値段も安いと思われる品物を指します。単なる安物よりもさらに悪い印象を与える言葉といえるでしょう。どんなに安くても、「粗悪品」を好んで買う人はいないはずです。
「二束三文」で売られている物がすべて「粗悪品」ということではないので、両者のニュアンスの違いに注意が必要です。聞いたことがないようなメーカーの安い電化製品などを、つい衝動買いしたらすぐに壊れてしまったような状況で「粗悪品を掴まされた」といった使い方をします。
「捨て値」とは、「捨て売りの値段」で損を承知でつける安い値段のことです。閉店セールなどでたびたび見られる光景といえるでしょう。利益度外視で安いという点では通じるところがありますが、「捨て値」には「数多くある」という意味はありません。
対義語は「高値」
「高値」とは、高い値段であることを意味する言葉です。株の取引などで「高値」という言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。「高値」はネガティブな意味だけではなくポジティブなニュアンスでも使われる言葉です。
「高値」と一口に言っても、品質がよいから値段が高いのか、これといった理由がなく高いのかは物によります。品質までは言及していないという点に留意しましょう。
「二束三文」の意味や由来を理解しよう
「二束三文」は数が多いにもかかわらず値段が安く、あまり価値がないことのたとえです。言葉の由来については、二束(たば)で三文だったものからきている、あるいは「金剛草履」が二足で三文だったなど、いくつかの説があります。
ややネガティブな印象を与えるため、ビジネスシーンで使う際には注意しましょう。ただし、以前から欲しかったものを「二束三文」で買い叩けたという使い方もします。状況に応じて、適切な言葉選びをしたいものですね。
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