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EDUCATION 教育現場より

2022.09.02

「国語力」がある子とない子の「家庭」の決定的な差|なぜ子どもの「国語力格差」は生まれるのか

〈教育格差のリアルな実態〉と最前線の取り組みを追った新著『ルポ 誰が国語力を殺すのか』が話題を呼ぶ、ノンフィクション作家の石井光太氏。「社会の荒波を生き抜く力」としての国語力を育むために、家庭と学校でできることとは?

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国語力の弱さは生きる妨げとなる

社会がグローバリゼーションによって複雑化する一方で、日本の子どもたちの国語の力の脆弱さが顕著になりつつあることは、ずいぶん前から指摘されてきました。

学校の教員の多くが、近年の子どもたちは、言葉によって道を切り開いていくのが苦手だと指摘しています。あらゆることを「ヤバイ」「エグイ」「死ね」といった極端な言葉で表現することで、他者との無用なトラブルを生んだり、コミュニケーションを諦めてフェイドアウトするような子どもが典型例です。

本来、人にとって言葉は、物事を知覚する、想像する、思考する、表現するといったことのベースとなるものです。それを時代に合った形で適切に使用できなければ、生きるうえでの妨げとなります。

私が取材した中から少々極端な例を挙げれば、2015年に川崎市の多摩川河川敷で17~18歳の男子3名が、中1の男子をカッターで殺害する事件を起こしました。

加害者3名は誤解から一方的に憤りを膨らませ、殺意もないのに「ぶっ殺す」という言葉を使って中1男子を呼び出した。そして暴行を加えているうちに、「殺せよ」「お前が殺せよ」と言い合ってカッターを押し付け合って交互に切りつけて命を奪ったのです。

彼らがきちんとした思考ができていれば、そもそもの原因の誤解は生じなかったでしょう。また、「ぶっ殺す」という言葉ではなく、「彼はなぜこうしたのだろう」とか「納得いかないから訊こう」と考えられていれば、カッターで切りつけることもなかったはずです。

適切な言葉の使い方が物事を円滑に進める

ごく普通の子どもにも、似たようなことが当てはまります。

学校のクラスで人間関係が悪化したときに「もう死にたい!」と考えるのではなく、なぜそうなったのか、自分はどうしたいのか、そのためには誰にどう伝えればいいのかを論理的に考えられれば、学校生活はずいぶん楽になるでしょう。

適切な言葉の使い方が物事を円滑に進める

社会に出てからも同じで、ビジネスにおいて、家族関係において、地域住民との関係において、適切な言葉の使い方が、物事を円滑に進めることにつながる。逆に言えば、それができなければ多くのところでつまずくことになりかねません。

国語力をめぐる深刻な「家庭格差」

私は『ルポ 誰が国語力を殺すのか』という本で、現代における国語力の問題に警笛を鳴らしました。

石井光太(いしい・こうた)/作家

石井光太(いしい・こうた)/作家。1977年東京生まれ。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動を行う。2021年『こどもホスピスの奇跡 短い人生の「最期」をつくる』で新潮ドキュメント賞を受賞(撮影:平松市聖)

 

文科省は国語力を単なる読解力ではなく、語彙をベースにして情緒力、想像力、論理的思考を駆使して上手に生きていくための生きる力としています。

たとえれば、社会は荒海のようなところです。国語力は、その荒海を渡るために必要な「心の船」です。語彙をベースに情緒力、想像力、論理的思考をフル回転させることで初めて、複雑な社会を生き抜くことができる。

昔の社会は今ほど複雑ではなく、国語力は自然と身につけるものでした。読書によって語彙力・読解力を鍛え、自然の中での遊びを通して情緒力を鍛え、親族や他者と交わる中で常識や想像力を磨く。そして学校で年齢に合った論理的思考の訓練をしました。

しかし今は、それが非常に難しい時代になっています。格差拡大の中で、本を読む機会がほとんどない子や、スマホやゲーム漬けで育てられる子が急増しました。地域間交流が減り、人間関係も限定的。外国籍で日本語を上手に操れない親、精神疾患や依存症で子どもと適切な対話をする余裕さえない親は数百万人に及びます。

こうしたことから、親が意識を持って国語力を磨かせようとする家庭と、そうでない家庭では、育った子どもの国語力に明確な差が現れます。私はこれを国語力をめぐる「家庭格差」と考えています。

家庭格差の上層の子どもは豊饒な言語空間で育ち、豊かな想像、思考、表現が可能になり、複雑な社会を生きる力を身につけることができます。グローバリゼーションの中を生き抜ける若者は、そういう者たちです。

一方、下層の子どもは、適切な言葉が身についていないためにさまざまなところで壁にぶつかります。現代を象徴する問題――コミュ障、陰謀論、ヘイト、孤立は、そういったところで起きています。

今の子どもたちが直面しているのは、こうした生きる力としての国語力の脆弱さなのです。

豊かな国語力を育む家庭環境とは?

