頭の9割を占めていたのは、「いかにハッピーに子育てするか」
──吉田さんは、20代のときからバイオリニストとして海外で演奏活動を続けてこられましたが、Domani読者世代と同じ30代後半はご自身にとってどんな時期でしたか?
26歳までアメリカで暮らして、イギリスを経て、日本に戻ってきたのですが、そこからは目の回るような忙しさで。全国で公演があったので、週5で羽田を通る、トランプができそうなくらい新幹線のチケットを持っている…みたいな生活を送っていました。
それが37歳で娘が生まれて人生が一変。小さなころから好きな音楽を勉強してきて、大学を出てそのまま留学をして、デビューの話をいただいて…、何の仕事をしようとか、将来は子供をもちたいなとかじっくり考える機会もなく自分の時間で生きてきたものですから、子供がひとり増えるだけでこんなに生活が変わるんだ! 働きながら子育てをしている方はこんなに大変なんだ…と気づかされましたね。
──それだけハードなお仕事ですから、出産後の公演活動はしばらくセーブされていたのですか?
いえ、それが間もなく復帰して、娘を連れて地方公演にも行っていたんです。幼稚園に入る前にはシッターさんに同行してもらって。諸々経費を考慮すると、何のためにお仕事をしているんだろう?という時期でしたね。
ただ、やめるなんてことはまったく考えなかったんです。いかに自分がハッピーに子育てをするかということで頭の9割を占めていた気がします(笑)。出産後って、ホルモンの変化でわけもなく悲しくなってしまうこともあるし、夜にコンサートが多いからゆっくり眠れないことも日常茶飯事。とにかく自分が舞台でハッピーに弾けないと関わるすべての人に支障が出てしまうので、ストレスためずに楽しく過ごせるかどうかはすごく大事にしていましたね。
夜寝てくれなかったら私が眠れなくて苦しいな、寝てもらうには日中たくさん遊ばせようとか。明日は練習したいから、その時間どうやって飽きないようにしようかとか。あとは、粉ミルクは何でも飲めるように慣らす、誰が抱いても笑う子になるようにいろんな方に抱っこしていただく、といった対策も。預かる人や遊びに来た人が子供の相手をするときに大変にならないようにしておくと、みんなに面倒を見てもらえますから。
──たしかに!子育てで頼れる味方が増えますし、子供にとっても過ごしやすくなりそうです。そういった対策は参考にされたスタイルがあるのでしょうか?
当時、たまたま赤ちゃんの音楽教育を研究されている先生と対談して教えていただいたり、祖母に薦められたベストセラー『幼稚園では遅すぎる』を読んだりして、どうやら教育のベースは3歳・4歳くらいまでが勝負なんだなと感じて。あとはベルギー、スイス、アメリカなど海外滞在時に、子だくさんの家庭にホームステイする機会が多かったので、よく見て刷り込まれていた部分もあると思います。
ただ、ある方に「一つ二つ三つ、四つ、五つと『つ』で数えられるまでは両目を開けて育てて、十からは見えてても片目をつぶって育てるもの」と言われて、3歳のころに「まだ片目つぶれるまで7年もある!」と呆然とした記憶はあります(笑)
自分の中に言葉をたくさんもっていることで、想像力も発揮できる
──娘さんの吉村妃鞠さんは、10歳にしてすでにプロのバイオリニストですが、漢字も得意だそうですね。4歳のときには、日本漢字能力検定の9級を国内史上最年少で満点合格されたとか。
彼女がひとりで何でもできるようにしようと思って、そのためには活字が読めないといけないなと。ルビのある絵本で育てていました。宿題のドリルひとつやるにも、「どういう意味?」とその都度聞かれると大変ですよね。自分で読めれば、自分で調べられるだろうと。そうしたら、今は本当に自立してしまって、もうちょっと聞いてくれてもいいのにと親としてはさびしいくらいです(笑)。
──音楽で表現するうえでも、言葉は大事なものなんでしょうか?
そうですね。私自身は、音楽って〝世界共通言語〟だと思っているのですが、想像力も必要。今はいない、100年、200年前に作曲家が残した楽譜を聴く人に伝えるのが、演奏家の仕事です。表現したいときに自分がどう思っているかストレートに言えないと、一緒につくり上げる人にも伝わらない。そのためにも、自分の中に言葉がたくさんあるかどうかはすごく大事で、識字教育は早くからしたほうがいいなと思っています。
多感な時期の子供にこそ音楽を。大人が汗をかいて一生懸命に弾く姿を見せる
──30代から40代にかけてはキャリアの方向性に悩む方も少なくありませんが、吉田さんは何か壁を感じたことはありますか?
