崇拝とは?意味をわかりやすくご紹介
崇拝(すうはい)とは、心から敬い尊ぶことを指す言葉です。「崇拝する」のように動詞で使ったり、「崇拝者」のように他の名詞をつなげたりすることもあります。
【崇拝】すうはい
心から傾倒して、敬い尊ぶこと。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
崇拝を使った例文をいくつか紹介します。
・彼女は彼を愛しているというよりは、彼を崇拝しているようだ。
・神様を崇拝する気持ちがあれば、誰も見ていないところでも善行を積むはずだ。
・神殿には多くの崇拝者が集まっている。
基本的には宗教的な厳かな気持ちを示す
「崇」も「拝」にも恭しいニュアンスがあるため、「崇拝」は宗教的な厳かな気持ちを示す言葉です。まず「崇」は、気高いや尊ぶという意味で使われる漢字です。「崇高(すうこう)」や「崇敬(すうけい)」のように熟語として使うときは「すう」と読みますが、送り仮名をつけるときは「崇(あが)める」と読みます。
また、「拝」は頭を下げて礼をすることを意味する漢字です。「拝礼(はいれい)」や「参拝(さんぱい)」、「礼拝(れいはい、らいはい)」などの「拝」はいずれも頭を下げて礼をする意味合いを持ちます。
その他にも、「拝」には次の意味があります。
・貴人に会う:拝謁(はいえつ)、拝顔(はいがん)など
・あがめる、ありがたがる:拝外(はいがい)、崇拝(すうはい)など
・お上からいただく、ありがたく受ける:拝官(はいかん)、拝命(はいめい)など
自分の行為に「拝」をつけて、相手に敬意を示すこともあります。
・拝賀(はいが)
・拝啓(はいけい)
・拝見(はいけん)
・拝借(はいしゃく)など
ライトな意味で使われるケースもある
崇拝は宗教的な厳かな意味でも使われますが、軽い意味合いで使うことも少なくありません。たとえば、心から敬愛するアーティストや俳優などに対して「崇拝している」と表現することがありますが、お気に入り程度のアーティストなどに対しても「崇拝している」と表現することもあるようです。
・わたしが崇拝しているアーティストは〇〇だ。
・彼はある数学の教師を崇拝している。
・いつ見ても彼は美しい。わたしは彼の崇拝者だ。
崇拝と関連する宗教的なニュアンスのある言葉をご紹介
崇拝は宗教的な意味でも使われる言葉です。崇拝の言い換えに使われる言葉のうち、宗教的なニュアンスを持つことがある言葉としては次のものが挙げられます。
それぞれの意味やニュアンスの違いを、例文を通してご紹介します。
信仰(しんこう)
「信仰(しんこう)」は、神仏などを信じて崇めることや、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすることです。古くは「しんごう」と発音しました。
・信仰が厚い一家として知られている。
・一族代々一つの宗教を信仰している。
・この小説の男は信仰心を大切にいている。
また、特定の対象を絶対のものと信じて疑わないことも、信仰と呼びます。
・彼は古典的理論を信仰している。
・彼女は学問を愛しているというより信仰しているようだ。
・機能性やデザインなどはどうでもよいらしい。彼女はとにかくブランド信仰が強い。
しん‐こう〔‐カウ〕【信仰】
[名](スル)《古くは「しんごう」》
1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「信仰が厚い」「守護神として信仰する」
2 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への信仰」「ブランド信仰」
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
妄信(もうしん、ぼうしん)
「妄信(もうしん)」とは、むやみやたらに信じることです。「ぼうしん」と発音することもあります。
・新聞の記事を妄信するのはいかがなものか。
・正しいから信じるのではなく信じているから正しいと考えるなら、それは妄信だ。
・彼の信心はどちらかというと妄信のような気がする。
信仰や崇拝には「むやみやたら」といったニュアンスはありません。理屈なしに正しいと信じている状態は、「妄信」という言葉が適していると考えられます。
もう‐しん〔マウ‐〕【妄信】
[名](スル)むやみやたらに信じること。ぼうしん。「記事を妄信するな」
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
狂信(きょうしん)
「狂信(きょうしん)」とは、冷静な判断力を失って、激しく信じ込むことです。
・周りが心配するほどなので、あれは信仰ではなく狂信ではないだろうか。
・彼女の行動は、明らかに狂信的だ。
・理屈が通じない狂信者を相手にするのは骨が折れる。
妄信には「周囲が見えていない」といったニュアンスがあります。狂信にも「周囲が見えていない」ニュアンスがありますが、さらに進んで「冷静な判断力を失っている」状態である点が異なります。
きょう‐しん〔キヤウ‐〕【狂信】
[名](スル)冷静な判断力を失って、激しく信じ込むこと。「狂信的な行動」
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
崇拝と類似する意味の言葉をご紹介
崇拝と類似する意味の言葉としては、次のものも挙げられます。
いずれも宗教的な意味合いで使われることがありますが、宗教的な意味合いなしに使われることも多い言葉です。それぞれの意味やニュアンスの違いを、例文を通してご紹介します。
賛美(さんび)
「賛美(さんび)」とは、ほめたたえることです。敬い尊ぶ「崇拝」とは異なりますが、尊ぶ対象をほめたたえるのは自然な流れのため、言い換えに用いられることがあります。
・彼女は毎日讃美歌を歌っている。
・山の頂上まで来ると、大自然を賛美する気持ちが自然と湧きあがった。
・彼は彼女の賛美者だ。
さん‐び【賛美/×讃美】
[名](スル)ほめたたえること。「大自然を賛美する」
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
感心(かんしん)
「感心(かんしん)」とは、立派な行為や優れた技量に心を動かされることや、心に深く感じることを指す言葉です。敬い尊ぶ「崇拝」は崇拝する側より崇拝対象を一段上にあるニュアンスがありますが、「感心」は感心する側が感心対象と同等、あるいは一段下にあるニュアンスを持つこともあります。
・うまいことを言うものだと感心する。
・確かにそれでも問題は解決するが、あまり感心できないやり方だ。
かん‐しん【感心】
[名](スル)
1 りっぱな行為や、すぐれた技量に心を動かされること。心に深く感じること。感服。「うまいことを言うものだと感心する」「あまり感心できないやり方だ」
2 (逆説的に用いて)あきれること。びっくりすること。「ばかさかげんに感心する」
[形動][文][ナリ]りっぱであるとして褒められるべきさま。「親思いの感心な少年」
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「感心」は、逆説的に用いて、あきれることやびっくりすることを指すこともあります。
・彼女の愚かな行動に感心した。
・そこまで考えなしの行動だと、逆に感心するね。