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2022.06.17

【小説Domani:第21話】永い片想い

【随時更新中!】本作でデビューする作家・松村まつの本格ミステリー恋愛小説。夫婦とは、家庭とは、仕事とは、愛とはーー。交錯する過去と現在さまざまな思い、守るものと手離すものの境界線がリアルに描かれる!週2回更新中。

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〈21〉

▶︎第20話はこちら

【登場人物】
川口圭一 (24) 大手広告代理店・東通勤務。コピーライター。借金がある。
小林かおり(24) 大手出版社・祥明社のティーンズ誌『プチファスト』編集者。長野出身。

<これまでのあらすじ>
2022年2月14日、東京・佃。銀座にほど近い高級マンションから一人の男が転落した。男の身元は大手広告代理店勤務42才の川口圭一。転落したマンションは、川口が家族4人で住んでいた。他殺か、自殺か、事故か。話は18年前の2004年3月。圭一と妻のかおりの出会いへさかのぼる。たった一度のセックスで子供ができてしまった圭一とかおり。結婚することを決めたが、お互い知らないことばかりで……。

 

小林かおりと川口圭一は、結婚届を出すのは3月20日にした。国民の祝日なら忘れないだろうということで決めた。午後は早退をして、産婦人科へ行かなければならない。なにしろ出産についても結婚についても圭一は何ひとつ頼りにならない。なにもかもかおりの肩にのしかかっていた。

最近、検診やなんやかやと席を外すことが多く、それに気づいた『プチファスト』編集部の先輩たちがかおりをとがめるような目で見ていた。特にデスクの藤尾舞はあからさまだった。入社したてのころは優しかったのだが、かおりの企画が藤尾より採用されることが多くなったあたりから、「女を使って上に取り入っている」と陰口をたたかれていることが増えた。かおりは気にせず企画を出しまくった。どんどん人気が出てくる担当モデルや読者との撮影の楽しさやアンケートの結果を見ると、藤尾のことなど気にならなかった。しかし、藤尾を追い越して、結婚、妊娠というこの事態は、藤尾の心をあますところなくかき乱すだろう。
1時間後には編集部を出ようとしたとき、かおりは編集長に声をかけられた。

「小林、ちょっと」
かおりは打ち合わせスペースへ移動する。机にはかおりが出した企画がある。

「この企画、面白いんだけど本当にできる? 体調はどうなの」
かおりはもうすぐ妊娠3カ月に入る。疲れやすくはあるが、24歳という若さゆえか仕事に差し支えるほどでもない。
「大丈夫です。やらせてください」
編集長は、かおりが出した『中綴じ付録:夏の体験リアル100ストーリー 初彼氏×初体験×だれもしらないカラダのハナシ』という企画の書類を見ている。かおりは説明をする。

「いままでのこういう企画って、夏の初体験ワクワク♡で終わりでしたよね。でも『避妊しない男の無責任さ』や『できた後に起こること』までセットにしての体験企画です」

編集長はかおりの話を資料をめくりながら聞いていた。

「恋の楽しさだけじゃなくて危険も含めて。口コミやデータを通して作るので信頼性があり、誰よりも『プチファスト』の読者に刺さるページが作れると思います」

編集長は立ち上がり、かおりの肩をポンと叩いた。
「台割切ってみて。あまり暗くて説教くさい内容にならないように」

ファッション誌の一番人気はたいてい巻頭のファッション特集と決まっている。だけど、ティーン誌は時々、読み物が跳ねるときがある。それはこういう体験物企画だったりする。かおりは読者アンケートを読み込み、意外と読みものが購入の動機になることに気づいていた。

かおりが席に戻ると、話を聞いていた先輩の藤尾が機嫌の悪そうな目線を投げかけてきた。かおりが付録を一手に引き受けるのが気に入らないようだった。

産休までに時間がない。結果を出したいかおりは藤尾の様子に気づかないふりをした。企画を書き出して行く。話してくれそうな読者モデルや、動いてくれるライターもリストアップする。
編集長がGOサインを出せば、この記事は、6月末校了の7月末売り・夏の合併号に掲載される。あと丸3カ月。時間はあまりない。資料を調べたり、メディア慣れしている婦人科の医師を探したり、ラフを書いていると、時間はあっという間に過ぎた。早退をして、産婦人科に行く。人事からは「検診は当然だから、妊娠休暇の制度を使って気にせず行って下さい」と言われているが、現実は針のむしろだ。仕事に穴を開けなかったとしても、仕事をさぼっている状況はだれだって肩身が狭い。しかも、だれひとり出産をしていない『プチファスト』編集部ではなおさらだ。

