黙読の習慣は比較的最近できた
明治初期の思想家、堺利彦の日記に、ある日父親が『南総里見八犬伝』を借りてきて、近所の子どもたちを集めて、朗々と読んでくれたというエピソードが出てきます。樋口一葉の日記にも、母親が本を読んでくれるのを聞くのが大好きだったという話があります。
新聞も、町の中にステーションがあり、そこに立った誰かが、みんなの前で読み聞かせていました。当時はそれがふつうの本の読み方でした。
本というのは、活版印刷の発明以後に一般に広まった、いわば新しいメディアです。『グーテンベルクの銀河系』という、活字文化を考察する有名な著作の中で、著者マーシャル・マクルーハンは、「黙って本を読んでいる人がいると、みんなが珍しがって見に来て、長蛇の列ができた」と書いています。
言葉は文字の前に存在していました。キリストや釈迦や孔子、ソクラテスも、彼らが語ったことを弟子たちがまとめています。聖書や経典、論語、ソクラテスの対話など、世界各地で最も読まれている書物は、実は自分で書いたものではないのです。
言葉は相手の魂に火をともすためのもの。どういう伝え方をするかによって受け止め方も変化しますが、文字にはそうした作用はありません。
音読は脳の活動を活発にする
日本語は、世界的に見ても音の種類の少ない言語です。そのため「雨」と「飴」、「橋」と「箸」など、かなで表記すると同じになる同音異義語が多く、だからこそダジャレもたくさん成立します。
また、日本には「忌み言葉」など、縁起の悪い言葉を声として発するのを避ける風習があります。かつての人は、いまよりもずっと、音が持つ言語作用を大事にしていたと思います。
(画像:『頭のいい子を育てる 名作おんどく366』)
音読では、文章を声に出して人に語り、さらにそれを自分の耳で聞いて、目から入った情報と合算して修正する作業が必要になります。視覚と聴覚の情報処理の方法は異なります。その両方を働かせることで、黙読にくらべて、脳の活動ははるかに活発になります。
黙読には早く情報を手に入れられるという側面があり、忙しい現代人には重宝しますが、言葉がもつ意味の多面性は、黙読では半減してしまいます。
コミュニケーション能力も養うことができる
また、音読の大きなメリットはもうひとつあります。それは読む人と語る人が同じ気持ちになって、その作品の世界を共有できることです。ひとつの作品をともに味わうことで、徐々に感情が結ばれあい、同じ世界に生きている感覚が生まれます。
これは本来の意味での「コミュニケーション」が起きているということです。コミュニケーションの語源はラテン語の「コミュニス(共有、共通)」です。
幼児期に絵本などの読み聞かせをする家庭は多いのですが、音読は学校の宿題というイメージが強いので、日常的にとり入れている家庭はそれほど多くないかもしれません。
しかし、相手にきちんと伝わるように、読み方を工夫し、自覚的に語る音読は、コミュニケーション能力を育てます。気持ちの通じ合うコミュニケーションができることは、将来社会に出たときに活躍できる土台となります。
名作の音読で、非認知的能力を伸ばす
古今東西、長く読み継がれ、多くの人に愛されてきた昔話や詩、俳句や和歌などの作品には、みがきぬかれた言葉や表現が使われています。作者がなぜその言葉や表現を選んだのか、声に出して読んでみると、わかってくることがあります。すぐれた言葉や文章を味わうことは、子どもたちの言語に対する感性を高めることにつながります。
(画像:『頭のいい子を育てる 名作おんどく366』)
古典や名作から学べること
また、作品の背後にある多様な文化や習慣、価値観などに触れることで、幅広い知識や教養もおのずと身についていくでしょう。都市国家として繁栄したアテネの人々は、子どもには必ずギリシア神話を読ませたそうです。
同じように、日本の古典や名作から、日本人が昔からたいせつにしてきた言語文化を体験することができます。万葉集や百人一首、古事記などを読むのもいいかもしれません。小さな子どもたちは、言語を意味がわかったうえで理解しているわけではなく、音やリズムとして、歌のようにとらえています。心地よい言葉の連なりを、素直に受け入れます。
(画像:『頭のいい子を育てる 名作おんどく366』)
音読というと、「早くひらがなや漢字が読めるようになる」ことを目的と考えてしまうかたもいらっしゃるかもしれませんが、読み書き・計算など、学校のドリルで測られるような認知的スキルを低年齢から早く教えたからと言って、優秀な人間になるわけではありません。それはすでにはっきりしている事実です。
これからの子どもたちにとって大事なのは、発想力や想像力、また最近「レジリエンス」という言葉が注目されていますが、失敗してもあきらめずに、冷静にどこまでできているのかを見きわめ、違う方法にトライするといった「非認知的な能力」です。
いろいろなことに興味関心をもてる子は、いい仕事ができる大人になるでしょう。名作の音読は、そうした子どもの世界を広げるきっかけになるはずです。
大人もかわりばんこに読むといい
家庭での音読は学校の宿題とは違います。小学校までは、ドリルを解くより、毎日どれだけ豊かに遊べるかが重要です。今の時代、楽しく遊ぶことはむずかしく、そのためには、とても頭を使わなくてはなりません。音読も、あくまで家族の中での楽しい遊びのひとつとして、習慣化するのがおすすめです。
親はついつい、じょうずに正確に読めるかに関心を向けがちですが、ちゃんと読めているかをチェックするのはやめましょう。子どもがつっかえたり、まちがっても気にせず、もしわからないようなら「●●だよね」と、さりげなく助け舟を出してやればよいのです。
読み方には人格があらわれるので、読み手が変わると、受けとる側の感じ方も変わります。いつも子どもだけに読ませるのではなく、「きょうはお父さんが読むぞ」「おばあちゃんの読む昔話はおもしろいね」など、ぜひ家族みんながかわりばんこに読みましょう。
NGワードは「もう終わっちゃったの?」
相手が一生懸命読んでいるときは、一息入れたときに相づちを打ちます。お互いの呼吸のリズムが一致するのが「気が合う」ということ。無意識にやっていることも多いのですが、タイミングが合ってくると、読み手はより気持ちよく語れます。講演や授業などでも、聞いている人の反応がなければうまく語れないのと同じことです。
できれば子どもと向き合って、聞いてあげてほしいところですが、忙しい日常の中で、いつもそうできるとは限りません。ただ、家事をしながらでも、少なくとも耳はかたむけてあげましょう。「あ、もう終わっちゃったの?」はNGワードです。
(画像:『頭のいい子を育てる 名作おんどく366』)
音読に限りませんが、子どもに学びを促すときには、「ダメ」に関わる言葉は決して使わないことです。
野球選手のイチローのお父さんは、息子がスランプで悩んでいるときに「悩むのは、そこまで進歩したからだ」と励ましたそうです。「きょうの読み方は心がこもっていたね」「前よりスムーズに読めていたよ」など、音読していること自体をほめ、前進していることを評価しましょう。
子どもは興味をもてば、教え込まなくても、なんでも自分から覚えていくものです。1日数分でいいので、音読をきっかけに、家族みんなが心を通い合わせるひとときをもてるといいですね。
東京大学名誉教授、白梅学園大学名誉学長
汐見 稔幸(しおみ としゆき)
1947年、大阪府生まれ。専門は、幼児・児童教育学、保育学、教育学。著書に『本当は怖い小学一年生』『「天才」は学校で育たない』(いずれもポプラ新書)など。
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