「月次」の意味3つ
「月次」には「げつじ」と「つきなみ」の2つの読み方があります。2つに共通して「毎月おこなわれること」という意味がありますが、「つきなみ」と読む際には「ありふれていて平凡なこと」という意味も含みます。
そのほか、月の移り変わりや「月並俳句」の略としても用いられる言葉です。読み方によって含まれる意味が異なるため、違いに注意する必要があるでしょう。それぞれの意味について解説していきます。
【月次:げつじ】1 毎月。月例。つきなみ。「月次報告」2 《「次」は宿りの意》月の、天空における位置。
【月並/月次:つきなみ】[名]1 毎月きまって行われること。月に一度ずつあること。毎月。月ごと。「―の会」2 「月並俳句」の略。3 「月次の祭」の略。4 十二の月の順序。月の移り変わり。「なみ」を「波」に掛けて、歌語として用いられる。「水のおもに照る―を数ふれば今宵ぞ秋のもなかなりける」〈拾遺・秋〉[名・形動]新鮮みがなく、ありふれていて平凡なこと。また、そのさま。「―な表現」「発想が―だ」「そんな―を食いにわざわざここ迄来やしないと」〈漱石・吾輩は猫である〉
(引用すべて〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
毎月決まっておこなわれること
「げつじ」、「つきなみ」のいずれの読み方においても、「毎月おこなわれること」や「毎月」の意味があります。企業活動における「月次決算」や「月次報告」という言葉を聞いたことがある人も少なくないでしょう。それぞれ月に1度おこなわれる業務の名称です。
また毎月開催される会合や催しを「月次の会」と呼ぶこともあります。この場合は「つきなみのかい」と読むことに注意しましょう。
ありふれていて平凡なこと
「月次」を「つきなみ」と読むケースでは、前述した毎月決まっておこなわれることの意味のほかに、新鮮味がなく平凡な様子を意味することもあります。否定的なニュアンスをもつことに注意しましょう。「月次」ではなく「月並」と書くことも多いです。
これからする自分のコメントに対し、謙遜しながら前置きとして「月次な表現ですが」と一言添える使い方は、一般的によく使われています。あまりひねりのない、よくある内容であっても丁寧な印象を与えることができるでしょう。
「ありきたり」の意味は正岡子規の用法に由来
それまで毎月といった意味で使われていた「月次」が、平凡でよくあるものという意味を含むようになったのは、俳人であった正岡子規の用法がきっかけといわれています。
正岡子規は、明治中期まで続いた「月並句会(つきなみくあわせ)」という句会でつくられる俳句を、「月並調」と呼んで批判しました。これが現在、「月次」が「平凡でどこにでもある、陳腐」といったネガティブな意味で使われることになった始まりのようです。
月の移り変わりや「月並俳句」の略の意味も
「月次」は、「毎月、月ごと」あるいは「平凡な」といった意味で使われることが多いですが、月の移り変わりをあらわす意味でも使われる言葉です。つきなみの「なみ」に波をかけ、和歌を詠む際の歌語としても用いられます。
そのほか、正岡子規がありきたりであると批判した、月並俳句の略称としても使われます。
「月次」の類語3つ
「月次」にはいくつかの類語があります。ここでは、次の3つの類語をご紹介します。
1.月例
2.凡庸
3.有り触れた
「月例」は、月次の意味の1つである「毎月の、月ごとの」と同じ意味の言葉です。「凡庸」と「有り触れた」には、「月例」を「つきなみ」と読むときに含まれるニュアンスに似た意味があります。1つずつ解説していきますので、使い方も合わせて確認してください。
月例(げつれい)
「月次」の類語として、「月例」が挙げられます。「月例」は「げつれい」と読み、毎月定期的におこなわれることという意味の言葉です。
塾などで開催される「月例テスト」、会社で開かれる「月例会議」、趣味サークルでの「月例の集会」というように広く使われます。「月次」の、毎月あるいは毎月決まっておこなうものという意味に似た意味といえます。
凡庸(ぼんよう)
「凡庸」は「ぼんよう」と読み、平均的な、特に目立った特徴がないものに対して使う言葉です。「凡庸なありさま」「凡庸な思考」などと使います。「月次」をつきなみと読む場合に含まれる、平凡でありふれたさまをあらわす意味とほぼ同じです。
オールマイティに活用できるという意味の「汎用」と似ていますが、こちらの読み方は「はんよう」であり、意味も異なるため間違えないように注意しましょう。