先日と同じ女医だった。相変わらず無表情だった。内診をする前に聞いてきた。
「どうするか決めましたか」
「産みます。結婚します」
「そう」
いままでの無表情が嘘だったかのようにほぐれて、嬉しそうな笑顔を見せた。
「おめでとうございます。さあ、内診しましょう!」
女医は声まで華やいでいた。
「小林さん。赤ちゃん、心拍確認できましたよ。見えますか。とっても元気ですよ」
小さかった影は一回り大きくなって、心臓らしきものが確かに振動していた。
「そろそろ母子手帳をもらったほうがいいでしょうね。遅くても11週までには役所に行ってください。ううんとね、3月の真ん中までには」
今までの無機質な物言いが変わり、優しくゆっくりと教えてくれた。
「それから、ここはクリニックだから出産はできないの。出産する病院を探して、次からはそこに通うほうがいいと思いますよ。10月にはお母さんですね。もう一度、おめでとう」
かおりは小さい声で「ありがとうございます」と言った。

だれもが厄介者扱いしたけれど「産む」と決まると、祝福の対象になる。この子も、私も変わっていない。ただ立場が変わるだけで、存在も変わる。

もしかしたら。母も喜んでくれるかもしれない。順番は反対だったかもしれないけれど、いつか子供は産むのだから。母には赤ちゃんのことを黙って、結婚することだけを報告をしよう。そうして、落ち着いたタイミングで妊娠の報告すればいい。そうだそうだ、「出産まで妊娠に気づかなかった」というニュースを時々耳にするが、それがかおりの身に起きてもいいのだから。

こんな簡単なこと、どうしていままで気づかなかったのだろう。馬鹿正直に生きてきて、嘘をついたりごまかしたりするのが苦手なかおりは、本当のことをすべて伝えなければいけないと思い込んでいた。かおりを縛り上げて、肩に食い込んでいた石の十字架。縄を解き、地面に降ろしたようで明るい気持ちになった。

「圭一、今週末、長野に行こう」
かおりの打診を川口圭一は簡単に受け入れた。かおりは続けて言う。
「母は、教師をしているの。『子供ができた』なんて言ったら大変なことになる。だから、結婚したい人がいるとだけ報告しようと思う。いい?」
「かおりさんがそれでいいなら」
汚部屋に住んでいたことや、借金があることを知られてから圭一は愁傷だ。大手広告代理店の東通風をビュービュー吹かせていたころとは違い、完全に弱みを握られた人間になってしまった。
かおりにとってよかったのか悪かったのかはよくわからない。ただ、自分の人生において、これっぽっちも頼りにならない人と結婚が決まってしまったことは間違いない。

新宿駅から『あずさ』に乗り松本駅についた。そこからは大糸線に乗り換えて、信濃大町駅を目指す。
3月に入ったとはいえ、まだまだ寒い。圭一の育った高知とは大違いだ。最低気温がマイナスなのも日常で、しっかり厚着をしてもまだ寒い。
大糸線にゆっくりと揺られていると、高校時代を思い出す。かおりは、信濃大町駅から松本駅まで高校に通っていた。人でにぎわう松本駅から、大糸線に乗ると自分が荷馬車に乗せられて売られていく仔牛のような気持ちになった。険高い穂高岳に連なる山々が迫ってくる気がして、1時間程度の乗車時間が憂鬱だった。
それは今思うと、母という存在が息苦しかったのだとわかる。
母には、今日の訪問をメールしたが、返事はなかった。

あの夜、『あんたみたいな恩知らず、生まなければよかった』という言葉を投げつけた母。かおりは一人になるのが苦しくて、圭一の手を振り払えなかった。そして圭一は無責任にもかおりの中で果て、たった一度のセックスで子供ができた。

