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2023.06.22

【小説Domani:第24話】永い片想い

 

【随時更新中!】本作でデビューする作家・松村まつの本格ミステリー恋愛小説。夫婦とは、家庭とは、仕事とは、愛とはーー。交錯する過去と現在さまざまな思い、守るものと手離すものの境界線がリアルに描かれる!週2回更新中。

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〈24〉

▶︎第23話はこちら

【登場人物】

川口圭一 (25) 大手広告代理店・東通勤務。高知県出身。コピーライター。背が高くて見た目がよく、学歴もよく、年収もよい。世にいう三高。しかし、借金がある。のんきで無責任。
小林かおり(25) 大手出版社・祥明社勤務。編集者。長野出身。シングルマザー育ちで、奨学金をもらって大学を卒業する。頼まれごとは断れない気弱な一面がある。
大宮ちか(25) かおりと圭一を引き合わせた。かおりの同期。祥明社文芸誌『トロイカ』所属。

<これまでのあらすじ>
2022年2月14日、東京・佃。銀座にほど近い高級マンションから一人の男が転落した。男の身元は大手広告代理店勤務42才の川口圭一。転落したマンションは、川口が家族4人で住んでいた。他殺か、自殺か、事故か。話は18年前の2004年。できちゃった結婚をした圭一と妻のかおりに長男が生まれたころにさかのぼる。

 

「本当にいいの?」
人事の担当者が何度もかおりに確認する。
「育休から復帰するタイミングで、小林かおりから川口かおりに変えてください。社員証もメールアドレスもです」
「うちの会社はみんな通称なのに、珍しいね」
不思議そうに書類を見つめる担当者に、かおりが口を開こうとすると、スリングの中の赤子が泣きはじめた。
「まだ生まれて2ヵ月だもんね。書類はこれで大丈夫。名字の件もOK。健太君が1歳の4月の復帰までにはやっておく。申し訳ないけど、社員番号の入った印だけ、いま預かれるかな」
「うるさくして、すみません。ロッカーにあると思います」
担当者は少し悲しそうな顔をした。
「『すみません』なんて言わなくてもいいのよ。赤ちゃんは泣くのが仕事だから」
「でも……すみません」
「小林さん、ずいぶんやせたんじゃない? 眠れてる?」
「大丈夫です」
笑顔で返すが、明らかに以前よりかおりはやせ細っていた。腱鞘炎のため手首に巻いたサポーターが見えないように、机の下でそっと袖口を伸ばした。
赤子の声がひびき、ほかの社員がかおりたちのほうを見ている。
「小林さんみたいに、赤ちゃんのことをあやして、申し訳なさそうにしている人のこと、だれも責めないよ。大丈夫」
「そうだよ、許せないのは公共の場で、子どものことをほおって携帯とかおしゃべりとか、居眠りとかしている親だけ」
赤子の声で振り向いた社員が言った。かおりは居心地が悪そうに身を縮めた。

打ち合わせブースから廊下へと歩き出した。
かおりの足元がふらふらしている。担当者やほかの社員は心配そうにかおりを見ていたが、すぐに何事もなかったかのように仕事に戻った。かおりの顔色は寝不足のため青白い。

スニーカーに大きなリュックを背負い、何も考えずに着られるシャツとパンツを着て、化粧気はない。髪はひとつに結びパサついていた。

かおりが向かう女性誌フロアの廊下の壁には、完売を誇らしげにうたうポスターがいくつも貼られていた。
『おかげさまでプチティーン12月号完売!』『絶好調!プチティーン1月号完売間近!!』
景気の良い文字が躍っている。かおりは吸い寄せられるように表紙を凝視している。
「ふぇっ、ふぇっ」
赤子が泣きそうになっている。
「お腹、減ったよねえ。ごめんね。急いで取りに行こう」
優しく声をかけて前を向いたとき、騒がしい集団が歩いてきた。会議終わりだろうか、だれもが思い思いの服を身にまとい、整えられた髪の毛に、香水がかおる。
「小林! どうしたの」
それは『プチティーン』編集部の面々だった。全員勢ぞろい。廊下の片隅をうつむいて小さくなって歩いていたかおりを見つけ、大きな声で呼んだ。
「わあ、赤ちゃんかわいい」
目が笑っていないひとりがそう言って赤子をのぞきこんだ。だれも触ろうともしない。どう扱っていいのか分からなそうだった。

