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2022.06.25

【小説Domani:第22話】永い片想い



【随時更新中!】本作でデビューする作家・松村まつの本格ミステリー恋愛小説。夫婦とは、家庭とは、仕事とは、愛とはーー。交錯する過去と現在さまざまな思い、守るものと手離すものの境界線がリアルに描かれる!週2回更新中。

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〈22〉

▶︎第21話はこちら

【登場人物】
川口圭一 (24) 大手広告代理店・東通勤務。コピーライター。借金がある。
小林かおり(24) 大手出版社・祥明社のティーンズ誌『プチファスト』編集者。長野出身。

<これまでのあらすじ>
2022年2月14日、東京・佃。銀座にほど近い高級マンションから一人の男が転落した。男の身元は大手広告代理店勤務42才の川口圭一。転落したマンションは、川口が家族4人で住んでいた。他殺か、自殺か、事故か。話は18年前の2004年3月。圭一と妻のかおりの出会いへさかのぼる。たった一度のセックスで子供ができてしまった圭一とかおり。厳しいかおりの母には妊娠していることを伏せて結婚することにした。が、圭一が結婚式で妊娠について口をすべらせて、母が激昂してしまった。

 

「お前なんて産まなければよかった。恥ばかりかかされて。嘘つき。もう二度と顔を見たくない」
結婚前の妊娠を知った母は、結婚式が終わり、控室に移ってからもかおりをなじり続けた。
「黙っていてごめんなさい」
謝るかおりの言葉は母をいっそう凶暴にする。
「片親だからってあなたが笑われないように、必死に育てたのに。本当に、だらしない子。みっともない子。なんであんたみたいな子が私の子供なんだろう。気持ち悪い」
母の言いように圭一は眉をひそめた。
「あの……そこまで言わなくても」
「他人のあんたに何がわかるの。それにこういうことをする人はすべてにおいてだらしない。借金や女ぐせで人に言えないことがあるんじゃないの。あんたみたいな男、よく知っている。結局不幸になって、離婚する未来が見える。きっと不幸になる」
そう言い捨てて、控室を出て行った。
結婚式の控室には呆然とした圭一と、無表情のかおりが残された。

その時、扉がノックされ、結婚式場のスタッフが入ってきた。
「本日中にお支払いをお願いします」
と、代金の請求を渡された。その場で祝儀を開けていく。東京の祝儀の相場は3万円だ。誰もが判で押したように新札を3枚入れていた。
中に、あきらかにかおりを嫌っている藤尾デスクが、1万円の祝儀を入れていた。非常識さよりも、自分へのいらだちを感じて悲しい気持ちになった。そんなに嫌なら来なければいいのに。きっと藤尾は結婚式で母が夫の圭一につかみかかったことを、面白おかしく会社で言いまわるだろう。あざ笑うような藤尾の嬉しそうな顔が、かおりの脳裏に焼き付いていた。

わたしだって、こんな体で結婚式なんてしたくなかった。やったとしても、会社の人なんか呼びたくなかった。普段から行くレストランで、友達だけの小さいパーティーをしたかった。いつも、人のお願いや頼みを断れない不甲斐ない自分がいる。かおりは人の頼みを断ることがストレスで、断るくらいなら自分が我慢してしまうほうが楽なのだ。
だけど今日はさすがにこたえる。安定期だとしても、妊娠中で、母になじられた上に、先輩からの明らかな悪意。いったい何がいけなかったのだろう。期待に応えたくて、無理に式をしたのに。

考え込んでいるかおりに、圭一が声をかける。
「ねえ、かおりさん」
「なに」
「50万くらい足りないよ」
「どうして? 予算に足りない分は現金で持ってきたじゃない」
式場のスタッフが足りない理由を説明する。
「ご新郎様のお客様からグレードの高いシャンパンのリクエストがありました。ご新郎様に確認したところ、ご了承いただきましたのでお出ししました」