自分の人生があの夜、大きく変わってしまった。かおりは、下唇が切れるほどかみしめていた。
圭一は、かおりの気持ちを知らずに窓の外を眺めている。
「大丈夫だよ、きっと。おれは強いから」
圭一は母を知らないからこんなのんきなことが言えるのだ。学校教師として、場の支配をする鍛錬をし続けている母は、どんな子供も身がすくむほど怖い態度を取れる。圭一の想像を越えているだろう。返事をしないかおりに圭一は続ける。
「山が大きいねえ」
のんびりとした言い方が頼りなくてため息が出た。圭一と並んで、迫り来る悪夢から逃げるように山を眺めた。

駅から家まではタクシーで向かった。扉は固く締まっている。下っ腹にぐっと力を入れて、呼び鈴を鳴らす。名前を名乗る。やや時間が空いて母が出てきた。かおりの後ろの圭一を見て、顔をこわばらせている。
「入っていい?」
かおりが聞くと、不愉快そうにゆっくりと扉が開いた。
昼間だが薄暗くてかび臭い家は居心地が悪かった。祖母が亡くなってから、母は一人で暮らしてきた。一切、家事をしなかった母だったけれど、どうやら最低限の家事はしているようで、物はきちんと片づけられていた。
かおりはダイニングの椅子に腰かける。圭一は座らずに、母に挨拶をした。
「突然ですみません。川口圭一と言います。あの、かおりさんと結婚させていただきたくて来ました」
かおりの母は目を丸くしている。
「結婚? かおり、いつから付き合ってるの」
「それは……」
「僕たちはまだ出会って1か月です」
かおりが妊娠していることは伏せているので、どうしても不自然な話になる。それを聞いた母はこわばっていた顔を緩めて鼻で笑った。
「1か月で結婚。かおりはまだ24歳ですよ。妊娠でもしてるの」
母の鋭い問いに、かおりのほほは引きつる。しかし、圭一は平然としている。
「そんなことはないです」
「じゃあどうして? あまりにも早いんじゃないですか」
「早いとは思いますが、どうしても結婚を許していただきたくて。僕は広告代理店の東通に勤めています。生活にも不自由させません」
「東通ですか。申し訳ないけど、会社の名前をちらつかせるような人は嫌いです。それにあなたの顔も嫌い。別れた夫に似ている。私への当てつけみたい」
「そんなこと、彼には関係ないでしょう」
かおりは母の態度に口をはさんだ。
「それに茶髪で浮ついた見た目です。こんな人と結婚すると、浮気されて不幸になるわよ。私は反対です。でもあなたが結婚したいなら勝手にどうぞ。20歳超えたら、親の同意なんていらないもの」
シーンとした部屋に、蛇口から水滴がぽつりぽつりと落ちている音が響く。母は蛇口を締めに立った。だれも何も言えない。重々しい気づまりな状況を打破したのは圭一だった。
がばっと床に伏せ、母に土下座した。
「勝手を申し上げているのはわかっているのですが、曲げてお願いします。必ずかおりさんを幸せにします」
唖然とするかおりを置いてけぼりにして、圭一は力技で母から結婚の了承をもぎ取った。そして、突然の来訪なのでまた改めて、と場をおさめて家を出た。
『面倒なことからさっさと逃げ出した』というほうが適切かもしれない。
かおりと圭一が扉から出ると、すぐにドアは閉まり鍵をかける音がした。部屋から出ても、かび臭さが鼻を支配している。

しばらく歩くと圭一が大きく息を吐いた。
「ああ、びっくりした。想像よりもずっと厳しい人だね」
圭一はうっすらと笑っている。えくぼがまぶしい。かおりは、圭一の笑顔に驚き、顔を正面から見つめた。
「圭一……平気なの?」
圭一はふふんと鼻を鳴らす。
「平気だよ。東通にいれば、土下座なんて挨拶と一緒。怖いお母さんだけど、押しに弱いね。俺、ああいう人、得意なんだ」
難しいクライアントを落としたような達成感に満ちた顔で圭一は言った。
「ねえ、かおりさん。おれは偶然、東通に受かったわけじゃないよ」
かおりは圭一の鋼の精神を心底うらやましいと思った。

