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2022.03.22

【小説Domani:第9話】永い片想い

【随時更新中!】本作でデビューする作家・松村まつが描く40代ワーキングマザーの生きる道。夫婦とは、家庭とは、仕事とは、愛とはーー。守るものと手離すものの境界線がリアルに描かれたミステリー恋愛小説。週2回更新中。

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〈9〉

▶︎第8話はこちら

【登場人物】
川口圭一 (24) 大手広告代理店・東通勤務。コピーライター。
小林かおり(24) 大手出版社・祥明社のティーンズ誌『プチファスト』編集者。
小林きみ子(?) 深夜にかおりへ尋常じゃない回数の電話をしてくる人。

<これまでのあらすじ>
2022年2月14日、東京・佃。銀座にほど近い高級マンションから一人の男が転落した。男の身元は大手広告代理店勤務42才の川口圭一。転落したマンションは、川口が家族4人で住んでいた。他殺か、自殺か、事故か。話は18年前の2004年1月。圭一と妻のかおりの出会いへさかのぼる。

 

きっとこの黒い靴は母の靴だ。
深夜4時すぎ。小林かおりは神楽坂にある自宅玄関のドアを音が出ないよう注意しながらそっと開けた。隙間から、靴を脱ぐスペースをのぞいて、自分のものではない靴を確認する。ドアを開けた小さな物音が聞こえたのか、ベッドルームの扉が開き、母・小林きみ子が出てきた。

「かおり、遅かったね。なんども電話したわよ」
母の責めていないような優しい口調が恐ろしい。小学校の教師をしている母は、同じような口調で生徒をとがめているのだろうか。
「ごめんなさい。気がつかなくて。電話してくれてたんだ」
「今日は、東京に行くから泊めてねって伝えてあったでしょう」
「そうだったかな……」
かおりはうそをついた。「泊めてほしい」と入っていた母の留守番メッセージはすぐに消した。
「化粧が濃すぎるんじゃない? 男に媚びてる。男好きに見える。みっともない。それに帰る時間も遅い」
「お母さん、子どもじゃないんだから大丈夫だよ」
「なにその言い方。わたしはあなたのことを心配して言っているのに」
『あなたのためを思って』という呪文は、小林きみ子の授業の始まりの合図だ。この授業は真綿のようにかおりの首を締め上げて、窒息寸前まで手を緩めない。
「それでいいと思っているの」「わたしはあなたのためを思って言っているの」「残念だわ」「もっとできると思っていた」「そんなことでは人に笑われる」次々となじられるたび、かおりは自分が捨てられてしまうのではないかと恐怖を抱き、存在意義を認めてほしくて母に媚びてしまう。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」
「なにが『ごめんなさい』なの」
「わたしがさっき言ったこと、もう一回言ってみて」
「次からどうするの」
「だれが悪いの」
きみ子は、必ずかおりの口から『自分自身の瑕疵』を言わせ、反省の弁を聞く。そこまで行くと、きみ子は、ふんっと鼻から息を出し自室にこもる。扉の前にうずくまり、母が出てくるまでかおりはひざを抱えて待っていた。
もう何十回、何百回も繰り返してきたことだ。
だから親に反抗している人を見ると心底驚く。そんな口のきき方……想像しただけで頭がぼうっとして、なにも考えられなくなる。

もし父が生きていたら……かおりはなんども考えた。かおりが生まれてすぐに母と離婚し、まもなく亡くなったらしい。だけど父のことを聞くと、母は機嫌が悪くなるので聞けなかった。他界した祖母から、少しだけ教えてもらったことがある。
「かおりちゃんのお父さんは中学校の先生で、優しい人だったよ」
こっそりと母と父の若いころの写真を見せてくれた。かおりが生まれる直前だろうか。切れ長目の優しそうな男性。この人が父。
「この写真はかおりちゃんが持っておいで」
「お母さんは、お父さんの写真はないって」
「たくさんあったんだよ。でもかおりちゃんが生まれてすぐに、お父さんが家を出て行ったとき、ぜんぶ捨ててしまった。もう2度と見たくないって」
「どうして」
「きみ子は正義感が強い子だから、『仕事も家事も育児も全力でやってない』とお父さんを責めたんだよ。息苦しかったのかもしれないねぇ。おばあちゃんが厳しくしつけすぎた」
「おばあちゃんが?」
「きみ子が一人で生きていけるようにって、おばあちゃんも必死だった。おばあちゃんの時代は、女が一人で生きていくなんてできなかったから。きみ子に申し訳ないことをしてしまった」
祖母と話していると、母は虫の居所が悪くなる。ちょっとしたことで怒られた。
「宿題はやったの? なんでやってないのにのんきに話しているの」
母の様子を見て、祖母は「まあまあ」と仲裁をするが、それが火に油をそそぐことになる。
「私の時は手がはれるぐらい叩いたのに!」
「そんなこと……」
「覚えてないだけよ!! いつだって、いつだって、褒めてくれたことはなかった」
母が怒り出すと、祖母は気まずそうにした。かおりはそんな空気がいやで、必死で皿を洗い、宿題をやった。母の手をわずらわせないよう、ひとりで何でもできるようになった。母はそれを当然のこととして受け止めた。もっと。もっと。もっとがんばれ。小さなころから教師の仕事を優先して、かおりの行事には祖母が来た。
「そのくらいできて当たり前」
かおりは優等生で、成績は学校でもトップだった。教師の娘ということで、一目置かれていた。母が離婚したことを知っていて、バカにする人もいたが、かおりは実力で評価をはね返した。それに、母から解放される、学校という場所が大好きだった。部活をめいいっぱいやり、キャプテンをし、生徒会長をし、学生生活を充実させた。地元長野の大学に行けという母には黙って、東京の大学を志望した。