なぜ、お金に対してざるの目というか『ざるの枠』ですらない圭一に了承を取るのだ。いままで、ずっとわたしが打ち合わせをしてきたではないか。

もう考えるのが嫌になり、かおりはクレジットカードを差し出した。
「足りない分はこれでお願いします。一括で」

スタッフが決済のためかおりのクレジットカードを持って部屋を出た。
圭一は携帯をいじって自分の世界に入っている。

かおりは、自分のことを嫌っている藤尾に全部ぶちまけてやりたい衝動にかられた。

圭一は見た目はいいし、東通ではあるが借金もちで汚部屋で嘘つきで、自己中心的な男だ。かおりはまだ24歳。いますぐ子供が欲しかったわけでも、結婚したかったわけでもない。おまけに実母には今日、絶縁された。編集というキャリアはもうすぐ終わる。
むしろ、事実を知ったらかおりを憐れむような状況だ。

でも、だからこそかおりは圭一の絶望的な人間性を言いたくなかった。憐れまれるくらいなら嫉妬されているほうがましだ。藤尾に高みから見下ろされて『かわいそう』と思われるなら、むかつかれるほうがずっといい。自分をみじめだと認めたくなかった。けれど。

妊娠した時から、ずっと思っていた。いますぐすべてを投げ出してしまいたい。
今年の初めの、なにもなかった時に戻りたい。
かおりは知らぬ間に嗚咽していた。
結婚式場ならではの天井の高い控え室は、かおりの押し殺したなきごえがよく反響した。友人たちから贈られた花束から甘い香りが鼻をくすぐった。嗚咽するたびに、息を吸い、その香りが鼻腔にまとわりつく。

その時、腹のほうからぽこんと振動を感じた。
腸の空気が移動したような何とも言えない感覚。頭の片隅で、これはなんだ? と思っていると、ぽこんぽこんと2度続けて振動した。もしかして、胎動だろうか。
かおりは腹に手を当て、神経を集中させた。

すぐそばに、スタッフが困ったような顔をして立っていた。何度か声をかけていたが、かおりは気づかなかったようだ。手にペンとレシートを持っている。
「すみません。サインします」
スタッフからレシートを受け取り、サインをした。
ぽこん。
まただ。腸がねじれたような不思議な感覚。やはりこれが、胎動だと思った。
かおりはおかしくなってきた。この世にこんなにたくさん人がいるのに、腹の子が動いているのを知っているのは私だけ。命が腹に宿っているというのは、こういうことなのか。一人ではないと思うと、急にいろんなことがどうでもよくなってきた。そして気力が湧いてきた。やれるところまでやってやろう。母や藤尾や編集長を見返してやりたい。私は幸せになる。私はできる。私は強い。

「圭一。50万円はあなたの来賓が飲んだお金だよね。相談せずに了承したのもあなた。これはあなたの借金だから。今はわたしが肩代わりするけど、少しずつ返して」
「ええ、そんなあ」

そう言いながら、携帯から目を離さず、どこか他人事の圭一にかおりはいらだちを覚えた。引っ越し代もちっとも支払ってくれない。目を落とすと、右手にはペン、左手にはサインをした結婚式場のレシートがあった。かおりははっとした。

「証書を書く、サインして」

手近にあった紙を借用書にして、圭一にサインさせた。いままでのような口約束では、圭一から取り立てることはできない。きちんと形にして、お金について理解してもらわねば。わたしは打ち出の小槌ではない。この腹の子のためにも、私のためにも、圭一をなんとかしなければ。

式場のスタッフが、借用書をやりとりする花嫁と花婿に驚いていたが、そんなことでひるんでいてはこの先立ち行かなくなる。かおりは、腹に手をやり、唇をぎゅっと引き締めた。

その時、圭一の携帯がメールの着信を告げていた。文面は、『圭一、今日も会いたい。安全日なんだ。いっぱいセックスしようよ』。圭一はかおりに隠れてメールを打つ。

『面倒な仕事のトラブルに巻き込まれてる。クライアントが難しいタイプで。でも、ちょっとだけなら抜けられるかも。また連絡する』

送信すると、ポケットに携帯をしまい、なに食わぬ顔で窓の外を見た。雨が降りそうな不穏な曇り空がひろがり、遠くのほうで雷鳴が鳴っていた。

作家 松村まつ

東京都内に勤務する会社員。本作がはじめての執筆。趣味は読書と旅行と料理。得意料理はパテ・ド・カンパーニュ。感動した建物はメキシコのトゥラルパンの礼拝堂とイランのナスィーロル・モルク・モスク。好きな町はウィーン。50か国を訪問。

 

 

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