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2022.03.15

【小説Domani:第7話】永い片想い

【随時更新中!】本作でデビューする作家・松村まつが描く40代ワーキングマザーの生きる道。夫婦とは、家庭とは、仕事とは、愛とはーー。守るものと手離すものの境界線がリアルに描かれたミステリー恋愛小説。週2回更新中。

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【目次】

〈7〉

▶︎各話一覧

【登場人物】
川口圭一 (24) 大手広告代理店・東通勤務。コピーライター。
小林かおり(24) 大手出版社・祥明社のティーンズ誌『プチファスト』編集者。
遠藤敦士(26)橋の設計をする新進気鋭の建築家。

<これまでのあらすじ>
2022年2月14日、東京・佃。銀座にほど近い高級マンションから一人の男が転落した。男の身元は大手広告代理店勤務42才の川口圭一。転落したマンションは、川口が家族4人で住んでいた。他殺か、自殺か、事故か。話は18年前の2004年1月。圭一と妻のかおりの出会いへさかのぼる。

 

扉が開く音を聞いて、遠藤敦士は両手で包んでいた小林かおりの手を離した。
扉から出てきた川口圭一は、遠藤とかおりを見ている。

かおりはバックからカードケースを出した。初任給で買ったコーチのカードケースは明るいブルーで、ぱっと人目をひく。かおりは一枚、名刺を取り出した。
「渡しそびれてました。小林です」
遠藤に向けて名刺を差し出す。
「撮影によさそうな橋とか、おすすめの橋があれば知りたいです。できれば個人所有とかで撮影許可の取りやすいところ」
「仕事熱心ですね」

「編集長なりたいんです」冗談めかして言ったが、編集長はかおりの夢だった。

「……いい橋、知ってますよ。メールしますね」
「ぜひ。じゃあ、帰ります」

かおりは遠藤と川口圭一の方に顔を向け、軽く会釈をした。
その時、川口圭一が右手を挙げてタクシーを止めた。

「よかったらタクシー相乗りしませんか。家はどこですか」
圭一がかおりに話しかけた。かおりが返事に困っていると、圭一は続けた。
「あの……、そんな構えなくても。もし通り道なら落としていきますんで。突然すぎて、あやしかったかなあ、申し訳ない」
「えっと、わたし、神楽坂です」
「そうですか。じゃあ、小林さん……だっけ? おれ、赤羽のほうだから途中まで乗ってってください」

赤羽か。かおりは思った。東通にしてはずいぶんと雑多な街に住んでいるんだな。広告代理店というよりは、出版社の酒飲みが好きな街だ。圭一は、慣れた様子でかおりを奥の座席に乗せた。
「遠藤くんかな。建築の仕事をしてるんだよね? また今度、話を聞かせてください」
そういって圭一はタクシーに乗り込んだ。

「神楽坂まで。近くになったら細かくお伝えします」
圭一は運転手にそう告げると、かおりのほうを向いた。ほのかに、さわやかな圭一の香水がただよう。たぶんACQUA DI GIOだ。

「一人になりたかったけど一人になりたくなかったから、乗ってくれて助かりました」
「……ずいぶん強引ですね」
「よく言われます」
「いかにも東通って感じ」
「それもよく言われます」

笑うと圭一のほほに、えくぼが浮かぶ。人なつこい笑顔。しかし、ブレーキのたびに体がゆれる。どうやら乱暴な運転手に当たってしまったようだ。かおりは飲みすぎたためか、気持ちが悪くなってきた。
「あの…窓を開けてもいいですか」
「はい」
運転手がかおりの側の窓を少し開ける。それでも、足の先から悪寒が上ってくるように、鳥肌がたった。胃から不快なものが突き上げてくる。その時だった。
「すみません、ちょっと止めてください」
圭一がそういってタクシーを止めた。
圭一は扉から転げ落ちるように植え込みに向かい、盛大に吐いた。
あわててかおりも追いかけて、圭一の背中をさすった。夜遅くに来て、空腹で酒を飲んでしまったからだろうか。かおりは、チャーハンをすくいすぎて、こぼしていた圭一を思い出した。空腹に耐えかねて、つい多くすくってしまったのかもしれない。

「お客さあん。大丈夫ですかあ」
乱暴な運転をして、原因を作った張本人なのに、まったくにぶい。運転手の間延びした声が問いかける。
「お客さあん」
二度目に呼びかけられたとき、かおりは腹立たしい思いで言い返した。
「すみません。待っててください」
怒りが届いたのか、運転手は静かになった。圭一が先に嘔吐しなければ、かおりが嘔吐しているところだった。
圭一を支えて、近くの縁石に座らせた。
「タクシー代、清算してきます」
かおりは支払いを済ませ、かおりの荷物を持ってきた。圭一の荷物はなかった。

「荷物、見つからないんですけど」と問うと、圭一はゆっくりと頭を振った。

「今日は一回家に帰って、手ぶらで行ったんです」

圭一はまだ青白い顔をしている。
「少し待ってて」
かおりは、コンビニでポカリスエットを買って戻ってきた。
「ごめん、大塚製薬のポカリじゃなくてコカ・コーラ社のアクエリアスがよかった」
この期に及んで、いかにも広告代理店らしいことを言う圭一がおかしかった。
「そこまで付き合えません」
かおりはポカリスエットのフタを開けて圭一へ渡した。圭一は熱いコーヒーのようにポカリスエットをちびちびと飲んでいる。縁石から寒さがはい上がってくるようで、かおりはコートの前をしっかりとあわせた。しばらくして、圭一がぽつりと言った。
「実はね、今日、出していた広告賞に落ちたってわかったんです。ちょっと自信あったんだけどな。恥ずかしくて、みんなには言えなかった。忘れたくて、家にカバンを置いてきたんです」
「そう」
「うん」
「でも宣伝会議? の賞取ったんでしょう?」
「東通のクリエイティブはまず、社内での競争が激しいんです。ひとつくらいの賞じゃまだまだ。次々と結果出さないと生き残れない」
「ゲームみたいで楽しそう」
かおりのことばに圭一は苦笑いをした。
「そろそろわたし、お尻が寒くなってきました」
「そうだね……でも、おれはおなか減ってきたかも」
「せっかくチャーハン食べたのに」
「見てたの?」
かおりはうそがばれてしまったこどものような顔をして押し黙った。圭一は星を見上げて勢いよく立ち上がった。
「あのさ、実はおれの家この近く。恵比寿なんだ」
「さっきは赤羽って……」
「言ったでしょ。一人になりたくなかったって。赤羽ってうそ言ったの。いっしょにいたかったの」
圭一は手を差し出し、強引にかおりの手を引っ張った。
圭一は手をつないだまま、左手でかおりの荷物を持ち歩き出した。

それは予想もしない人生のはじまりだった。

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作家 松村まつ

東京都内に勤務する会社員。本作がはじめての執筆。趣味は読書と旅行と料理。得意料理はキャロットラペ。感動した建物はメキシコのトゥラルパンの礼拝堂とイランのナスィーロル・モルク・モスク。好きな町はウィーン。50か国を訪問。

 

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