堅忍不抜(けんにんふばつ)
「堅忍不抜」は「どれだけ辛いことがあっても、心を動かさずに耐え忍ぶ様子」を表現する言葉です。「堅忍不抜」の由来は、中国の書家「蘇軾」(そしょく)が書いた『晁錯論(ちょうそろん)』の中で「古の大事を立つる者は唯だに超世の才有るのみならず、亦た必ず堅忍不抜の志あり」と綴られています。
「昔の偉人は才能に恵まれていただけではなく、我慢を重ねて耐え忍び、何事にも動じない心があった」という意味を表現する言葉といえます。「堅忍不抜」の例文は次のとおりです。
・【堅忍不抜】の心で取り組まなければ、目標は達成できない
・【堅忍不抜】を座右の銘として、志望校合格に向けて努力する
無念無想(むねんむそう)
「無念無想」は「無我の境地に入り、無心になること」や「しっかりした考えがないこと」を表現する言葉です。「無念無想」の由来は仏教用語の「無念」であり「迷いの心から離れ、何も思わないこと」や「心の落ち着き」を表しています。
また、仏教以外で用いられる場合は「悔しさ」を表現するときに「無念」と使います。「残念無念」や「無念を晴らす」などの使い方が一般的であり、「無念無想」を使う場合は、無念の意味と混同しないように注意してください。「無念無想」の例文は次のとおりです。
・トップを取るためにいろいろと考えすぎていましたが、初心に戻り、【無念無想】で勉強に取り組みます
・不安になる気持ちもあるが、重要局面でこそ【無念無想】を意識した方がよい
則天去私(そくてんきょし)
「則天去私」は「小さな自分に捉われず、天地自然にゆだねて生きること」を表現する言葉です。「則天去私」の由来は、夏目漱石が晩年に理想としていた心境と言われています。
「則天」は自然の原理や法則、普遍的な妥当性に従うことです。また「去私」は己の心を捨て去ることを意味しています。「則天去私」の例文は次のとおりです。
・彼が晩年に辿り着いた境地は【則天去私】だった
・【則天去私】の境地に達するには、あらゆる人生経験を積み、人間として成長しなければならない
【目次】
まとめ
「心頭滅却すれば火もまた涼し」は使い方が重要です。心の在り方によっては苦労を感じないことを意味する言葉ですが、他人に強要する言葉ではありません。
使い方によっては、誤解を与えてしまうおそれもあります。「心頭滅却すれば火もまた涼し」は他人へ向けるのではなく、自分自身が行動や態度で示すとよい言葉です。他人に伝える際は十分に注意しましょう。
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