父倒レタ、デモ、スグ帰ラナクテイイ
「お父さんが、倒れたの」
2014年9月、母から電話をもらったその瞬間。私はいつものように会社で仕事をしていました。10年のモデル活動を経て、起ち上げたアクセサリーブランド、「Clasky(クラスキー)」のオフィス。ちょうど新しく注文を請けたノベルティグッズのデザイン画を描いていたとこで。その後は、工場スタッフとの打ち合わせ。夜には食事会の予定。ありふれた一日、のはずでした。
「心原性脳梗塞だって。今、○×医大病院に入院してる。でも、病院に近いところにいたから、発症して4時間半以内に投与しないと効かない薬を、すぐに使えたのね。それは間に合ったから、血栓は溶けるだろうって。まあ、ひと安心ね。だから、えっこは仕事してて」
そんな言葉で、母は私を落ち着かせようとしていて。正直、またか~という思いもよぎります。元々、40代ですい臓がんになり、その治療の過程で腎臓まで悪くなったダディ。人工透析をしながら10年生活して、腎臓移植手術を受けてすっかり元気になっていました。お医者さんに「そろそろ危ない」と言われてはそのたびに復活してきたタフな人。今回もきっと大丈夫なんじゃないか? そんな期待を後押しする気づかい屋の母。涙がこぼれました。
「大丈夫だから、とりあえずごはん行ってきなさい」
そう、その日の夜は、北海道から上京してきた親戚の子供と初めて食事をする約束をしていたんです。当初はもちろん、病院に駆けつけるつもりだったし、今考えれば、身内の子なのだからドタキャンしても事情を話せばわかってくれたはず。なのにその夜、私がいたのは病院ではなく、なぜか焼肉屋。しかも、ベロベロに泥酔。
本当はダディの様子をすぐにでも見に行きたかった。でも、従兄妹の子が楽しみにしてくれていたし、約束は守らなきゃいけないし、母からは「変な心配をかけないように、お父さんのことはまだ言わないで!」と頼まれていたので、倒れたとは言えないし……。
妙な使命感と不安がせめぎ合い、飲まずにやってられるか!とガブ飲みしてしまいまして。結果、翌日ひどい二日酔いで意識不明のダディに会いに行くという、我ながらよくわからない事態に(笑)。
父親が死にそうになっているというのに、飲んだくれている娘=私。ドラマや映画では危篤の知らせを受けた家族が息を切らせて駆けつけ、「集中治療室」の前で祈るように待つ……というシーンが描かれるけど、現実は理屈では説明できない行動をとってしまうことがあるんだなあ。
大丈夫だと信じたかった。たとえ病院にいたところでダディは治療中で会えない。私にできることは何もなかった。
だとしても。あの日、あのままダディが死んでしまっていたら。私は一生消えない後悔をしていただろうなと、今でもときどき思い出します。
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イラスト/佐藤えつこ 構成/佐藤久美子
佐藤えつこ
1978年生まれ。14歳で、小学館『プチセブン』専属モデルに。「えっこ」のニックネームで多くのティーン読者から熱く支持される。20歳で『プチセブン』卒業後、『CanCam』モデルの傍らデザイン学校に通い、27歳でアクセサリー&小物ブランド「Clasky」を立ち上げ。現在もデザイナーとして活躍中。Twitterアカウントは@Kaigo_Diary
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