年齢で現役寿命がある職種ではないので、特に感じたことはなくて。音楽家の中には、60代はもちろん、80代の現役の方もいて。たとえば弦楽器職人として有名な、アントニオ・ストラディバリ。1644年に生まれて90歳まで生きた人ですが、世界で素晴らしいと言われている名器って彼が70代以降につくったものがほとんどなんですね。
──一般的な会社勤めならもう定年して引退しているような年で、ピークを迎えているんですね。
そうなんです。指揮者でも30代だとまだまだで、40代、50代になってやっとキャリアが熟成してくる。そういう人たちが身近にいるから、ただ技術があるだけではダメで、人として何を理解して、経験して、そして受け入れられるのかという部分で深まっていくものなんだろうなと感じています。
──ご経験という面では、20代の頃から音楽を通じて子どもの感性育成やチャリティ活動を続けていらっしゃいますが、何か始めるきっかけがあったのでしょうか?
これは本当に人との巡り合わせなんですけれど、企業のCSR活動の一環で声をかけていただいたり、私の小学生時代に担任だった恩師が公立学校の校長先生になっていて相談を受けたり。
多感な時期の子供には、言葉で言っても聞く耳をもたないことがありますよね。そういう時期に、音楽って「ちょっと人に優しく」とか、「何かやる気を起こしたい」とか、変化のきっかけになる。私にできることで何か力になれたらという思いでした。子供たちとの触れあいだけでなく、地方に演奏に行って、地元の方々とお酒を飲みながら地域の課題をどうするかワイワイ話し合ったのも楽しい思い出ですね。
──子供たちに音楽の魅力を伝えるうえで、大事にされていることはありますか?
悲しいことに今は音楽の授業でもクラシックとの接点が減っているので、バックグラウンドを知らないと、ただ難しい曲に感じてしまう。一緒に考える時間をつくって、紐解いてから演奏するようにしています。
たとえばベートーヴェンの話をするときに、「彼は耳が聴こえない状態で曲をつくっていた。目が見えないで絵を描くと想像してみたらどう?」と投げかけてみる。さらに、「一度絶望して命を絶とうと思ったけれど、その後書いた曲が後世にたくさん残っている」「母国ドイツだけに受け入れられるんじゃなくて、200年以上たった今でも、世界中の人が彼から勇気をもらってるんだよ」と聞けば、人間の精神力の強さや可能性を知ることができますよね。
──子供たちの反応はいかがですか?
目の輝きが変わりますね。「まったく期待してなかったけど面白かった」なんて感想をもらうこともあります(笑)。他には、「受験でレスリングをやめていたけど、今日もう1回レスリングを頑張ってみようと思った」といった声や、不登校で教室に入れなかったような生徒さんが「聴きたい」と参加してくれて、それがきっかけで、数年後に服飾デザイナーになったというお話もありました。音楽で何か目に見えないものが動いて、喜んでもらえると、私も救われますね。
今の子たちは、大人が目の前で何かを一生懸命やっているところや、古いものも大切にしているところを見たことがあまりない。だからなのか、小学生から「どうせ大した人間になれないけど、とりあえず子供がひとり欲しい」「とりあえず食べていけるサラリーマンになる」と言う子も珍しくなくて。何かに必死に打ち込むのが恥ずかしいという感情もあるんだと思います。そういうときに、間近で汗かいて真剣に楽器を弾いている大人を見るだけでもいいんじゃないかなと。自発性って生きていくうえで、すごく大事。自分の意思でやらない限り本物にはならないから、人に何かを与えたりできないと思っています。
インタビュー後編のテーマは、子供とのコミュニケーション。実の娘で10歳の天才バイオリニスト・吉村妃鞠さんとの「目からうろこ!」なエピソードも盛りだくさんです。(つづく)
▶︎インタビュー後編
撮影/石田祥平 ヘア&メイク/久保フユミ(ROI) 構成/佐藤久美子
バイオリニスト
吉田恭子(よしだ・きょうこ)
東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部を卒業後、文化庁芸術家海外派遣研修生として、英国ギルドホール音楽院、米国マンハッタン音楽院へ留学。巨匠アーロン・ロザンドに師事。世界各国の音楽祭に参加し、数々の賞を受賞。国内でも全国各地でリサイタルを行うほか、子ども達と自然・エコロジー・チャリティー活動に従事。また地域社会の活性化と福祉の精神を目的に、全国の小中学生に向けて「ふれあいコンサート」シリーズを2003年よりスタートさせ、これまでに約380公演、8万名以上が参加している。2011年より開催のYEKアカデミー「若い芽のアンサンブル in 軽井沢」実行委員長。桐朋学園芸術短期大学非常勤講師。