■クレオパトラと関係があったとされる
カエサルは、エジプトの絶世の美女として知られるクレオパトラとも関係があったとされています。
当時、クレオパトラとその弟が対立し、エジプト王家の内紛が勃発していました。カエサルは劣勢であったクレオパトラを救うためにエジプトを訪れ、その後クレオパトラはカエサルの子を産んだといわれています。
「ブルータス、お前もか」以外のカエサルの名言2つ
「ブルータス、お前もか」以外にも、カエサルは数多くの名言を残しています。ここでは、代表的な以下の2つをご紹介します。
1.来た、見た、勝った
2.賽は投げられた
1.来た、見た、勝った
「来た、見た、勝った」は、カエサルが西アジアの一部であるアナトリア地方のポントス王を討った際、友人に宛てたとされる手紙の文章です。非常に簡潔明瞭な手紙の例とされます。
「ブルータス、お前もか」と呟いた年の3年前の紀元前47年、カエサルはエジプトからローマに帰る途中、現代のトルコにあたるポントス西部の都市ゼラでポントス王と戦います。
4時間ほどの戦いでカエサルが率いるローマ軍が勝利をおさめ、その後カエサルはローマにいる友人に上記の手紙を書きました。カエサルはラテン語散文の名手としても知られ、簡潔明瞭な文章を書くことで知られていました。
2.賽は投げられた
カエサルの名言として有名なものに、「賽は投げられた」という言葉もあります。かつては協力者であったポンペイウスに出し抜かれ追い込まれたカエサルは、軍隊を率いてルビコン川を渡ります。
当時、ルビコン川はローマと他の地域の領土の境界にあたり、武装したままローマ川を渡るのは禁止されていました。しかしカエサルはそのルビコン川を、元老院側に宣戦布告する意味で渡ったのです。
このときカエサルは、もう後戻りはできないという意味で「賽は投げられた」と言ったとされます。「賽」とはサイコロのことであり、一度投げたサイコロの目はもう元には戻せないことに由来しているといわれています。
「ブルータス、お前もか」の意味をおさえよう
「ブルータス、お前もか」とは、ローマの政治家カエサルが、暗殺者のなかに信頼していたブルータスの姿を見つけたときに呟いたとされる言葉です。その後、想像もしていなかった裏切りに驚き、嘆く言葉として広まりました。
カエサルはその他にもいくつか名言を残しており、代表的なものは「来た、見た、勝った」や「賽は投げられた」などです。「ブルータス、お前もか」の意味と一緒に、これらの名言もセットで覚えるとよいでしょう。
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