真彩:あ! (先生が話してくれた)あれ、わかりやすかったです。本当は人にあまり入ってきてほしくないパーソナルスペースにラファエルは意外と土足で入ってきて、そのことが嫌というか、自分の中でちょっとモヤッとしてしまう。だけど、ドン・ジュアンはなぜかそのパーソナルスペースにスッと入ってこられる人。だから「この人、好きっ!」とガッと一目惚れするというより、そこにいても不思議と嫌じゃなくむしろ興味はあって、自分のスペースに入ってきてほしい。
例えば、「美しかった」と素直にドン・ジュアンが言ってくれるところ。自分の心の奥底で言ってほしいけれど人には言ってほしいと言えない言葉を、言ってくれる人と出会った時にもう惹かれているんだろうなと思いますよね。私は恋愛経験があまりないからよくわからないですが、みなさんあり得ることなんじゃないかと思いました。
生田:そのあたりの心の動きは宝塚版とはだいぶ違いますね。
写真をもっと見る真彩:私、びっくりして! 最初はどうしようかと思いましたもん。ああ、人(ラファエル)のせいにできないな…って。
生田:外部版でも、前回はちょっとマリアに(ラファエルが)プレッシャーをかける要素があったんだけど。
真彩:(ラファエルがマリアに)「お前の手、かわいそうだな」みたいな。
生田:そうしたラファエルのネガティブな要素を抜いたらどうなるかというのをやってみたくて。今回のキャッチコピーが「何かが、変わり始めている-」ということなので、その変化をプッシュしたいなと思いました。
ラファエルは、ラファエルなりの正義感で生きてきた中で、戦場で悲惨な経験をして帰ってきたら自分の恋人は他の男とくっついていて、そこで彼は変わる。マリアも、ドン・ジュアンも、エルヴィラ(ドン・ジュアンの妻)も変わる。すべてのキャラクターの変化の根幹には“愛”があるんですけれども、それは必ずしも美しい変化をもたらすわけではない。憎しみや恨みつらみ、執着、束縛などといった醜い変化もある。宝塚的には強く尊く美しくて気高い“愛”だけれど、そうではない変化の仕方も含めてすべてが“愛”。だからこそみんな“愛”に囚われて生きているんだなぁと思います。
宝塚版では「愛の呪いに~」みたいなセリフ回しをしがちだったのですが、それから5年ほど経って自分も大人になりまして…(笑)、その結論として、“愛”そのものが呪わしいものなんだなと。だって自分の心ではどうしようもできなくて、コントロール不能なものであるから。そして『愛が呪い』という曲名になるわけですよ。
真彩:あー、はいはい! なるほど! そこにつながるんですね。
生田:今回のために、新曲というかフランスのオリジナル版にある曲を、マリアが初めて歌います。今までのバージョンにはなかった曲。
真彩:お、これが「こんなマリアに期待している」ということにつながりますね?
(※「こんなマリアに期待している」は編集部が用意した質問事項)