そのまま東京へとんぼ返りをしたら、まだ夕方にもなっていなかった。
母から、『結婚式はいつするのか』とメールが来ていた。
その後の両家の顔合わせでも、結納は略式でいいけれど、結婚式はする方向になった。妊娠を秘密にすることを圭一の両親が忘れて、かおりの母に言いそうになり、ひやりとした。それをごまかそうとして結婚式の話に戻してしまった。

かおりは泣きそうだった。やっとしなければいけないことが一通り終わりそうなのに、結婚式という面倒ごとが増えてしまった。しかも『やるならばしっかりとした式を』と言うことで、会社の上司や友人、親戚も呼んだ盛大な式をすることになってしまった。

急遽、結婚式場を予約した。4月末、ゴールデンウイークの始まりに挙式をすることにした。できちゃった結婚を知った先輩たちは、表面上は普通だった。藤尾デスクだけははっきりと、かおりに冷たく当たった。圭一が東通というのも火に油を注いだ。なんの因果か、呼びたくもない先輩たちを結婚式に呼ぶ羽目になってしまった。先輩からしても迷惑なことだろう。

同期の大宮ちかは、かおりのことが社内で噂になっていると教えてくれた。
藤尾デスクが『かおりは東通の男を落とすために、避妊しないでできちゃった結婚した』と言いふらしているらしい。噂好きな会社だから、みんな面白がって広めていると。

悔しかった。しかし、だれも直接言わないから、否定もできない。以前にも、ほかの人が取れなかったインタビューが取れた時、色仕掛けだのなんだの言われた。企画が通ると上と寝ているとか、不倫しているとか。陰で『いい気になるな』と言われていたのも知っている。だけど、かおりになにができるのだろう。

見た目をきちんとするのはいけないことだろうか。男性に対しては色目を使ったと思われないよう、気を付けて距離を取っているつもりだ。それでも、自分に優しくしてくれる人はいる。それは、かおりの見た目のおかげなのか、人間としてなのかはわからない。

かおりに許された手段は、ただ、『実力でここにいる』と認めさせることだけだ。だから、人の何倍も努力したし、アンケートを読み込んで企画を書いている。その結果か、付録の企画も通った。
『プチファスト』の編集長は、情で企画を通してくれるほど甘くはない。特にかおりが『子供を産むが、仕事も続ける』と言ってから、ほかの人より厳しく指導しているように思う。
それでもまだ、そんな噂を流すだなんて……。

複雑な気持ちを抱えたまま、婚姻届けを出した。圭一は待ち合わせ時間に遅れてきた。いつものことだ。苗字を選ぶ際、これで『小林』はこの世にいなくなると思うと申し訳なく感じた。圭一に「名前を変えるのはあなたがしたらどうかな」と聞いてみたが、聞こえないふりをされた。川口かおり。今日からこの名前で生きていく。

結婚式は昼過ぎから行われた。圭一の来賓者は、東通色を全開に出して来て、一気飲みコールやお祭り騒ぎをし、かおりをうんざりさせた。ただ、それまではたわいのない楽しい会だった。最後の新郎からの挨拶ですべてが壊れた。

「本日は、遠いところからお集まりいただきありがとうございらす」
飲みすぎたからか、圭一のろれつが回らなくなっていた。悪い予感がしたかおりは、圭一が早く挨拶を終えることを祈っていた。大宮ちかの心配そうな顔が、遠くに見えた。

圭一は、感極まって泣き出した。
「……僕もこの秋には父になります」

その瞬間、かおりの母が立ち上がった。猛然と圭一につかみかかる。
「どういうことなの!」
襟首をつかみ問いつめる母と、悪酔いしている圭一と。かおりは悪夢を見ているようだった。
それまで嫉妬のような険のある視線を投げかけていた藤尾デスクが、いい気味だとばかりに、かおりをあざ笑うような目で見ていた。

作家 松村まつ

東京都内に勤務する会社員。本作がはじめての執筆。趣味は読書と旅行と料理。得意料理はパテ・ド・カンパーニュ。感動した建物はメキシコのトゥラルパンの礼拝堂とイランのナスィーロル・モルク・モスク。好きな町はウィーン。50か国を訪問。

 

 

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