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「只管」の読み方や意味は?
最初にクイズです。「只管」はなんと読むでしょう?
読み方を知れば、「知っている」「使ったことがある」という方が多いかも知れません。
正解は……
「ひたすら」です。一筋にそのことだけを行うという意味があります。通常はひらがなで 表記することが多く、漢字は初めて見たという方もいるでしょう。
【只管】
一[形動][文][ナリ]そのことだけに意を用いるさま。もっぱらそれだけを行うさま。「—な思い」「—に弁解する」
二[副]
1 ひとすじに。いちずに。「—研究にいそしむ」「—無事を祈る」
2 まったく。すっかり。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「只管」には、「まったく」「すっかり」など、完全にその状態である様子を示す意味合いもあります。
ここでは、「只管」の意味や言葉の由来についてご紹介しましょう。
「只管」の2つの意味
「只管」は一途にそのことだけに意識を向け、打ち込む様子を表しています。「只」は訓読みで「ただ」音読みで「し」と読み、「そのことだけをする」という意味です。
管は訓読みで「くだ」音読みで「かん」と読み、細長い円筒形で中が空洞になっているものを指します。中身が何もない状態が、ひとつのことだけを貫くという意味合いにつながるといえるでしょう。
由来は「只管打坐」
「只管」の語源は曹洞宗(そうとうしゅう)を開祖した道元(どうげん)が説いた「只管打坐(しかんたざ)」にあるとされています。「打坐」は座ること、座禅をすることを意味し、「只管打坐」は「ただひたすら座禅をし続ける」という意味です。
座禅を主な修行法とする禅宗は曹洞宗のほかに臨済宗(りんざいしゅう)と黄檗宗(おうばくしゅう)がありますが、曹洞宗の行う「只管打坐」はほかの宗派とは異なります。
曹洞宗の教え
臨済宗では「公案」という課題について禅問答しながら座禅をするのに対し、曹洞宗の場合はそのような課題を解くなどの目的を持ちません。悟りという目的すら持たず、坐禅をする理由も問わずにただひたすらに坐禅を行います。それが「只管打坐」です。
道元は「只管打坐」により身体と心の束縛から離れる「身心脱落」という境地に至り、悟りを得たとされています。
「只管打坐」の座禅は禅堂に座ることだけを意味するのではなく、日常生活そのものというのが道元の教えです。食べること、眠ることにおいてもただひたすらに集中することが悟りに至る修行になるとされています。
「只管」の使い方
「只管」には形容動詞と副詞があり、それぞれ使い方が異なります。形容動詞では、「只管な願い」「只管に仕事をする」という形で使い、「そのことだけに集中する」「そのことだけを行う」といった意味合いです。
副詞の場合は、「一途に」「一筋に」といった意味で使い、「只管に無事を祈る」「只管に勉強する」という使い方をします。
「只管朗読」という使い方もある
「只管」を使った「只管朗読(しかんろうどく)」という言葉もあります。英語の勉強法のひとつで、同じ英文を500回から1000回ほど、ただひたすら音読するというものです。
「只管朗読」により、「読む」「聞く」「書く」「話す」というすべての英語力が高められるとされています。
教科書さえあればできる勉強法で、お金がかかりません。繰り返し音読するだけの簡単な方法で、場所を選ばずいつでもできるのもメリットです。
「只管朗読」は、目的を持たずただひたすら座禅する「只管打坐」と同じく、英文を覚えようとせずひたすら音読し続けることで英語の力が身につく勉強法とされています。
「只管」の例文
「只管」の意味を正しく理解するため、いくつか例文をご紹介します。
【例文】
・希望の大学に合格するため、彼は【只管】勉強に励んでいる。
・彼女は【只管】に、夫の無事を祈り続けていた。
・言われた通りの道を【只管】歩き続けていたら、目的地に着くことができた。
・仕事で大きなミスをしてしまった彼は、【只管】に謝り続けた。
「只管」の類語
「只管」には、よく似た意味を持つ言葉があります。「一途」や「専心」、「一心不乱」などは、どれもひとつのことに集中するという意味で「只管」と共通する言葉です。「ひたむき」や「もっぱら」も類語といえます。「只管」と一緒に覚えておけば言い換えるときなどに便利であり、表現や言葉の幅が広がるでしょう。
ここでは、「只管」の類語について詳しくご紹介します。