人生は選択と決断の連続で、どの道を選ぶかでその後の展開が変わってくるもの。息子が中学3年の夏に政治家である夫が心筋梗塞で倒れて、当時39歳にして社会人経験ゼロの専業主婦だった藤﨑忍さんは迷わず“自分が働かなくては”と初めての就職を決断した。息子が大学に進学して野球に打ち込んでいた夏に夫が脳梗塞に襲われたときには、藤﨑さんは息子がそのまま野球を続けられるようにと背中を押した。その後父と同じ政治家の道を歩む息子が父子家庭となってからは、まだ小さなお孫さんのサポート役をかって出た。そんな藤﨑さんの母時間を息子さんとの現在の関わりからひもときます。
藤﨑さんの「女の時間割。」
Vol.1「女」時間〜ひとりの女性として仕事に向き合う時間〜
Vol.2「妻」時間〜妻として夫に向き合った思い出の時間〜
Vol.3「母」時間〜母として子どもに向き合う時間〜 ←この記事
スピンオフトーク
藤﨑 忍さん
株式会社ドムドムフードサービス代表取締役社長・58歳
藤﨑さんの「母」時間をClose up 9:00@Kitchen
休日は息子から孫を預かり一緒に朝食
「墨田区区議会議員として活動している私の息子は34歳。シングルファーザーで4歳の子供とふたり暮らしをしています。息子親子とは隣居で暮らしているため、平日は週2、3日幼稚園から帰ってくる孫を預かって、夕食やお風呂のサポートをしています。休みの日は孫が朝食を食べてからそのまま1日私とゆっくり過ごすこともあります。朝食は和食の日が多いですね。料理は大好きなので季節の素材を使って心を込めてつくります」
藤﨑さんの“孫と過ごす”とある休日
8:00 起床、朝食準備・家事
9:00 孫と叔母の3人で朝食
10:00 孫とたわむれながら家事
12:00 昼食
13:00 買い物
16:00 帰宅後、孫が遊んでいるのを見守りながら仕事のメールチェックなど
18:30 夕食
19:30 孫と入浴
21:00 孫を寝かしつけ
21:15 SNSやメールチェック、翌日の朝食や夕食準備などの家事
21:30 息子が孫をピックアップ
24:00 就寝
ひとり親家庭で奮闘する息子たち親子の拠点となれるように
藤﨑さんは、89歳になる母方の叔母や息子さんとお孫さんが藤﨑さんの家を訪れて家族のように大勢で食卓を囲む“共食(きょうしょく)”を習慣にしている。
「平日夜、孫がうちで夕食を食べるようになったのは息子がシングルファーザーになってから。朝、息子も一緒に朝食を食べに来るようになったのは、孫の幼稚園入園がきっかけでした。息子親子も叔母もすぐ近くに住んでいるので、“みんな朝ごはんはしっかり食べて欲しいからうちに来て”と声をかけて始めた習慣です。それまで夜は一週間すべて外食だったのが家で料理をするように変わって、私の生活リズムも整いました。自分自身の健康のためにもちょうどいいタイミングだったのかなと思っています。
息子は今ひとり親家庭を頑張っていますが、私が息子の家に行って家事を手伝うことはありません。掃除や洗濯などは息子が自分でしているので私は深入りしすぎず、あくまで息子たちの生活の拠点のひとつにとどまるようにしています。
孫は平日夜19時半ぐらいに幼稚園からうちに来るのですが、息子が出張で不在になるとき以外は、うちに泊まることはありません。議員である息子の仕事は定時で終わる職業ではないのですが、多少帰宅が遅くなっても寝ている孫をピックアップしに来て、ちゃんと自分の家に連れて帰ります。いくら私が預かっていても育てているのは父親である息子なので、私が勝手に孫に“泊まっていってもいいよ”などとなしくずしにしてしまうのは違うかなと思うのです。息子も同じように考えているようで毎日必ず迎えに来ます。そこはお互いきちんと線引きしているところですね」
未だに語りつがれる親子で体力の限界ギリギリだった日々
夫を献身的に介護しながら必要に迫られ働きに出た母の背中を見て育ったためか、寄りかかりすぎず適度な距離感を保って歩んでいる様子の息子さんと藤﨑さん。しかし“息子が幼少時代の当時の自分は、もっていた価値観が今とはかなり違っていた”と振り返る。息子さんは私立の幼稚園に入り塾に通って小学校受験も合格したのだが、息子に対して申し訳ない気持ちを感じたこともあったのだという。
「あの当時の私は今とはまったく違う固定観念をもっていました。息子は自分の出身校である青山学院で学ばせたいと考えていたので、小学校受験に備えて言葉遣いや行儀についてはふだんからとても厳しくしていたのです。そのため少々抑圧的なところがあったり、息子に注意することも多かったと思います。一方で、野球をしていた夫は自分の子供にも野球をやらせたいと考え、息子に野球を習わせました。そんな私たち夫婦の想いが息子に集中してしまったため、今思えば決して伸び伸びした子育てではなかったような気がしています。もう少し自由にしてあげたら息子の可能性をもっと引き出すことができたかもしれないと思ったこともありました。ですが息子は今元気に頑張っているので子育てに対する後悔の念はありません」
当の息子さんは自身の幼少時代についてどのように捉えているのか、大人になってから聞いてみたことがあるかを藤﨑さんにたずねてみたところ、
