大切な人、大切な言葉を改めて感じる一曲。
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楽曲を作ろうと思ったときの思いを教えてください
曲を作ろうと思ったのは母への気持ちがとても強かったというのが一番です。母が亡くなり「前向きに頑張ろうと思った」とずっと言ってきましたし実際にそう思っています。でも正直、ふとしたときに「母に対して何もしてあげられなかった」ことが心残りだったと感じるんです。
家族は最期まで母に声をかけたりしていましたが、僕にはそういう時間がなかったんです。最後に実家に帰ったときも「バイバイ」ってお互い言い合うこともなく曖昧に終わってしまって…。LINEも母が亡くなる前日までしていたんですが、本当に日常的な会話でした。だから僕の心の中で感謝もそうだし本当に伝えたいすごく気持ちが溜まっていたんです。その気持ちをどうにかして母に伝えたいという気持ちが強かったことが楽曲制作につながりました。
仕上がった楽曲をご自身で聴いたときの印象は
今回、楽曲、MVなど全部に携わらせてもらいました。レコーディング後の微調整とかも全部隣でやらせてもらったんです。「ここでこういう音を入れて欲しい」などとリクエストして作っていきました。作業中は本当にいろいろやりたいことや修正したいところなどいろんなことがあってバタバタしていて、満足しきれない自分がいましたね。そういう過程を経て、完成した曲を聴いたときはなんて言ったらいいんだろう…自分の心の中に溜まっていた気持ち、悔いやもちろんプラスの気持ちも全部が爆発した感じでした。
編曲してくれた方と、お互い満足した表情で「うん、できたね」という気持ちを共有しました。満足感よりも「できた…」っていう感じでした。何かをやり遂げた後って「わ~できた!」という感情になるじゃないですか。でも今回は曲の内容もあるんですが「うん、よし」という決意みたいな。きっと喜んでくれるだろうなっていう勝手ながら満足感が大きかったですね。
その後MV(ミュージックビデオ)が完成した時は泣きました。号泣しました。MVも全部携わらせてもらったので、微調整をしながら何度も何度も観ているはずなのに、最後の最後、仕上がったものを観たときに泣きました。なんだかわからないけれど湧き上がる、母への気持ち、思い出が渋滞して、泣きました。
とても素敵なMVでしたが、撮影はソウルで行なわれたのですか
ソウル市内ですが、郊外です。監督さんとのミーティングで、僕のイメージしているこんな場所で撮りたい、こんなことをしたいということを話したら、監督さんが「日本で撮影しますか?」と提案してくれたんです。日本語の曲だし、母への想いがあるし、日本で撮影した方が映像の作品としてもいいんじゃないかと。ただ、時期的に新型コロナウイルスの問題で日本での撮影はできず…。監督さんが韓国で日本っぽいところを探してくださいました。SNSなどでMVを観てくださった方のコメントを見ると「日本みたい」と言ってくださる方もいらっしゃっいましたね。どうにかして、日本の雰囲気を出したかったという気持ちがみんなの中にありました。
MVでこだわったところを教えてください
これはもう、ありすぎるくらいたくさんあります。長くなりますけどいいですか?(笑)
まずは文字です。歌詞を家族の手書きにしました。曲自体が母からもらった手紙に返信する気持ちで作りましたし、家族それぞれが母に対しての想いがあるだろうと思ったんです。最近は携帯の文字をみて会話をすることが多い中、直筆だからこそ伝わることがあるんじゃないかなって。だからみんなに母への想いを込めて書いて欲しかったんです。手書きの歌詞にすることで、家族みんなからの「ありがとう」を伝えることができるかなと思いました。
もうひとつは「ただいま」の声。最初はこれも僕の小さい頃の声と今の声で「ただいま」と入れたかったんです。曲の始まりは一人の部屋に帰ってくる少し疲れたような今の僕の声の「ただいま」。曲の最後には家族や誰かが待っている部屋に帰ったときの小さい頃の僕の「ただいま」を入れて比較したかったんです。
なぜなら「ただいま」「ありがとう」「おかえり」「またいつでも帰っておいで」という母からもらった言葉がどれだけ僕の力になっていたかを思い知ったから。きっとみんなそうだと思うんですよ。親御さんがお子さんにいうときも想いがあって言うと思うし、すごく愛のある言葉だなと。小さい子は今分からなくても、大人になってみて、すごく愛のある言葉だったんだなって思い知ると思います。
