「心頭滅却すれば火もまた涼し」とは?
「心頭滅却すれば火もまた涼し」とは無我の境地へ辿り着ければ、火を熱く感じなくなることを意味する言葉です。炎天下などの暑い場所で過ごさなければならないときに使いがちですが、本来の意味を知るとあらゆるシーンで使える言葉だとわかります。
まずは「心頭滅却」の意味と「心頭滅却すれば火もまた涼し」の語源と由来、例文を解説しますので、チェックしてみましょう。
「心頭滅却」の意味
「心頭滅却」とは「心を無にすること」を意味します。「心頭滅却すれば火もまた涼し」の略語にあたり、単純にその意味で使われることもあります。
「心頭滅却」をさらに分解すると「心頭」と「滅却」になります。「心頭」は「心」を表し、「滅却」は「滅んでなくなること」を意味します。
しかし、組み合わせて「心頭滅却」と一文にした場合、単純に「心を滅ぼしてなくす」という意味とはなりません。「悩みや煩悩を討ち払って気持ちを落ち着け、心を落ち着かせること」の意味で使用します。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の語源や由来
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の語源は、杜荀鶴の漢詩『夏日題悟空上人院』に書かれている「安禅必ずしも山水を須いず、心中を滅し得れば自ら涼し」です。
「安らかに座禅を組むためには、必ずしも山水の地へ出かける必要はない」、「心中の雑念を打ち払えば、火の中であっても涼しく感じる」という意味があります。
この文章が与える印象から夏や火中など暑い状況を連想させますが、本来はどんな場所でも「無我の境地に達すると、どんな環境でも関係ないこと」を表現する言葉です。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」における例文
「心頭滅却すれば火もまた涼し」における例文は次のとおりです。
・【心頭滅却すれば火もまた涼し】とは言っても、やはり猛暑日にはエアコンをつけたいものだ
・【心頭滅却すれば火もまた涼し】の通り、試合に没頭していると痛みを感じない
・【心頭滅却すれば火もまた涼し】と困難に立ち向かう
最初の例文は「心頭滅却すれば火もまた涼し」から暑さを連想した一般的な使い方といえます。しかし、本来の意味から考えると、暑さに限らず自分の精神を整え、困難に立ち向かっていく様子を表現する言葉ということを覚えておきましょう。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」における4つの類義語
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の類義語として次の4つが挙げられます。
いずれの類義語も「一切の雑念を払い、ものごとに集中できる力」を表現している言葉です。ここでは、類義語ごとの意味や由来、例文を紹介します。
明鏡止水(めいきょうしすい)
「明鏡止水」は「静かに落ち着きがあり、邪念を持たない心の状態」を表現する言葉です。「心に一点の曇りがなく、やましい気持ちが無い状態」や「そのような人がいることによって、心の平安を求めるものへ安らぎを与えられる」といった意味があります。
「明鏡止水」の由来は『莊子』に書かれている「明鏡」と「止水」の二つが組み合わさったものです。「明鏡」は「鏡が丁寧に磨かれていれば埃はつかない、埃がつくのは鏡が曇っている」の一文となります。
「止水」は「人は流れる水を鏡として使わず、止まった水を鏡として使う。不動心を得た人のみが心の平安を求める人にそれを与える」という文章が元です。
一連につなげて読むと、言葉の流れとして完成していることがわかります。「明鏡止水」の例文は次のとおりです。
・【明鏡止水】の気持ちで正月を迎えた
・恋人とのわだかまりが溶け、【明鏡止水】の日々を取り戻した