編集長が『俺が抱こう』と手を伸ばした。
少し抱くと、赤子が泣き始めた。困った顔をして、かおりに返した瞬間、ぴたっと泣き声は止まった。
「やっぱりママじゃなきゃだめなんだな」
そう言って、訳知り顔でうなずいた。
「たしかに、すっかりママの顔になって」
「毎日何しているの?」
射るような目線に耐えかねて、かおりはうつむいて健太を抱きしめる。
「子どもの世話していたら……一日が終わってます」
卑屈な笑顔になっていないだろうか。そう思いながらみんなを見ると、白けた空気を感じた。かおりは気づかないふりをして会釈をし、足早にロッカーへ向かった。鍵を開け、印を取り出す。だれかがかおりのそばに近寄ってきた。

「あのさあ、何しに来たの?」
先輩の藤尾が立っていた。腕組みをしてかおりの背中に問いかける。
「なんで会社にさ、子どもなんか連れてくるわけ。みんなが気ぃ遣ってるのわかんないの? まわりのことも考えずに、子どもができて休んで、そのしわ寄せはあたしたちがかぶってるんですけど」
ロッカーの鍵を閉めるかおりの手が小さく震えている。
「書類を出しに来たんです」
「ふうん、じゃあ人事だけでいいじゃん。わざわざ編集部に来なくてもいいのに、なんなの」
藤尾が敵意をむき出しな理由がかおりには分かっていた。

「迷惑かけてすみません」
振り向いた瞬間、足元がふらついてロッカーにぶつかった。健太の体がロッカーに当たり、大きな声でまた泣き始めた。今日はいつもと違い、ずっと責めているような泣き方だ。

「うるさいよ! 静かにさせてよ!」
かおりは健太をあやすが、ますます火がついたように泣き始めた。
「ほんと最悪! イライラする。子どもなんてうるさいもの、この世から消えてほしい」
そう吐き捨てると藤尾はかおりに背を向けた。

かおりは健太を抱きしめて、うつむいたまま藤尾に言った。
「……12月号も1月号も、わたしの企画が通ってましたね」

表紙にはかおりが置き土産として編集長に渡した企画が載っていた。どちらもメインの第一特集だった。さらに、かおりが育てていたモデルが表紙を飾っていた。
振り向いた藤尾の目を、かおりはまっすぐに見る。1秒、2秒、……藤尾は目をそらし舌打ちをした。
「さすが結婚式で母親が新郎につかみかかるだけあって、負けん気が強いのは血筋なんだ。消えてほしい。もう会社やめなよ」
いらだちを隠そうともせず、藤尾は腕を組みなおした。

ようやく泣き止んだ健太の背中を、かおりは優しくトントンと叩いている。
「ご祝儀を1万円しか入れない非常識な藤尾さんよりはましです」
健太がふたりの顔を見つめていた。藤尾の顔は引きつっている。かおりは続ける。
「でも、あの企画はわたしでは第一特集は取れなかったかもしれない。担当していたモデルもいい表情でした。ページ担当は藤尾さんですよね」
藤尾はフンっと鼻で笑う。
「結婚して子どもを産むということは、戦いから降りたってこと。さようなら小林さん」

かおりは小さく息を吐いた。

「小林じゃなくて川口って呼んでください。離婚しづらいように会社での名前を変えるんです。ぜったいに会社は辞めません」
「育児と仕事、両立できると思ってるの? きっと編集長は、復帰と同時に異動させるつもりじゃないかなあ? 川口さんのこと」