だからふたつの声を入れたかったんですけど、僕の声を入れると気持ちが入りすぎて重くなっちゃうと思ったので、小さい男の子の声で「ただいま」という声を入れることにしました。
▲レコーディング中のワンカット
楽曲作成時の印象的なエピソードがあれば教えてください
この曲に関することはとにかく全てに携わらせて頂きました。僕が作りたい気持ちでお願いしたので、ミーティングや依頼、その他の連絡まで全部やりました。今回の楽曲の主旨をお願いしたい人に話すとありがたいことに誰も断る方がいなくて、逆に「やらせて欲しい」「やらせてもらっていいの」と言っていただき感謝しかありません。
曲に関しては、旧友で地元の友だちでもあるシンガーソングライターの沙夜香さん(Play.Goose)にお願いをしました。僕はさや姉って呼んでいるんですが、今までもずっと一緒に曲をやりたいと話していたんです。今回の歌詞を書いているときに、この曲をさや姉が作曲してくれたらいい曲になりそうだなと思って、すぐに連絡をしてお願いしたらふたつ返事でOKしてくれてありがたい限りです。
それと僕は作詞も未経験だったので、最初のうちは頭の中がごちゃごちゃになっちゃって大変でした。それで僕らの曲を作ってくれている方に連絡をして、書いた歌詞を送ってアドバイスをしてもらったんです。
これ初めて話すんですが、元々今、Bメロの歌詞って、元々Dメロの歌詞だったんです。要するに2番のサビが終わる前の歌詞だったのを、1番のサビが始まる前にもってきたんです。歌詞は同じなんですが入れる位置が変わりました。(編集部注:この時のKENTAさん手を上下に大きく動かしながら身振り手振りで一生懸命説明してくれました)
たくさんのアドバイスをしていただいたり、編曲も一緒にスタジオでやらせてもらったり、本当に想いがこもりすぎてる曲になっています。
あ、あと!バイオリンの音が入っているんですが、コンピューターで作る音だとイメージしていたものと違ったので、リモートでやりとりさせていただき日本の演奏家の方にお願いして生の音をレコーディングしていただいたんです。ギターも生の音をレコーディングしましたし、機械音じゃないことで、想いが込められたかなと思います。
本当にこだわりが詰まった曲ですね
作品を作ったりするときと違うこだわりが出ましたね。こうやったら母が喜ぶかな、聴いてくださる方に伝わるかな、というこだわりが強かった。日頃の作業では自分自身のこだわりが強い方なんですが(笑)、今回は相手を思うこだわりが詰まっています。
インタビューしながらKENTAさんの人に対する愛を随所に感じましたが、MVの手書きクレジットにもすごく愛を感じました。
今回の曲については、僕の状況をわかってくださる皆さんが僕をすごくサポートしてくださって、それがすごくありがたくもあり申し訳なさすぎて…。みなさんにお返しをしたかったけどできることがなかったんです。だからせめてクレジットで僕の気持ちや感謝を伝えたいなと思って、関わってくださった方のお名前を書かせていただきました。
きっと世の中のお母さんがみんな知りたいと思うのですが、KENTAさんみたいに育つにはどうしたらいいのでしょうか
ええ!僕にはわかんないです(笑)。僕、いい人みたいになっているけど、そんなことないんですよ(笑)。感情にストレートな人間なだけなんです。
ただ、ちょっと思うことは今って愛を感じられにくい世の中だなって思うんです。僕が小さいころは、外で遊ぶことも多かったし普通でした。僕が小さい頃ってまだ15年くらい前。人と接する機会がたくさんありました。近所のおじさんと挨拶したりとか。今ってそういうものがなくなったじゃないですか。SNSの発達や新型コロナのこともあって、人の温かさを感じる機会が減っているから僕は本当に嫌だな(※編集部注:顎に両手を当てて首を傾けながらとても可愛く)って思うんです。
SNSの発達はすごいことだし、SNSがあるからこそとれるコミュニケーションもたくさんあってありがたいんですが、僕が小さい頃感じていたあの感じ、知らない人と挨拶しただけで感じていた温かさ。今こそ愛をもって動いていかなきゃいけないなって。こんな時期だからこそ、大変な思いをしている人に対しても伝わるかなと思ってこの曲を書いたという気持ちもあります。コロナで家族や友達に会えなくてストレスを感じている人にもそんな気持ちが伝わって少しでも元気を出してくれたらすごくうれしいなと思っています。