今はクラスの中で子どもたちの国語力は格差によってかなりの違いがあり、「国語力のカースト」という状況が生まれています。しかし、子どもたちの国語力をアップさせ、その差を埋めることは可能です。

本書に登場する心理学者の今井むつみさんが、幼児教育で重視するものの1つに、「自由な遊び」があります。

大人が決めつけた遊びを押し付けるのはNG

今井さんは、知育のような大人が決めた目的ありきの遊びではなく、子どもたちが自発的に集まって創り出した遊びこそが大切だといいます。そうした遊びの中でこそ子どもは意欲を持ち、自然からあらゆることを感じ取り、想像力や共感力を磨き上げていく。大人の役割とは、大人が決めた遊びを押し付けるのではなく、子どもが自由に集って遊べる時間と空間をつくることなのです。

一方、家庭の中では、親の使う言葉、つまり親の語り掛けが重要になります。

たとえば、子どもがミスをしたとしましょう。このときに親が頭ごなしに「なんでこんなことをしたのか!」と叱りつけるのと、「どうしてこうなったんだろうね。一緒に考えてみようか」と問い掛けるのとでは、子どもにどのような違いが現れるでしょうか。

前者であれば、子どもは萎縮して思考を停止させるでしょう。後者だと、子どもはじっくりと自分のしたことを考え、それに対する意見を出します。

1日に1回でも親が意識して問い掛けをしていれば、子どもは3~5歳だけで1000回以上もこうした思考の訓練をすることになる。小学校に入ったとき、これが「考える子」と「考えない子」の差につながるのです。

また、子どもには勉強を強いるより、家庭環境を豊かにしたり、新しい体験や価値観を自然に伝えたりするほうが、国語力を伸ばすのに有利だという統計もあります。

図を見てください。親が毎日子どもに勉強を強いても、国語の成績は伸びていません。

保護者の子供への働きかけと子供の学力の関係(出所)『ルポ 誰が国語力を殺すのか』

他方、「家に本がたくさんある」を筆頭に、「絵本の読み聞かせをする」「外国文化に触れるように意識する」「博物館や美術館へ連れていく」家庭では、そうでない家庭と比べて国語力に顕著な有意差があります。

広島のある小学校の取り組み

現在、子どもの国語力に危機感を抱き、それを伸ばそうとしている先進的な私学は、こうした研究成果を踏まえて、それを校内環境や授業に盛り込んでいます。

一例を挙げると、広島県のなぎさ公園小学校は、学校の廊下のスペースに、小説や絵本がぎっしりつまった本棚があって、たくさんの展示パネルには生徒たちの絵画、書道、自由研究、手紙、将来の夢などが掲示されています。つまり、教室の外がまるで図書室や美術館のようになっていて、休み時間には好奇心を刺激された子どもたちが自然にそれらに触れられるようになっているのです。

つねに子どもが本や美術に接することができる工夫がされているうえ、子ども同士がいいと思った本を推薦し合える「読書郵便」などの仕組みも導入されていて、本の感想を互いに伝え合うことが習慣化されています。

さらに同校では、校庭にビオトープをつくって、子どもたちが自然の中で自由に遊び、学べる環境を整えています。校内の一角で田植えを体験したり、キャンプ、干潟観察、山での雪遊びなど、本物の自然に触れる体験型学習に力を入れている。

体験によって五感を刺激された子は感じたことを自分の言葉で語ろうとする

同校の校長の渡邊あけみさんは、「体験によって五感を刺激された子は感じたことを自分の言葉で語ろうとする」と語ります。「感じることが、表現への衝動を生み、言葉を豊かにしていく」という。

つまり、言葉の学びがリアルな体験やそこから生まれる感情と有機的に結びつき、同校の目指す〈社会で生きていくための人間的な力〉となるよう考え抜かれた教育になっているのです。

ほかにも本質的な国語力を育むヒントとなる、すぐれた取り組みの実例については、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に詳しく紹介したので、そちらを読んでいただければ嬉しいです。

新しい教育をムダにしないために

ここで私が言いたいのは、子どもたちの国語力を生かすも殺すも、家庭や学校の取り組み次第ということです。

グローバリゼーションの中で、今の若者はあまたの文化と価値が混在する社会の中で生きることを余儀なくされています。そこではこれまで以上に豊かな教養力や、高度なコミュニケーション力、そして多角的な視点で課題を解決していく力が求められます。

そのため、国は外国語、プログラミング、金融、起業家精神など次々と新しい教育を打ち出しています。

新しい教育がすべてムダだとは思いません。でも、それらを生かすも殺すも、すべては国語力というすべてのベースとなる力があるかどうかなのです。

それがあるから、外国語も、プログラミングも意味をなす。逆に言えば、国語力なくしては、あらゆることが砂上の楼閣になりかねません。

今という時代の中で、子どもたちの国語力がどのような状態になっているのか。そして子どもたちが10年後、20年後に社会で生き抜くために必要な国語力を鍛えるには何をすべきなのか。

かつてないほど複雑な時代だからこそ、私たちは生きるうえでの根源的な力について考えるべきではないでしょうか。

『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)

作家

石井 光太(いしい こうた)

1977年東京生まれ。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動を行う。著書に『物乞う仏陀』『絶対貧困 世界リアル貧困学講義』『遺体 震災、津波の果てに』『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』『浮浪児1945- 戦争が生んだ子どもたち』『原爆 広島を復興させた人びと』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』『格差と分断の社会地図 16歳からの〈日本のリアル〉』など多数。2021年『こどもホスピスの奇跡 短い人生の「最期」をつくる』で新潮ドキュメント賞を受賞。

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東洋経済オンライン

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