保育園にわが子を預ける罪悪感を乗り越え……
「リニューアル第1号を本屋さんで見た衝撃を覚えています。『Domani、イメチェンしたんだな』って。表紙を見たときに『心強いな!』って思ったんです」
その理由はなんだったのでしょうか。
「『ママはこうあるべき』という長年刷り込まれてきた保守的な価値観をぶち壊すステイトメントを『小学館』の雑誌がやってくれた! という衝撃があったから。もちろんこれまでも、ママでも自由でよい、と宣言してくれる雑誌はあったけれど、やはりその価値観自体が、どこまでいってもまだまだ少数派の枠を出ていなかったというか。
私自身、’90年代、アムラーに憧れるギャルだったので、偏見などあるわけがないのですが、ギャルがギャルママになるのともまた違う、『小学一年生』や『ドラえもん』を発行している小学館が、ママであってもママ以外の顔をきちんと持っていることはかっこいい! とやっと宣言してくれた。
いつまでたってもマスではなかった価値観が、メジャーシーンでも日の目を見たような嬉しさでした。やっと!! 遂にここまできた!! 嬉しい!! 心強い!! という気持ちが大きかったです。
『理想の保守的なママ像』に苦しめられている人って多いと思うんです。専業主婦の母親に育てられたワーキングマザーは、働くことへの罪悪感を心のどこかに抱きやすいのかもしれないと思っていて。私自身も、専業主婦の母親のもとで育ち、でも、子どもを産んでからも、ずっと育児をしながら働いているので、罪悪感にも似た葛藤が常に根強くありました。
保育園にわが子を預けることに対しても、ものすごい葛藤と抵抗があった。私の母親は自分自身が仕事を辞めて、家庭に入った専業主婦だったからこそ、『これからは女の子も社会に出ていい時代。ただ、まだまだ女の子は不利だと思うから、そのためには教養を武器につけなさい。そのためだったら大学院まででも行っていい』と私を育ててくれたんですね。今、思うと、女の子である私に、自分自身はできなかった“自由”と“夢”を託したかのような。かなり気合いが入っていました。
その母親の影響は絶大で、女性である自分の経済的自立は、子どもの頃から当然のこととして、目標にしてきたんです。それなのに、ですよ。実際に子どもを産んだら、今度は自分の母親が一生懸命に育児をしてくれていた事実と向き合うことになった。
『女性の自立』の夢を娘に託した、『専業主婦』の母に育てられた『現代女性』のパラドックスです。
ただ、その苦しみは少しずつなくなっていきました。保育園が子ども達にとっても素晴らしい場所で、私にとっても、そこは多くの働くママパパ達との出会いの場だったのです。保育園に子どもを預けて仕事をする親は、専業主婦の親に比べて愛情が少ないだなんて、そんなことはまったくないのに、そしてそんなふうに、他人に対して思ったこともなかったのに、でも、実際に自分が保育園に子どもを預けることへの葛藤があった。自分がその立場にならないと気づかない“刷り込み”もあるんです。ハッとしました。
保育園の先生方や、父兄の方々にも恵まれて、子どもと一緒に、母親として成長させていただいたと心から感じています。幼稚園もまったく同じだと思いますが、保育園でも子ども達への愛情が、至る所で炸裂していました。もう、その空気だけで癒されました。自分と同じ親という立場の人間が、自分と同じように子ども達を愛している。その事実を感じるだけで、心が癒されるんですよね。いや、それを超えて、感動していちいち涙ぐんでしまう(笑)。
そんなふうにして、働いているママパパたちとともに育児をしてきたのです。でも、子どもが小学校に行き、専業主婦のママと知り合うようになり、あるママから、まったく悪気なく『どうして働いていらっしゃるの?』と聞かれたことがあったんです。それが私には、衝撃的でした。彼女としては『旦那様の収入がありそうなのに、どうして?』という純粋な疑問なんです(私は夫とは籍を抜いていますが、結婚していたときに聞かれたとしても同じ衝撃です)。彼女の考え方がいいとか悪いとかではなく、まだこの世界は、そういう価値観が根強く存在しているんだ、というカルチャーショックがありました。そのタイミングだったので、このリニューアルがうれしかったんです」
