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「行雲流水」の意味や読み方
「行雲流水」はよく見る漢字で構成されていますが、読み方はわかりますか?「ぎょううんりゅうすい」ではありません。
読み方
正しい読み方は「こううんりゅうすい」です。
意味
「行雲流水」という言葉は、「行く雲」と「流れる水」で成り立っています。逆らうことなく、雲や水が流れていく自然の情景が思い浮かんだ方も多いのではないでしょうか。「行雲流水」の意味は下記の通りです。
こううん‐りゅうすい〔カウウンリウスイ〕【行雲流水】
空を行く雲と流れる水。物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえ。
『デジタル大辞泉』(大辞泉)より引用
「行雲流水」は物事に拘らず、自然の成り行きに任せて生きる様子を描写する時にも使われます。日々の喧騒から離れ、リラックスできる落ち着いた生活は、まさに「行雲流水」な生き方といえるでしょう。
語源は中国の書物「謝民師推官与書」
「行雲流水」は中国から伝わってきた四字熟語です。この言葉は、11世紀後半の北宋で活躍した、作詞家である蘇軾(そしょく)が残した『謝民師推官与書(しゃんみんしすいかんにあたうるのしょ)』で確認されています。この書物の中で、蘇軾は文を成す極意として「行雲流水」を語っています。つまり、文章には始めから決められた形はなく、自然の成り行きにまかせ、心の思うままに筆を走らせていくことで、良い文章が生まれるということです。
「行雲流水」の類語は「虚心坦懐」「雲煙過眼」「天衣無縫」
「行雲流水」の類語として、3つの言葉を紹介します。
どの言葉も「行雲流水」と共通した意味を持ち、自然でありのままの状態や、執着心や先入観を持たない状態を表します。
「虚心坦懐」とは先入観を持たないこと
「虚心坦懐」とは、心にわだかまりや先入観を持たずに、平静にさっぱりした気持ちで何かに取り組むこと、またはその姿を意味します。「虚心坦懐」はビジネスの場において、わだかまりや先入観なく臨む気持ちを表明する際に用いられることも。普段の生活の中では、あまり出会うことが少ない言葉かもしれません。
きょしん‐たんかい〔‐タンクワイ〕【虚心×坦懐】
[名・形動]何のわだかまりもないすなおな心で、物事にのぞむこと。また、そのさま。
『デジタル大辞泉』(大辞泉)より引用
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「雲煙過眼」とは物事に執着しないこと
「雲煙過眼」の意味は、物事に深く心を留めることなく、執着心を持たないことです。漢字の構成は、雲とかすみを意味する「雲煙」と、目の前を通り過ぎていくことを表す「過眼」が組み合わさって出来ています。「雲煙過眼」は主に人の精神状態を指す言葉として使われ、執着心に囚われずに精神が安定している状態を指します。
うんえん‐かがん〔‐クワガン〕【雲煙過眼】
《蘇軾「宝絵堂記」から》雲や煙がたちまち過ぎ去ってしまうように、物事を長く心に留めないこと。物事に執着しないこと。
『デジタル大辞泉』(大辞泉)より引用
「天衣無縫」とはありのままで自然なこと
「天衣無縫」は人の性格が自然で無邪気な様子や、詩や文章が自然でありながら美しい様子を表します。どちらの場合の美しさも、作られたものでなく自然な美しさであることが共通しています。また、「天衣無縫」は外部の視線を気にしすぎず、自分のありのままの姿で勝負するという意味で、座右の銘としてもよく挙げられる言葉です。
てんい‐むほう【天衣無縫】[名・形動]《「霊怪録」による》
1 天人の衣服には縫い目のあとがないこと。転じて、詩や文章などに、技巧のあとが見えず自然であって、しかも完全無欠で美しいこと。また、そのさま。「天衣無縫な(の)傑作」
2 天真爛漫てんしんらんまんなこと。また、そのさま。「天衣無縫に振る舞う」
3 ⇒九連宝灯(チューレンパオトウ)
『デジタル大辞泉』(大辞泉)より引用