他力本願とは
他力本願とは、「たりきほんがん」と読みます。自分の力でなく、他人の力によって望みを叶えようとするという意味です。
仏教用語が由来で、もともとは阿弥陀如来の本願によって極楽往生を得るという意味でした。そのため、現代の意味は誤用ともいわれています。
本記事では、他力本願の言葉の由来や、現代の意味について解説します。
■言葉の由来
他力本願とは、もともと浄土教の仏教用語です。阿弥陀如来の立てた本来の願いにすがることで救済され、極楽往生を得ることを表します。
浄土真宗の宗祖とされる親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、「他力といふは如来の本願力なり」という言葉を残しています。ここで「他力」とは仏の力のことであり、阿弥陀如来の慈悲の働きという意味です。
■現在の意味は誤用されている?
“仏の力”という意味があった「他力」は、現代では“他人の力”と解釈され、他力本願は自分で努力をせずに、他人の援助をあてにするという意味で使われています。
日常会話ではほとんどが現代の意味で使われていますが、これは誤用です。一般的には誤用されている意味が定着していますが、本来の意味は違うということも覚えておきましょう。
たりき‐ほんがん〔‐ホングワン〕【他力本願】
1 《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
2 《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
他力本願の例文
他力本願の例文を、一般的な意味と本来の意味に分けてみていきましょう。
(一般的な意味)
・他力本願のままでは、いつまでたっても本当の実力が身につかないだろう
・敗戦が続いて、今シーズンの自力優勝は難しくなった。他力本願で他のチームが負けてくれることを願うしかない
・他力本願の考え方をしていては、今後も昇進は望めないだろう
・自分だけで解決しようとしてもうまくいかないことがある。たまには他力本願になることも必要だ
(本来の意味)
・極楽浄土を目指すには、他力本願で阿弥陀如来を信じることが大切だ
・浄土真宗では、他力本願の本当の意味は阿弥陀仏の慈悲の働きであるとしている
・日頃から他力本願で仏になれるよう願うことが、救いへの道となる
他力本願の類義語
他力本願の現代的な意味には、いくつかの類義語があります。他力本願とよく似た言葉を覚えておけば、状況によってより適切な表現ができるでしょう。
類義語には、以下の言葉があげられます。
・人任せ(ひとまかせ)
・丸投げ(まるなげ)
・無責任(むせきにん)
どれも他力本願と同じく他人の力をあてにするという意味合いですが、使うシーンは異なります。それぞれの意味や例文をみてみましょう。
人任せ
人任せは、自分のことを自分で行わず、他人に押し付けることです。「他人任せ(たにんまかせ」ということもあります。ほぼ他力本願と同じ意味で使われる言葉です。
(例文)
・彼は何事も人任せにできない性分で、すべての企画案や資料には目を通すようにしている
・何事も人任せにしていると、いざというときに適切な対応ができなくなる
丸投げ
丸投げとは、本来自分が行うべき仕事などをそのままほかの人に任せることです。また、建設業などで発注者から仕事を請け負った元請けが、下請けに仕事を丸ごと依頼することを指す場合もあります。