保育園ママから小学生ママになると、今まで見えなかった世間が見えてくる。
「自分が身を置いていたのが、狭いコミュニティであり、そこで楽しく暮らしていた自分の世界が、いかに小さな惑星であったかと感じたのです。ほかにも、私のネイルを見て『その赤いマニキュアはご主人が許してくださるの』と言われたのも衝撃的でした。彼女には何の悪気もありません。びっくりしすぎてまったく腹も立たないです。価値観は変わってきたとはいえ、まだまだ“主人”と呼ばれる、“男性”に許可をとって生きることを疑問視しない女性もいるのが日本なのだなぁと、意識改革の必要性を強く感じました」
『Domani』が発しているメッセージは、新しいものではない。
「ママでありながら、仕事を続け、自己実現するのは、世界的には今やひとつのスタンダードです。もちろん、専業主婦も立派なスタンダードのひとつだと思っています。でも、日本では、前者がいつまでたってもマイノリティの枠から抜け出ない気がしています。時間がかかるなぁ、と」
LiLyさんの子どもたちについて伺った。
「伸び伸び育って! という方針なのですが、途中からはそれが自分への言い訳のようになってしまって(笑)。と、いうのも、宿題やらせるだけでいっぱいいっぱいみたいな感じで。
でも、まだ低学年だからいいかと思っていたんだけれど、気づけば子どもは3年生で。学力テストの結果を見たときに、あ、ちょっと伸び伸びさせすぎたかな? と(笑)、冬期講習を勧めてみることにしたんです。
そのときに、『塾はお金が高い!! で、もちろんママはママで買いたいものはあるけれど、それをやっぱりあなたの将来に役立つチケットに使ったほうがいいかなって。今勉強を頑張っておくことって、あなたにとって将来なかなかお得なのよ。でも、決めるのはあなただよ! 行っても行かなくても、そこは任せる!』ってわざとはっぱをかけるように提案したの。『あなたの将来をより生きやすくしたいから、もしママなら必ず使うね、そのチケットは』って言ったら、息子は『それはやるよ、そのチケット、俺は使う』ってなった。塾の送り迎えで息子を待っているときに、小1の娘も塾に行きたいというので、『まだいいよ、ママとやろう』って本屋さんにドリルを買いに行ったときに『Domani』を見たんです」
30代ってこんなに楽しいと思わなかったと、考えているLiLyさん。
「子ども達が小学生になって、育児は育児で最高だし、仕事はやりがいがあるし、ここまでいい感じに両立できるとは、赤ちゃん育児時代には思っていませんでした。私は子ども時代から、女性の自立を目指してきたから、産後はとても迷ったけれど、仕事を手放さなかったことは、私にとっては大正解だった、と今は思っています」
完璧なママを目ざさず、自分は何をしたいかを考える。
「ここ数年で思うんだけれど、こういう女性になりたい、こういう生き方をしたいというのは、ある程度のところまでは、自分で夢や理想を描くこともできますが、最終的には自分では決められないと思っているんです。それは、“体質”だと思う。私は、コンサバを嫌って避けているわけではなくて、学生の頃からどうしてもその枠からはみ出てしまう“体質”なんですね。それがコンプレックスだったこともあるし、今も少し感じます。でも、離婚も含めて、そう生きるしか私にはできなかったんです。私自身も、世間で言われている、“家庭円満で料理上手=理想的なママ”という型に、もし無理なくはまれれば、そういう生き方をしていたのだと思う。でも、ママだけどガンガンキャリアを進む、という人生に気がつけばなっていた。
家事や料理が、とても苦手で、仕事がとても得意なんです。得意不得意は、自分では選べないですよね。だから自分の生き方は、意外と自分は選べない。だからどっちも素敵だし、自分では選べないからこそ“個性”と呼ばれるものになっていくとも思う。
無理矢理、自分を型にはめていたら、続かないと思うんです。今、多様性と言われており、さまざまな生き方を選ぶ人がいますが、それって“自分の性格を含めた体質”で選んでいるところが多い気がします。自分の“体質”に正直に、その中にある自己ベストと自己ハッピーに感謝して生きるしかないと今は考えているんです」
後編では、保育園問題で号泣したこともあった、理想のママを目ざした時代を振り返ります。