story1 エリート男との豪華挙式をドタキャンしました
Profile
ユリさん(38歳・仮名)既婚・子どもひとり
職業/人材紹介会社のエグゼクティブヘッドハンティング
趣味/地ビールめぐり
住まい/東京都北区(2LDK、家賃19万円)
年収1,500万銀行マンとの出会い
「私、これまでに3社経験しておりまして、その…、婚活との関連性を、表にまとめてまいりました。よろしかったら、これ」
ユリが取材に持参したのは、就職したときから現在までの年表だった。そこには、職種の移り変わりとともに、仕事満足度/恋愛満足度/結婚願望度が%で書かれてあり、一覧表になっていた。
「結婚願望度が高まったのは、20代後半のときです。そう、表のこのあたりですが、まあ本当によく合コンに行っておりました、私。週に2~3回はあたりまえ、その後にまた会社に戻って深夜まで仕事をして。10年前は、そういうことも、まあよくあったんですよ。上司が、『おいユリ、恋愛がおろそかになってないか!? 合コン行ってこい!』と。今だったら、セクハラになりかねませんけど。
自分の仕事に自信がついてきたこともあって、合コン相手の顔のレベルや年収はずいぶんこだわっていました。顔って言いましても、トップクラスを狙うわけではないんですよ。あくまでも“中の上”。私の好みの顔は田中 圭です。ほら、“上の上”だと相手にされそうにありませんから。だから中の上。ほどほどにいい感じの人に、よくアタックしていました。合コンで名刺交換して、翌日に会社のメルアドにお礼のメールをして。気が合えば、その後にふたりで食事に行って。軽くつきあった人もいましたが、長くは続きませんでしたね。どうしてでしょうね。私は結婚したかったけれど、合コンに来る男性に、本気で結婚を考える人は、いなかったのだと思います。そうです、ターゲットが間違っていたのです」
恋愛がうまくいかなくても、ユリは落ち込むことはなかった。『合コン行ってこい!』な体育会系職場は自分に合っていたし、営業でいつもトップの成績を取ることも、快感だった。同僚男子から注がれる、「デキる女」を見る視線にも、ユリのプライドは満たされた。
ただ、30歳に入ると友人が結婚し始め、『合コン行ってこい!』のエールが『結婚まだか?』に変わってくる。営業トップの成績も数年続いて、やりきった感もある。
「本気で結婚相手、探さなくては。私、そう思って年収800万円以上の男性が集まるというお見合いパーティに参加しました。男性陣は、お医者様に広告マン、公認会計士に商社マン…。みなさん、キラキラと星が頭の上に出ていましたよ。キラキラ、キラキラ。それには、私もクラクラきてしまいました。
そこでおつきあいしたのが、大手銀行マンの和也でした。年収1500万、さりげなくチラつかせるブランド品。顔は“中の上”。これ、大事ですから。そしておしゃれなレストランやバーに連れていってくれて、エスコートもスマート。クラクラしました。こんなふうに、大事に女性扱いしてくれる男性は初めてでしたから。今思うと、こういうのをチャラいって言うんですよね。でも、そのころはうれしかったんです」
挙式のキャンセルで800万円の大出費
「1年つきあってから、大きなダイヤの指輪をプレゼントされて、結婚式場探しを始めました。六本木のゲストハウスを借り切って、引き出物には輸入食器を選んで、憧れのロングトレーンとドレスはオーダーして。そして新婚旅行はモルジブに決めていました。
ただ…。おしゃれなレストランもいいけれど、お家でごはんを食べたい日もあります。今後の人生プランも話合いたいですし、私の仕事のことも聞いてほしい。なのに、いつまでたっても“チャラい”和也はそのままでした。私と約束していても、仲間との飲み会を優先する和也。酔って仲間をうちに連れてきてきちゃう和也。あげく、自分が帰ってきたときに家に私がいないと不満そうな和也。私のキャリアプランには関心がなさそうな和也。もしかして…。
