障碍のある方と近隣の方とのコミュニケーションを描きたかった
――映画『梅切らぬバカ』は、自閉症の息子と母親の日常を描いた、とてもリアルで温かい物語でしたが、この物語を映画にしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
和島さん(以下敬称略):以前、ドキュメンタリー映画の編集の仕事をしていた時に、親御さんが亡くなられた後に、一人暮らしをされている自閉症の男性の方の作品を手掛けたことがあったんです。その作品は、男性と男性を支える親族や福祉の方達との交流をユーモラスに描いたものでした。
しかし、男性の言動や行動(道路にゴミを撒き散らすなど)が原因で、近隣の方々との関係がよくなかったんです。映画を撮影するときには、近隣の方から「カメラを向けないでほしい」という要望もありました。その時に、この現実はすごく大きな課題なのではないかと思ったんです。
――たしかに、一人暮らしをされている障碍を持つ方はいらっしゃいますからね。
和島:そうなんです。周りの理解が得られずに、頼れる人がすぐ近くにいないというのは、すごく心細いことだなと思いました。そのドキュメンタリー映画では、その近隣の方々との関係を描くのは難しかったのですが、劇映画という形であれば、このような現実が表現できるかもしれないと思い、本作の企画を立てたんです。
「あなたはこの街の有名人になりなさい」という言葉の意味
――本作の主人公、自閉症の“忠さん”を塚地さんにオファーしたのはどんな理由があったのでしょうか。
和島: 脚本を作りのための取材していく中で、とあるダウン症のお子さんを持つ親御さんと話す機会がありました。その方は、息子さんに「この街の有名人になりなさい」と伝えていると話していたんです。その言葉に〝この街で存在を認められ、見守ってもらえる子どもになってほしい〟と親の願いを込めたのだと思います。
この映画の中で、忠さんは、最初は疎まれる存在ではあるけれど、徐々に人に関心を持たれて、親しみやすい人になっていくんです。その姿を、どういう方が表現してくださるのかなと思った時に、塚地さんの存在がパッと浮かんだのです。
塚地さん(以下敬称略):とてもありがたいお話ですよね。
和島:テレビで塚地さんのモノマネ芸を観ていた時に、ものすごく相手の世界を大切にする方なんだという印象を受けました。それだけではなく、その人を好きな自分の気持ちも、大切にしているこだわりを感じたんです。自閉症の方は強いこだわりがあると言われていますが、そこに通じる部分があるような気がしたんです。それに、塚地さんなら、誠実にこの役を表現してくださると思ったんです。
塚地:ありがとうございます。僕がコントで演じるキャラクターは、すべて自分にないものではないんですよ。自分の中にあるからこそ、 “こういうことを言うよな”ということを表現できる。だからこそ、自分の中ではブレることがないんですよね。コントなので、笑いが起こるようにキャラクターを展開していくのですが、そこに必ず愛情はあります。
和島:その愛情を、すごく感じます。
塚地:よかった~。コントで演じるキャラクターの〝おかしさ〟は、僕にとっては〝愛らしさ〟なんですよね。変な話、すごく嫌いな人を演じると、全然面白くなくなっちゃうんですよ。笑いにもならないですしね。
――愛せる人をキャラクターにされていたんですね。
塚地:そうですね。いわゆる、〝あるあるネタ〟のようなニュアンスの〝いるいるネタ〟のような、〝こういう人、周りにいるよね〟ということを共感してもらって、その人たちを愛してほしいという気持ちもあったんです。