「専業主婦」に疑問を感じたことはなかったけれど
長女を出産したのは26歳の時でした。初めての育児に振り回されっぱなしではあったものの、まだ体力もあって、3時間おきの授乳も夜泣きも離乳食を作る事も苦ではなく、割と楽しんでいたと思います。 モデルのお仕事はお休みしていたので、家事育児は100%私の担当です。
モデルはエージェントに属していても、基本は自由業。妊娠すると体型の変化で着られるお洋服も限られてきます。だから、必然的に妊娠期間中は執筆活動など以外はお休みすることになります。子どもはふたり以上欲しい、と思っていたので、夫と話し合ってふたりめの出産までは休業を決めていました。オーディションで決まる単発のお仕事も大切だけれど、基本になるのは指名でいただくレギュラーのお仕事。出産の度に休むよりも落ち着いて仕事をできるようになってから復職した方がひとつの仕事に長く携われると思っていたというのもあります。
夫の初育児参加は保育園への送りから
ふたりめは思ったより早く、娘が7カ月の時に妊娠がわかりました。長女の時もそうだっ たのですが、切迫早産で妊娠7か月から出産まで入院生活に。それまで、全く家事も育児もしなかった夫ですが、この時から、夫の母と私の母と3人での家事育児がスタート。同時に急遽娘の保育園生活もはじまりました。娘の保育園の送りが夫の担当になり、初めて彼に役割ができたんです。
ところが、出産してしまえば元の木阿弥。病院から戻って家族4人の生活が始まった後、 夜遅くに帰ってきた彼は翌朝の送りをスキップしようとして…。私は体力も戻っていない中でふたりの子どもの面倒を見るので精一杯。そのときが初めてだったかも知れません、子育てについて話し合ったのは。夫は音楽関係の仕事をしているので、夜の仕事もかなり多い。夜、育児参加ができないのは仕方ありません。でも、やっぱりそれだと私にも不満が溜まっていく。だから、夜遅く帰る事に口出しをしない代わりにどんなに夜が遅くても朝は子どもを送って行くという約束をしました。
参加することで初めてわかってもらえた「育児の楽しさ」
それまでは深夜の授乳で子どもが泣いていても、先に起きた子どもにパパ遊ぼうと言われても100回に1回くらいしか起きなかった夫。でもこの約束を境に、出張や朝早い仕事の時以外はどんなに眠くてもお酒が残っていても毎朝必ず起きて子どもの登園に付き添っています。やってみたら子どもがお友達と会話する様子を見たり、園で会うママ友に褒めてもらったりするのが楽しくなってきたようです。ひとりめが卒園しても、ふたりめ、3人め、と気づいたらもう9年。 保育園、幼稚園に送るという役割ができたことで、彼にも色々な思いが芽生えたように感じています。
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モデル
牧野紗弥
愛知県出身。小学館『Domani』を始め、数々のファッション誌で人気モデルとして抜群のセンスを発揮しながら、多方面で活躍中。キャンプやスキー、シュノーケリングなど、季節に合わせたイベントを企画し、3人の子供とアクティブに楽しむ一面も。今年は登山に挑戦する予定。自身の育児の経験や周囲の女性との交流の中で、どうしても女性の負担が大きくなってしまう状況について考えを深めつつ、家庭におけるジェンダー意識の改革のため、身を持って夫婦の在り方を模索中。