私に対して、家にいる主婦を求めているんだわ。和也の化けの皮が剥がれた…、あ、失礼。素が見えてきたとでもいいましょうか。そう悟ったとたん、『こんなの、違うー!』って叫んでしまいました。彼はキョトンとしていましたが、そこからは一気に不穏なムードになってしまって」
悶々とした日が続いたあと、挙式1週間前になって、ユリは式場に電話をして、キャンセルを告げた。すでに払っていた手付金とキャンセル代で計800万円を、自分の貯金から払った。あとから和也が半分の400万円をユリの口座に振り込んでくれたが、別れた慰謝料に思えてきて、余計につらかった。
「会社のみんなには招待状を送ってしまったし、後輩は余興のダンスを練習してるし、もう恥ずかしくて恥ずかしくて。みんなの顔が見られませんでした。ひとりになると涙が止まらなくなるし、何もやる気が起こりません。今思うと謎ですけれど、そのころ、親友に毎朝ポエムのようなメールを送っていたんですよ。なんて書いていたかしら。確か、『いつか笑えるときが くるのかしら』みたいなものでした。私、まるで廃人でした」
廃人だったユリが、再び飲み会に参加したり、明るく笑うようになるのに、それから1年かかった。きっかけは、隣の部署の先輩女性に誘われて、久しぶりに居酒屋に行ったとき。その先輩女性が、ユリの気持ちを軽くしてくれた。挙式ドタキャンの話をしたら、思い切りイジって、笑ってくれたのだ。
「ユリちゃん、やらかしたねー! ウケる! でも大丈夫!また、ごはん行こ!」
こんなたわいもない会話が、ユリには楽しくて、うれしくて、涙があふれた。周囲のみんながこの話題を避けて通っていた中、こうしてネタにしてもらえて、心がじわーっとほぐれた。
「生きててよかった。なんにも力が入らなかったけど、目の前の仕事をもう一度頑張ろうって思いました。食事会やBBQのお誘いも参加して、少しずつ人間関係もリハビリ開始です。習いごとも、ずいぶんやりました。社交ダンスにヒップホップ、アーユルヴェーダ、マッサージ、茶道に華道にカレー作り、ナン作り…。そうです、お嫁入りのことを考えの習いごとです。まったく懲りないというか、私、やっぱり結婚したかったんです」
挙式ドタキャン話をイジってくれた先輩女性は、いつの間にかユリの習い事の成果を聞いてくれる相手になっていた。とはいっても、目的は花嫁修行なので、さほど真剣な習い事ではない。せいぜい続いて1か月。こんなユリに対して、先輩はこうアドアイスした。
「ユリちゃん、習い事も恋愛リハビリもいいけど、そのエネルギー、勉強に使ってみたら? たとえば、ビジネススクール【※1】でMBA【※2】を取るとかさ」
そうか、ビジネススクールね…。これまで考えたこともなかったけれど、なんとなく今のこの刹那的な暮らしを変えてくれそうな予感はした。
「先輩、ビジネススクールのこと、もう少し詳しく教えてくれませんか?」
【※1】ビジネススクール/経営やビジネスに関する知識やスキルを教える教育機関のことで、経営大学院やビジネス関連講座の総称。日本におけるビジネススクールの定義は広く、経営・ビジネスに関する体系的な知識を提供する経営学修士/MBA(Master of Business Administration)の学位を授与する経営大学院のほか、企業・大学などによるビジネス講座や実務セミナーもビジネススクールと呼ばれる。海外では、経営学修士号(MBA)の学位を取得できる教育機関を一般的にはビジネススクールと呼ぶ。
【※2】MBA/「Master of Business Administration」の略で、日本では経営学修士と呼ばれる。資格ではなく「学位」であり、MBAプログラムを提供している大学院は、通称「ビジネススクール」と呼ばれており、主に社会人を対象にしている。
南 ゆかり
フリーエディター・ライター。『Domani』2/3月号ではワーママ10人にインタビュー。十人十色の生き方、ぜひ読んでください! ほかに、 Cancam.jpでは「インタビュー連載/ゆとり以上バリキャリ未満の女たち」、Oggi誌面では「お金に困らない女になる!」「この人に今、これが聞きたい!」など連載中。