小さいとき、どんな風に過ごされていたんですか
僕、3人姉弟なんですが、小さいときから母が苦労している姿をずっと見てきました。経済的にもだし体調の問題とかも。姉二人と僕なので小さいながらも男だから僕がしっかりしなきゃ!とずっと思っていましたね。姉とも年が離れているのでひとりで家にいることが多くて、友人の家でご飯を食べたりなど小さいときから、ひとりでいろんなところに行ったりしていました。
そんな風に過ごしてきたから社交的で人見知りせず、いろんな人に近づいていけるという性格になったのかなって。だからすごい感謝しています。色々な経験もできました。母はいつも僕を気にかけてくれていて「ごめんね」と声をかけてくれていました。忙しく働いていた母とは顔を合わせられないことも多かったから、いつも手紙を書いてくれていました。置き手紙やちょっとした手紙、いつも母が手紙で気持ちを伝えてくれていたんです。今回の曲も母からもらったたくさんの手紙を読み返しながら、返事を書くつもりで作りましたし、母が大変な中育ててくれたことで僕は本当に学ぶ部分が多かったですね。
母はいつも申し訳ないという言葉をかけてくれたし、自分は大丈夫だけど僕は大丈夫か、と声をかけてくれた。でもきっと全然大丈夫じゃなかったと思うんです。そんな気持ちが歌詞に込められています。
僕、18歳で家を出たんですが、実家に帰ることがほとんどなかったんです。自分のことに精一杯で…。ここ1年くらいは帰っていたんですが、母が亡くなったことで、家族の大切さを教わりました。これが母から教わった最後のことですね。これを教えてくれた母に対して感謝の気持ちでいっぱいです。
母が亡くなった後、父や祖母がすごく大変な思いをしていたのもあり、姉弟の絆がぐっと深まりました。長女は実家に帰って料理を担当、次女は雑務や祖母の手伝いをする、僕は役所などへの手続きをするなど、自然と姉弟間で役割分担ができていたんです。本当に絆が深まったんです。だから僕、人生で今初めて「家族に会いたい、すぐ会いたい」という気持ちになっています。最後まで母に感謝しかありません。
楽曲を聴いたり、MVを観てご家族の反応はいかがでしたか
姉と祖母が僕より泣いてました。泣きながら電話がかかってきましたね。仕上がる前の途中経過も送っていたんですが、その時点から泣いていたんです。姉は朝この曲を聴きながら泣きながら家事をしたそうです。そんな風に言ってくれて、歌詞に込めた気持ちが伝わったのかなって思いました。「曲を作ってくれてありがとう」って言ってくれてありがたかったです。
確かに何度聴いても泣いてしまう曲ですよね
うれしいです。そうやって聴いてくださる方たちにも気持ちが伝わっているのかなって思うとすごくうれしいです。ありがとうございます。これからも頑張ります、もっと!
終始、KENTAさんのお母さん、家族への愛や人柄に触れたインタビューとなりました。コロナが落ち着き日本での活動ができるようになるまでファンの方々が元気でいてくれることを願っていたKENTAさん。最後に動画メッセージとオンライン上でポーズをとっていただきました。
▲画面越しにカメラ目線でボーズをくださいとお願いしたところ「どんなポーズがいいですか?」とすぐに快諾してくださったKENTAさん。話題のチョロメポーズを頂きました!
サービス精神が旺盛で、どんなことにも一生懸命答えてくださるKENTAさん。約1年ぶりのインタビューとなりましたが、時間いっぱいまでたくさんのことを話してくださいました。KENTAさんご自身にどうしたらKENTAさんのような子に育つかを聞くというとんでもない質問にも笑顔で答えて頂きありがとうございました!
最後に、インタビュー終了後にKENTAさんが撮影してくださったWebDomani独占のセルカを公開!
デジタルシングル「またいつでも帰っておいで。」は好評発売中。家族のこと、大事な人のことを思いながら聴きたい一曲です。そしてJBJ95としての音楽活動も楽しみに待ちたいですね。そして、過去に行ったJBJ95のインタビューはこちらからチェックを!今度はぜひサンギュンさんと一緒にご登場いただけることをお待ちしております!
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取材・文/岡野亜紀子