「“すごく怖かった”と言っていました(苦笑)。私は子供にとってとても怖い母親だったようです。たとえば息子は小学生から野球を始めたのですが、練習が終わって家に帰ってくるとすごくつらそうな様子なんです。でも“好きなことをやらせてもらえているのだからありがたいと思いなさい”と嫌な顔をすることは絶対に許しませんでした。練習を見に行って少しでもだらけた様子が見えれば“だったらやめちゃいなさい”などと強い言葉がけをしたこともありました。私自身、学生時代はスポーツに打ち込んでいて体育会系なマインドが強いところがありました。やるからには息子にも一生懸命がむしゃらに打ち込んでもらいたい気持ちもありました。
私は息子が中学生までは専業主婦でしたが、39歳で仕事をもって働き始めてからは生活がものすごく変わってしまいました。近くに住んでいた両親がとてもたくさんのバックアップをしてくれて、私は息子の朝食とお弁当をつくり、母は息子に夕食を食べさせてくれてなんとか毎日をしのいでいました。
当時の私たち親子のドタバタな日々を象徴するエピソードとしていつもお話ししているのが、“藤やんのハンガー事件”です(笑)。基本的に学校の体操服や野球部のユニフォームは息子が自分で洗濯するルールをつくり実行してもらっていたのですが、ある日息子が帰宅後に洗濯しながら眠くなってしまい、夜10時ぐらいに仕事から戻った私に、“お母さん、悪いけどこれ干しといてくれる?”と頼んできたのです。私もすぐに“OK!”と引き受けておきながら、やはり疲れからそのまま乾燥させるのを忘れてしまったんですね。
翌朝起きて洗濯機を開けたら中にまだ濡れたままの洗濯物が入っていたので、“キャーッ!!”と驚いて。“どうせ乾燥機にかけてもすぐには乾かないから、クリーニング屋さんのハンガーを学校に持って行ってそれにかけて、授業中に干しとけばいいじゃない”という、うそのようで本当の展開が何回もあったのです。息子のクラスメイトのみなさんも未だにそれが記憶に残っていて。これが“藤やんのハンガー事件”の経緯です(笑)。
私が忙しい分、息子は息子なりに頑張ってくれたことがすごくありがたかったですね。野球を始めたらそれに夢中になってくれて、一時はプロを目指しながら中学、高校、大学まで野球に打ち込んでくれたので、親が心配させられるようなこともなく成長してくれたのだと思っています」
5年後、10年後の親子のビジョンも自由に軽やかに
「息子は周囲の大人たちの優しさに包まれて育ったおかげで、優しさをお返しできる人に育ったように思います。私や夫から厳しく言われても究極的に愛されていたことは伝わっていたと思いますし、夫婦両方の祖父母からも、私の兄妹や主人の兄弟たちからも愛されながら成長しました。どんなに忙しくても家族や親族のためにパッと動くことをいとわない子なので、そうした部分でもすごくありがたいなと思っています。
思い返せば息子はこれまで反抗期などもないままずっと来たのですが、最近は逆にどちらかというと、私と対等な関係性なんですよね。孫の面倒は私が見ているけれど、仕事や生き方に関しての感覚はすごく対等なんですよ。たまに“なんであなたにそんなこと言われるの?”と思うようなことを言ってくるのですが、よく考えるとすごく芯を食ってるなと腹落ちしてしまったりするんですよ。でもすぐには納得したくないし、ああもう本当にムカつく、とか思いながら(苦笑)、歯ごたえのある関係性が育ってきたのを感じています。
私自身はとても保守的な家庭に育って自分自身もそれを体現してきたのですが、そのあたりについての考えや価値観も息子の影響を受けて途中から変わってきました。息子はパートナーと離婚後も非常に良好な関係を保っていて、多様な世界があることも体感しました。仕事が終わって孫を幼稚園に迎えに行ってみると、仕事をもつママたちのしんどさも身にしみてきます。今後は働くママたちの応援ももっとしていきたいなと考えるようになりました。私的にはすごくいい経験になったし、息子たちにはこれからも自由であってほしいなと思っています。彼らがこの先、どんな選択をしても全然かまいません。私は私の道を進みながら、自分なりに息子たちに伴走していきたいと思っています」
〈取材現場より〉
女時間や妻時間に引き続き、藤﨑さんの柔軟性や素直さが母としての時間にも発揮されていたことを感じるようなインタビューでした。次回スピンオフでは、藤﨑さんによるセルフモニタリングをお届けしますのでお楽しみに。
Profile
藤﨑 忍
ふじさき・しのぶ/1966年、東京都生まれ。青山学院女子短期大学卒業後、21歳で結婚、政治家の妻となる。23歳で長男出産。2005年に夫が心筋梗塞を患い、家計を支えるために39歳で専業主婦からSHIBUYA109のアパレルショップ店長へ。5年で年商2億を達成する。43歳のとき夫が脳梗塞で倒れて介護が始まる。アパレルショップ本社の経営方針変更を機に44歳で退職。居酒屋でのアルバイトを経て2011年に新橋に家庭料理の店『そらき』を開業。愛される店づくりの手腕と食に対するセンスを見込まれ2017年にドムドムハンバーガーのメニュー開発顧問に抜擢される。そのとき考案した“手作り厚焼きたまごバーガー”が大ヒット。同年11月に51歳でドムドムフードサービスに正式入社。9か月後の2018年8月に代表取締役社長に就任する。現在は(株)神明ホールディングス社外取締役、(株)WOWOW社外取締役監査等委員を兼任。年間の講演回数は40回超。著書に『ドムドムの逆襲 39歳まで主婦だった私の「思いやり」経営戦略』(ダイヤモンド社)、『藤﨑流 関係力』(repicbook)などがある。
インスタグラム:@fujisakishinobu
撮影/眞板由起 ヘア&メーク/広瀬あつこ 構成/谷畑まゆみ
私の生き方