story1 飽きっぽ女子がホノルルマラソンに挑戦!?
Profile
ナオミ(仮名) 48歳
職業/歯科医師
住まい/東京・港区で夫とふたり住まい
何か、変えなくちゃ
「皇居をのぞむビルの小さな一室で、夫と歯科医院を開業したのは、30代最後の年でした。ふたりとも早朝から深夜まで、本当に働きづめで、夜家に帰っても休日でも、患者さんのことが頭から離れない。まじめ人間なんです(笑)。開業から3年は、病院を軌道に乗せるための、そして患者さんに満足してもらうために、必死でした。
3年すぎたあたりで、ほんの少しだけ気持ちに余裕ができて、窓の外を見たら、皇居のお堀沿いの道をたくさんのランナーが走ってる! 気持ちよさそう! それにも気づかないいくらい仕事に集中していたんですね、それまで。ほんと、呼吸もしていなかったんじゃないか、ってくらい」
ナオミは、窓を少し開けて年末の冷たい空気を感じたあと、待合室に目を移すと、「自分とは関係ない」と思って、いつもは見ることもなかった、あるファッション誌が目に止まった。なにげなく手に取ってみるとーー、
「“あなたもホノルルマラソンに出てみませんか! 参加モニター募集”。ハワイの写真と共に記事が目に飛び込んできました。その後、家に帰っても次の日になっても、なんとなく皇居のランナーやホノルルマラソンのことが、頭から離れませんでした。なんだろう、この感じ…?」
マラソンなんて、頭をかすめたことさえなかった。当然、走ろうなんて思ったこともなかった。中学・高校時代の部活でやった弓道は、さぼりグセが出て一生懸命にはなりきれなかった。仕事は、夫に引っ張られるように必死にやっているけれど、果たしてそれでいいんだろうか…。
何か、変えなくちゃ。
漠然とナオミはそう思った。そのきっかけとして、ホノルルマラソンモニターに応募するのは、アリだ。走ったことがないのは心配だったけど、<未経験>であることが今回のモニターの条件。選ばれるかどうかはわからないけど、ちょこっとマラソンのことをのぞけたら、面白いかもしれない。そんな軽い気持ちで、応募書類を書いて、写真を同封して、ポストに投函した。
最初で最悪のホノルルマラソン
「歯科医師の道を選んだのは、親が歯科医だったことが影響している。開業したのは、夫の以前からの目標で、自分から何か選んでやってみようなんて、このマラソンモニター応募が初めてかも(笑)。だから選ばれるとも思っていなかったけど、面接して、ちょっと走ってみて、モニター5人に残ったのです。自分でもびっくりでした。
自分から動くと、何かが変わる。普通なら子どものときに感じるこんな当たり前のことに、40すぎて気づいたという感じです。仕事だけの生活がそこから大きく変わり始めました」
それから、10か月後のホノルルマラソンに向けての練習が始まった。モニターの5人は、雑誌の記事のための取材や撮影も兼ねて、月1回集まってコーチのもとで指導を受けながら走る。みんながビギナーなので、実力はどんぐりの背比べだが、各自でのトレーニングが基本だったので、ナオミはみんなと撮影用に走る以外にも、週4~5日は皇居を1周(5キロ)していた。それは仕事のいい息抜きになっていった。
「トレーニングは自己流でしたが、続けるうちに、チームの中でのタイム計測でもいい記録が出せるようになって。やっぱり私、やるとなったらやるのよ。そう、私はまだ本気出してなかっただけ。これなら、本番では私がいちばんいい記録が出ちゃったりして…?」
と自信をもち始めたのがいけなかった。
「ホノルルマラソン本番は、最初だけ好調で、あとは最悪でした。走るうちにどんどん足が痛くなる、気持ち悪い、力が入らない。走っては吐き、また走り出しては吐くを繰り返し、フラフラ歩きながら、それでも完走しました。タイムは5時間50分。練習してきた私としてはありえないタイムです。
それなのに、いや、苦しかったからこそ、ゴールしたときの感動がものすごくて。景色を見る余裕もなく、自分だけと向き合って、闘って、苦しくても諦めなかった42.195キロ。あの感動をまた味わいたいから、そして今度はちゃんと走りきりたいから、また大会に出たい。すぐにそう思いました」
それからは、早朝や仕事の診察の合間に皇居を走るのが習慣になった。ホノルルマラソンをきっかけに、一緒に走る仲間も増えた。仲間と励まし合いながら、すぐ3か月後からハーフマラソンに3大会、さらに3か月後にフルマラソンの大会に、直後に13キロのトレイルラン、ハーフマラソン、そして次のホノルルマラソンまで、1年で7つもの大会に出た。その翌年はハーフ4大会、フル1回、トレイルランが2回。トレイルランニングとは、林道や砂利道、登山道などを走る中長距離走の一種。周囲の自然を楽しめることもあり、ナオミが好きな大会だ。
「どうしてこんなに続けて出るのかというと、完全にランナーズハイでした。もともと走れるわけでも体力があるわけでもない私が、とにかく“あのときのあの感動”を求めて、走り続ける。もっと辛い思いをすれば、もっとたくさん闘えば、またあの感動が味わえるんじゃないか。ダメな自分を乗り越えられるんじゃないか。でも、完全にやりすぎでした。その影響で、ヘルニアを発症してしまったのです。
その上、私が練習や大会にのめり込むほど、夫と過ごす時間も減ってしまっている…。あれ? これ、ちょっと悪い方向にいってる?」
初めてのホノルルマラソンのような感動は、そのときもその後も、やってくることはなかった。でも、走ることはやめられなかった。こんなふうにナオミがゆきづまっていくのを見て、夫がある提案をした。
「ナオミ、気分を変えて水泳でもやろうよ。一緒に大会に出てみようよ」
(次回に続く)
南 ゆかり
フリーエディター・ライター。『Domani』2/3月号ではワーママ10人にインタビュー。十人十色の生き方、ぜひ読んでください! ほかに、 CanCam.jpでは「インタビュー連載/ゆとり以上バリキャリ未満の女たち」、Oggi誌面では「お金に困らない女になる!」「この人に今、これが聞きたい!」など連載中。