人を豊かにし、自我を支える恋愛。多様な人が幸せをかなえられる社会へ
小学生の頃、好きな男の子がいました。憧れのようなものだけれど、私は当時、そうした気持ちをどうしてよいかまるでわかりませんでした。子どもには、人に認められたい、気にかけてほしい、という自然な欲望があります。その願望は育つ過程でむくむくと大きくなりますが、行き場がなくなってしまうことも多々あります。今だからこそ、笑って振り返ることができるそんな時期も、当時は真剣そのもの。
小学1年生になった娘がこれから同じ道を通っていくのだと考えると、「○○ちゃんがずっとこっち見ていたのよ」とか「○○ってすっごく乱暴なの」などたわいのない報告にこちらの心も揺れ動きます。 好きになる、ということは無防備に自分を晒すことでもあります。人びとは恋愛を通じて「認められたい」「自分は大事な存在だ」というコアな欲求を満たし、自己の確認を行っているからです。 もしも、その恋愛対象が異性ではなくて同性だったら。きっとその人は自己を育てていく恋愛のプロセスに大きな困難や壁を感じてきたはずです。例えば、異性愛者が大多数であるために、恋愛感情に気づいてもらえない、あるいは拒絶される。自分の恋愛対象を友達に打ち明けたときに共感してもらえない。
イラスト/本田佳世
日本文学研究者のロバート・キャンベルさんがブログ記事で自分の体験を告白したあと応じたインタビューで、これまで「無意識に自分の中に、外からの衝撃を和らげる『生け垣』のようなもの」を作りあげていたけれども、告白を通じて「心の中の膜が一枚」とれたような感じだと話していました。キャンベルさんの愛するパートナーは男性。ただ、キャンベルさんのような自然体の告白までたどり着くことを阻んでいるのが、「性」について語りにくいこの社会。日本社会は、人と違う部分があると腰を低くしていないと叩かれる側面もあります。
最近、日本でとある政治家がLGBTの人びとは「生産性がない」と発言して炎上しましたが、言葉の選び方や事実誤認や、あるいは婚姻制度をめぐる論点など一切合切をとりあえず脇において、気になった点がありました。この人は、結婚は子作りのため、恋愛のことは珈琲みたいな嗜好品として捉えているんだろうか、ということ。 人間にとって恋愛というのは単に趣味や嗜好の問題ではなくて、自己を形作り、育てていくための大事なものです。それなのに、件の政治家にとっては、子供を作るための単なる通過地点として捉えられているようなのです。「イエ」を守り「子育て」をする。そういう生き方を否定する気は毛頭ありません。けれども、恋愛がいかに人を豊かにし、自我を支えるか。それを考えれば、もっともっと、人を愛するということを学校の時代から考え、話し、解きほぐしていく手助けを与えていくべきなのではないでしょうか。
日本の学校が子どもたちに求めてきたのは、模範生であり、「汚れた」ことをしないこと。性を語るときには子どもを産むための機能と、その器官を大事に清潔にしておくことだけを教える。 実は、性が恥ずかしい、ふしだらなことだと思えば思うほど、男性は女性を大事にしなくなります。付き合っていてもです。子どもを産む「母親」としての女性だけが、保護に値するのだという考え方になるから。「保護」とは母体を経済的に養い庇護すること。とすれば、お見合いで構わない。私たちは一体なんのために恋愛をするのでしょうか。 数年前にアットホームな結婚式を挙げたルクセンブルクのベッテル首相(男性)の配偶者は、ベルギーの建築家の男性です。公式行事でさわやかにファースト・ジェントルマンを務める彼を見つめる首相は、実に幸せそうです。自分を大事にし、自分が愛する人を大事にする。その結果子供を産み、あるいは育てたいと望むのも、素敵なことです。そういう考え方こそが、女性も、男性も、トランスジェンダーの人も、同性愛、バイセクシャルの人びとも皆が生きやすく、幸せをかなえられる社会を実現するのではないでしょうか。
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国際政治学者
三浦瑠麗
1980年生まれ。国際政治学者。東京大学農学部卒業。東大公共政策大学院修了。東大大学院法学政治学研究科修了。法学博士。現在は、東京大学政策ビジョン研究センター講師、青山学院大学兼任講師を務める傍ら、メディア出演多数。気鋭の論客として注目される。
Domani11月号 新Domaniジャーナル「優しさで読み解く国際政治」 より
本誌取材時スタッフ:イラスト/本田佳世 構成/佐藤久美子