嬉しそうに言うと、藤尾は編集部に戻っていった。かおりは下唇をかんでいた。

かおりは人事部に戻り、「やっぱり、できるだけはやく復帰したいです」と告げた。担当者は驚いていたが、早急に手続きを進めると言ってうなずいた。

健太のおむつを替えるためにトイレに入る。会社にはおむつ替えの台はない。トイレの便座に健太を置いてなんとかおむつを替えた。そのまま、かおりは便座に座り母乳を与えた。健太は途中で眠りはじめた。かおりは健太を抱いたまま、手首のサポーターをまき直し、手早く身支度を整えた。

「来る時間失敗しちゃった。さっき寝てほしかったなあ」

健太を抱きしめながら、かおりはつぶやいた。

帰りの電車は空いていた。昼のあたたかな光が差し込んでいた。

いつのまにか、かおりはうたた寝をしていた。ふと目を覚ますと、健太が泣いていた。周りの人たちがかおりを見ていた。
「ずっとうるせえんだよ、早く黙らせろよ」
疲れた様子の向かいの男が小さい声でつぶやいた。
「すみません、ごめんなさい」
急いで足元のかばんをひざに引き上げた。手首の腱鞘炎が痛いのか、顔がゆがんでいる。中をさぐり、おもちゃを出した。健太は音の出るおもちゃをモシャモシャさわって機嫌を直した。

深夜。圭一は『忘年会』で12時を過ぎて帰ってきた。酒臭い息がわずらわしい。
「できるだけ早く復帰したい」
疲れ果てて、この時間になってしまった洗濯物をたたみながらかおりが言った。
圭一はあからさまに顔を嫌な顔をした。
「健太かわいそう。こんな小さいのに保育園に入れるの? 小さい時は母親といないと」
かおりの胸に罪悪感が広がる。
「それにかおりさん、洗濯物をいまたたんでるって昼間なにしてたの?」
「会社に書類出しに行った。あ、上着はハンガーにかけて」
「ふうん、そんなことよりさ……」
圭一の手がかおりの体をさわる。かおりは圭一を押しやった。
「いやだ」
毛虫を見るような目でそう告げるかおりに、圭一は背を向けた。
「そんなんじゃ、浮気しちゃうかもね」
……すればいい。かおりは心の中で思った。
圭一が大きなため息をついた。酒臭い。圭一は上着を脱ぎ、適当に床に置いた。

その瞬間、かおりは圭一の上着を投げつけた。
「いいかげんにしてっ!」
かおりが大きい声を出すと、圭一はめんどくさそうに振り向いた。

「はいはい。ハンガーにかければいいんでしょ。かおりさんおかしいよ、ホルモンのせいだよ」
圭一はのろのろと自分の上着を手に取った。

「ホルモンのせいじゃない!!! 自分は自由に飲みに行って、わたしだけが人生変わって。家事も育児もわたしに押し付けて。手首は腱鞘炎になって、ご飯を作る気力もなくて、眠たくてふらふらしているのに助けてくれなくて。なにが浮気? 健太は私だけのこどもなの? 私だって仕事がしたい。自由に過ごしたい」

圭一は上着を羽織ると立ち上がった。

「でも、産みたいっていったのはかおりさんでしょ。俺は、ちゃんと責任取って結婚したよ。明日、朝早いから会社のそばのホテルに泊まるわ」

圭一はさっさと家から出ていった。かおりは両手で顔をおおうと、体を前後にゆすり続けた。
はじめて人を殺したいと思った。

そして……18年の時が経ち、2022年2月。
かおりは家のベランダから落ちた圭一を眺めていた。

白い雪にどす黒く赤い血が広がっていく。

 

▶︎更新までお時間を長らくお時間をいただきました。お待ちいただいていた皆さま、ありがとうございます。次回【第25話】も大波乱の予感。ご期待ください!

作家 松村まつ

東京都内に勤務する会社員。本作がはじめての執筆。趣味は読書と旅行と料理。得意料理はパテ・ド・カンパーニュ。感動した建物はメキシコのトゥラルパンの礼拝堂とイランのナスィーロル・モルク・モスク。好きな町はウィーン。50か国を訪問。

 

 

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