舞台を降りて新しい世界に飛び込むまで。さまざまなタイミングが重なり今がある
誰しもができるわけではない“新人公演主演”を3度経験され、舞台を重ねるごとにぐんぐん大きな存在になっていった鳳さん。役を生きているかのような演技巧者で、観客を引き込むステージを魅せてくれました。だからこそ、男役として早いと感じる時期の退団に驚く人が多かったように思います。
▶元宝塚歌劇団男役が11年間在籍していた花組の変革期に立ち合って感じたこと|鳳真由さんスペシャルインタビューvol.1
研11(入団11年目)で退団されたことにとてもびっくりしました。その頃の気持ちの変化をうかがえますか?
鳳さん(以下敬称略):うーん、年齢の節目ということもありましたね。当時のことを振り返ってみると…、家族の言葉もありますね。もちろん応援してくれていましたが、冷静な視点でのアドバイスがありました。両親から「研1・研3・研5を節目に、自分が与えられた役割を果たせてないと思ったら他の道も考えなさい」とずっと言われていたんです。
バウホール公演の『蒼いくちづけ』や大劇場公演『太王四神記』の新人公演で2番手の役をいただいて、自分では思わぬところというか…その役をいただくには程遠いと感じていて納得がいっていなかったんですね。周りの環境にはとても恵まれていて、新公学年内に朝夏まなとさん、望海風斗さん、瀬戸かずやさんなど素晴らしい方がたくさんいらっしゃり、下級生では柚香(光)や水美(舞斗)がぐんぐんきていた頃。自分に与えられたことをこなすのに精一杯だったけれど、そんな状況の中だから自分の感情はさておいて頑張ることが当たり前で、辛いとか苦しいとかは思いませんでした。
でも新人公演を卒業してふと立ち止まった時に、「私はこのまま上を目指すことに対してやる気があるのかな」と。芹香(斗亜)も組替えしてきて、見つめ直す時期だったんだと思います。そんな時に母方の祖父の具合が悪くなり、病室にお見舞いに行ったんですね。祖父は医学系の仕事をしていたのですが、なんとなく…、「大学に行くってどうなんだろうね」という話をしたんです。祖父の反応は鈍くなっている頃だったのですが、その話をした時はすごくちゃんと聞いてくれて「すごくいいと思うよ」と。そこで背中を押された部分が大きかったですね。30歳を節目に、新たな道に進んでみようかなと思い始めました。
大学受験は大変でしたか?
鳳:社会人が通える、いい予備校にめぐり合えたんです。数学、生物、英語、小論文で個別の先生がつき、リモート授業をしてくれました。退団後の1年は大学受験期間でもありましたが、イベントに出たり、人生初のアルバイトをしたりしていたので。いろんな職種を経験してみたくて、飲食、医療系、アパレルなど3つくらいかけもちしていた時期もあったんですよ(笑)。その合間での勉強になるから、リモート授業は本当に助かりましたね。
その予備校にしたきっかけは実家に届いたダイレクトメールで、実はまだ在団していた時だったんです。予備校側に「私は今、こんな舞台に立つ仕事をしていますが、今後こんなことがやりたくて大学受験をしたいのでよろしくお願いします」と伝えたところ、予備校の先生方がタカラヅカを観に来てくださって。轟 悠さん主演の『リンカーン』でした。そこで先生方がたぶん「この人(タカラジェンヌ)たちはきっと舞台が生活のメインなんだな」と察して、私に合わせた指導をしてくださったと思っています。例えば英語の長文読解は、英文の訳じゃなくて物語を読んじゃうんですよね。「え、こんなことになってるの、おかしくない?」みたいな。そこで「変な生徒だな」と思わず、「そんな捉え方もあるのは面白いね」と寄り添ってくださったり。先生方とは、いまだに交流があるんですよ。