高校の三者面談で先生が母に言った。開いている窓の外はセミが鳴いていた。
「進学についてですが」
「地元の長野に行かせようと思います」
「小林はそれでいいの?」
先生がかおりに問う。
「この子は長野がいいと言っています」
「本当ですか」
「ええ。先生よりわたしのほうが一緒にいる時間が長いんですよ」
「小林、ほんとうに長野の大学に進みたいの」
「いいって言ってるじゃないですか!」
母親の様子に腰が引けたのか、一度先生は席を立ち、窓を閉めた。そして、座ってまっすぐに母を見つめ言った。
「……わかりました」

その後、先生はかおりだけを呼び出して言った。
「小林はどうしたいの」
「長野に……」
「それは小林がそう思っているの」
「……」
たっぷりと時間をかけてことばを探すかおりのことを、先生は黙って聞いている。
「わたしは……」
「うん」
「わたしは……」
先生は、うなずきながらかおりのことばを待った。
「わたしは母から離れたいです」
そういってうつむいたかおりの肩を先生は優しくなでた。

「小林。よく聞いて。小林には小林の人生がある。あなたは自分で自分の人生を切り開く力がある。あきらめるな」

そして、先生も一緒に母を説得してくれた。母は全額奨学金なら、という条件で長野から出ることを許してくれた。かおりは、祖母とふたりで見ていた、大河ドラマや時代劇が大好きだった。いつのまにか歴史が好きになり、大学でも勉強がしたくて史学科を選んだ。そして、推薦入試で立教大学文学部史学科に進学し、成績優秀者にだけ与えられる返済なしの奨学金をもらった。生活費は奨学金とアルバイトで稼いだ。自分のことのようによろこんでくれた祖母は、大学在学中に亡くなった。それからは、できるだけ実家に帰らないように長期の休みはアルバイトや旅行の予定をいれた。
母の干渉は以前よりましになったが、それでも今日のように突然やってくる。そのたびに胸が苦しくなり、小さくて無力だったあのころに戻ってしまう。

「聞いてるの、かおり!」
母の声で、思い出から引き戻された。すごい剣幕になっている。
「ごめんなさい」
「いつだって私のことをばかにして!!」
母に肩を突かれたかおりは、本棚にぶつかった。
何冊か本が落ちてきた。

本の間からはらりと写真が舞い落ちた。
祖母にもらった、たった1枚の父と母の写真だった。

母の顔色がみるみる変わる。歯を食いしばっているのか、こめかみの皮膚がこきざみに動いている。かおりは反射的に写真を隠そうとしたが、一瞬早く母が写真を奪い取り、そして、破いた。

はらはらと舞い落ちる写真の破片がきれいで、悲しくて、大切にしていた物をいとも簡単に踏みにじられる自分の人生がみじめで、消えてしまいたいと思った。わたしはあの破られた写真と同じ。簡単に捨てられてしまう、なんの価値もない、ゴミみたいな人生。

写真の一片から父の目元が見えて、涼しげな川口圭一の目を思いだした。さっき、圭一の手を離さなければよかったと思った。こんな時に、男のことを思い出すなんて、わたしは母が言うとおり「みっともない」人間なのかもしれない。もっと。もっと。もっとがんばらなければ。でもいったいどこまで頑張れば、認めてもらえるのだろう。

早く朝がくればいい。そうすれば、母は仕事に出ていくから。かおりは朝が好きだった。

 

▶︎次回【第10話】は3月25日頃更新予定です。

作家 松村まつ

東京都内に勤務する会社員。本作がはじめての執筆。趣味は読書と旅行と料理。得意料理はキャロットラペ。感動した建物はメキシコのトゥラルパンの礼拝堂とイランのナスィーロル・モルク・モスク。好きな町はウィーン。50か国を訪問。

 

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