宮沢賢治ってどんな人?
宮沢賢治は1896年に岩手県稗貫(ひえぬき)郡花巻町(現在の花巻市)に誕生しました。いわゆる凝り性な少年で、「石コ賢さん」と呼ばれるほどの石好きでした。それは生涯にわたり、鉱物、化石、地質、土壌、花壇設計、肥料設計と対象は変わっても、すべて「石コ賢さん」の発展形です。学業が優秀であったところにも凝り性の一面が見えます。
さらに「法華経」を信奉していました。鉱物採集に山野を歩き回っていた時に、自然との融合感を体験し、宗教的な宇宙観が形成されたといわれています。
詩と童話
宮沢賢治は多くの詩や童話を遺してしています。その中で、詩のことを「心象スケッチ」と呼んでいます。「心象スケッチ」とは、ただ単に一人の人間の心のうちを描くという意味ではありません。心象とは宇宙や無限の時間につながるものであり、人間の心象を描くということは、個人的なものを超えて普遍的なものをスケッチすることだと賢治は考えていました。
宮沢賢治の詩や童話の大きな特徴は、作品から視覚的イメージを喚起されることです。なぜなら、それは文字から聴覚的な美しさを読み取れるので、想像力をふくらませることができるから。詩や童話から心にしみる言葉の数々を紹介します。
詩(心象スケッチ)
1:『雨ニモマケズ』
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
宮沢賢治の代表作といえば、こちらでしょう。しかし、この詩は没後、遺品のトランクから発見された手帳に書き留められていたものです。
2:『春と修羅〔無声慟哭(永訣の朝)〕』
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
高校の国語の教科書で見た、という方も多いのではないでしょうか。とし子は賢治の二歳年下の妹。賢治の最大の理解者でもありました。
この詩の中で賢治は、妹の死とそれが自分にとって持つ重みをうたっています。言葉の背後には、法華経的な仏教観と賢治特有の宇宙観がありますが、言葉そのものからストレートに、賢治の思いが伝わってきます。
童話
1:『銀河鉄道の夜』
「たゞいちばんのさいはひに至るために いろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
誰かの幸いのために何をしたらよいのかを悩むジョバンニに、青年がかけた言葉。悲しいことも、これから来る一番の幸せのために必要なことなんだ、という前向きになれる言葉です。
「ほんたうにみんなの幸のためならば 僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」
愛し愛される経験があるからこそ、「みんなの幸」を求めようと決意できたカンパネルラ。本当の幸せは愛する者と過ごす時なのだ、と教えてくれる一文です。また、自分よりも周囲の幸せを願った、宮沢賢治の本質がよく表れています。
2:『ポラーノの広場』
ぼくはきっとできるとおもふ。なぜならぼくらがそれをいま かんがへているのだから。
こちらも東日本大震災の際、被災者によく読まれた一文。「できる」と思っていれば叶う、という勇気を与えてくれる言葉です。
3:『風の又三郎』
本当に男らしいものは、自分の仕事を立派に仕上げることをよろこぶ。決して自分が出来ないからって人をねたんだり、出来たからって出来ない人を見くびったりしない。
いつも学校の先生にこう言われている、と、小学生の男の子が又三郎に話します。この台詞を小学生の男の子に言わせるところが素敵ですね。「男らしさ」にこだわらず、人として胸に刻みたい言葉です。
芸術論
宮沢賢治は詩や童話の他に、数少ない芸術論もあります。その中からも名言を紹介します。
1:『農民芸術概論綱要』
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。
人は個人の幸福を求めがちですが、賢治は世界全体の幸福を、さらに、もっと広い宇宙や生命という観点からものを見ていたのでしょう。
永久の未完成これ完成である。
私たちは、どんな問いにも答えがあると思い、すぐにその答えを求めてしまいます。しかし賢治は、最終的に「答えを求めなくてもよい、わからないことはそのままでよい。むしろ、それを問い続けていくことこそが完成だ」と考えたのでしょう。
まとめ
宮沢賢治の世界観には、宗教・科学・芸術の要素が組み合わさっています。それがスケールの大きな作品につながっているのです。100年近く前に書かれたものですが、今読んでも心に響くものがあります。今回は断片的な紹介でしたが、ぜひ全体も読んでみてください。
監修
武田さゆり
国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
ライター所属:京都メディアライン