簡単に「生産性」と言うけれど、言葉の正しい使われ方、知ってますか?
「日本の労働者は生産性が低い」とか「社員の生産性を上げない会社は生き残れない」とか……近年急速に注目されているのが「生産性」。みなさんも、ビジネス誌で、セミナーで、会議で、耳にする機会が多いのでは? しかしこの生産性という単語、ビジネスシーンではかなり間違った使われ方をしているようです。
生産性の中でも、もっとも単純なものが「労働生産性」です。一企業の労働生産性は、その会社の稼いだ利益(正確には粗利)を従業員の総労働時間で割って求められます。
製造業の現場では、この労働生産性を左右するのは機械の質と量ということになります。一方で、管理部門や製造業以外の業種での労働生産性はどのように決まるのでしょう。個々の労働者の能力や努力こそが労働生産性を決めるのだから、もっと自己研鑽を積んで能力を上げ、ハードに働き労働生産性を上げよう……という結論は必ずしも正しくありません。
日本国内の生産性が上昇したのは、労働者の能力向上ではなくて…
日本国内の生産性が劇的に上昇したのは昭和30年代。つまりは高度成長の時代です。この時代の平均的な経済成長率は10%(!)ですが、その成長の6割は生産性向上によるとされています。この劇的な生産性革命をもたらしたものは何か。労働者の能力向上ではありません。どんなにすごい教育をうけても年率で6%も人の能力が上がるはずはありません(年に6%能力が向上していくと、12年でその人の能力は2倍になる計算です)。
その主因は農村部から都市部や工業地帯への人の移動でした。つまりは、当時生産性が低かった農村部で働く人が減り、生産性の高い都市部・工業地帯で働く人が増えたことで日本全体の平均的な生産性が上がったのです。
人の能力が変わらなくても、その人がよりその実力を発揮できるポジションに異動すれば平均的な生産性は上がるということ。あなたの会社の生産性が低いのは、それぞれの適性に見合った人材配置ができていないからではないですか?
さらに、生産性は企業の利益・儲けを働いた時間で割ることで求められます。あなたが一生懸命勉強して会議資料作成のスピードが劇的に上がっても、その会議が企業の利益を増加させないならば、その「能力向上」は生産性にまったく貢献しません。どんなに商材をたくさん売り上げても、利ザヤが薄ければ生産性はそれほど高まらないでしょう。自社製品をより高く売る、より利ザヤの得られるビジネスモデルを構築することこそが生産性を向上させるのです。
適性に見合った人材配置、できてますか?
人材の適材適所、社のビジネスモデルの構築が生産性を決めるということは、それってつまり、従業員の生産性が管理職の、それもかなり上の管理職の能力で決まってしまうということではありませんか!
「生産性が低い」「生産性を上げろ」と言われたら、「大賛成です! 社長にもっと努力するように言っておいてください」と返しましょう――って、なかなか言えないですけどね。「生産性」という単語の氾濫を憂えつつ、私は今日も大学の会議とその準備に忙殺されております。
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経済学者
飯田泰之
1975年生まれ。エコノミスト、明治大学政治経済学部准教授、シノドスマネージング・ディレクター、内閣府規制改革推進会議委員。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。わかりやすい解説で、報道番組のコメンテーターとしても活躍。
Domani1月号 新Domaniジャーナル「半径3メートルからの経済学」 より
本誌取材時スタッフ:構成/佐藤久美子