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2023.03.18

【馬の耳に念仏】とは?詳しい意味から由来、使い方まで解説

馬の耳に念仏とは、他人の意見に耳を貸さないことや、ありがたみを理解しないことを意味します。ビジネスシーンなどさまざな場面で登場しますが、目上の人には使えないため注意しましょう。この記事では、馬の耳に念仏の意味や由来、正しい使い方などを解説します。

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馬の耳に念仏とは?意味や由来を解説

馬の耳に念仏とは、他人の意見や忠告を聞こうとしない人に対して使われることわざです。中国で活躍した詩人・李白の詩に登場する言葉が由来になったとされています。

お坊さんが馬の前で念仏を唱える様子 イラスト

まずは基礎知識として、馬の耳に念仏の意味や由来、似ている「馬耳東風」との違いを見ていきましょう。

■意見や忠告を聞かないことを表す言葉

馬の耳に念仏とは、他人の意見や忠告に耳を貸さず、ありがたみを理解できない人のことです。辞書では以下のように説明されています。

【馬の耳に念仏:うまのみみにねんぶつ】
馬にありがたい念仏を聞かせても無駄である。いくら意見をしても全く効き目のないことのたとえ。馬の耳に風。馬耳東風。

(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)

念仏を唱えても、相手が馬では念仏のありがたみがわからないでしょう。馬の耳に念仏は、親切なアドバイスに耳を貸そうとしない人や、助言をもらってもまったく効果がない人などを、念仏を理解できない馬にたとえた表現です。

■「馬の耳に念仏」は李白の詩に由来する

馬の耳に念仏の由来は、中国最大の詩人の一人である李白の詩とされています。優れた詩を理解できない人々への憤りを込め、李白はある詩の中で「東風の馬耳を射るが如き有り」という一文を詠みました。

東風とは、東から吹く春風を表す言葉です。「優れた詩を読んでも、馬の耳に春風が吹くように聞き流される」といった李白の心情が読み取れるでしょう。

この一文から生まれたのが、「馬耳東風(ばじとうふう)」という故事成語です。日本に伝わると、馬耳東風は「馬の耳の風」という表現に変化して浸透しました。のちに風が念仏に言い換えられ、「馬の耳に念仏」と表すようになったとされています。

■「馬の耳に念仏」と馬耳東風の違い

馬の耳に念仏は馬耳東風から派生した表現ですが、両者は完全に同義というわけではありません。馬の耳に念仏には、ありがたい意見や忠告に耳を貸さない愚かな様子といったニュアンスが含まれます。

一方で、馬耳東風は相手を批判する意味合いを持ちません。相手が貸す耳を持たない点は似ているものの、単に聞き流されるといったニュアンスのほうが強めです。辞書での説明も参考にして、両者のニュアンスの違いを理解しておきましょう。

【馬耳東風:ばじとうふう】
馬の耳に東風が吹いても馬は何も感じないように、人の意見や批評などに心もとめず、聞き流してしまうこと。何を言ってやっても少しもききめのないことのたとえ

(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)

「馬の耳に念仏」の使い方と例文

馬の耳に念仏は批判的なニュアンスを含む言葉であり、使える場面が限られます。誤った使い方で失礼な印象を与えないように、正しい用法と例文を確認しておきましょう。

部下に指摘をする上司のイラスト

■相手を批判する際に使うのが基本

馬の耳に念仏は、ありがたい意見や忠告を聞き入れない人を批判する際に用いる表現です。具体的には、「何を言っても無駄である」「話を聞き入れない愚かな人」といった意味合いがあります。

たとえば、親身になってアドバイスをしたにもかかわらず、相手に受け流された際に使うのが適切です。

ただし、馬の耳に念仏を目上の人に対して使うのは誤用とされています。なぜなら、念仏はお坊さんが唱えるありがたいものであり、目上の人が話し手、目下の人が利き手となるためです。

目上の人に対して使うのは無礼とされているため、間違った使い方をしないように注意しましょう。

■「馬の耳に念仏」の例文

馬の耳に念仏の使い方を理解するためには、具体的な例文をチェックしておくことが大切です。ここでは、馬の耳に念仏を使った例文をいくつかご紹介します。

【例文】
・彼女にどんなアドバイスをしても馬の耳に念仏である。
・馬の耳に念仏になるかもしれないが、一応忠告しておこう。
・何度も確認するように注意したが、馬の耳に念仏だった。
・高額なレッスン料を支払ってセミナーに参加したが、私には馬の耳に念仏だったようだ。

 

馬の耳に念仏の類義語2つ

馬の耳に念仏には、同じように動物を表す漢字を使った類義語がいくつかあります。たとえば「犬に論語(いぬにろんご)」は、どのような道理を説いても無駄なことを意味することわざです。

豚の貯金箱と真珠のネックレス

また、「猫に小判(ねこにこばん)」は、ありがたみや価値がわからない人に高価なものを与えても意味がないことを指します。どちらもポジティブな意味を持たないため、使う際は場面を選ぶ必要があるでしょう。

その他の類義語については、次項から詳しく解説します。

1.豚に真珠(ぶたにしんじゅ)
2.対牛弾琴(たいぎゅうだんきん)

1.豚に真珠(ぶたにしんじゅ)

豚に真珠とは、新約聖書の一節に由来することわざであり、価値を理解できない人に貴重なものを与えても無意味であることを表します。なぜ豚という漢字が使われるのかというと、イエス・キリストの時代において、豚は不浄な動物とみなされていたためです。

不浄な動物に貴重な真珠をあげても意味がないことから、「価値がわからない人にとって高価なものは無駄である」という意味で用いられるようになりました。

【豚に真珠:ぶたにしんじゅ】
豚に真珠を与えても意味がない。価値のわからない者に貴重なものを与えても何の役にもたたないことのたとえ。新約聖書に由来する西洋のことわざで、「豚に真珠を投げるな」ともいう。

(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)

2.対牛弾琴(たいぎゅうだんきん)

対牛弾琴とは、愚かな人に立派な教えを説いても効果がないことを表すことわざです。また、好意や努力が無駄になるという意味もあります。無駄に終わった結果だけではなく、道理を説くことや努力すること自体も無駄であったというニュアンスを持つのが特徴です。

音楽の良さがわからない牛に琴を弾いても無意味であることが、対牛弾琴の成り立ちとされています。

【対牛弾琴:たいぎゅうだんきん】
牛に対して琴を弾いて聞かせる意から、何の効果もなく無駄なこと。愚かな人に深遠な道理を説いて聞かせること。せっかくの好意や努力が無駄に終わること。▽「牛に対して琴を弾ず」と訓読する。

(引用〈goo辞書〉より)

馬の耳に念仏の意味を覚えておこう

馬の耳に念仏とは、親切なアドバイスや貴重な忠告に耳を貸さないことを意味することわざです。単に聞き流すというよりも、他人の意見のありがたみを理解できず、何を言っても効果がない状態を指します。

目下の人や、自分と同等の地位にある人には使えますが、目上の人に対して使うのは不適切です。正しい用法で使えるように、馬の耳に念仏の意味や使い方、似ていることわざなどを覚えておきましょう。

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