「鰯の頭も信心から」の意味や由来とは?
■意味
「鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)」と読みます。「鰯の頭(いわしのかしら)」でも間違いではありません。
「鰯の頭」のように他人からみれば取るに足らないものでも、それを信じる人にとっては大切なもので、「信心」次第では不思議な力を持つ。という意味。信じる者を肯定的に捉えて使われます。ですが、つまらないものを頑なに信じこんでいる人に対して、揶揄する時に使われることの方が多いことわざです。
では、数多ある魚の中でなぜ鰯なのか? その言葉の由来について見てみましょう。
■由来
「鰯の頭も信心から」の由来は、古くからある節分の風習に因んでいます。節分には新しい季節を迎えるにあたり、邪気や厄を祓うための様々な風習がありました。いまも残る有名なものとして、豆まきがあります。豆まきは病気や邪気を鬼に見立て、家から追い出すことで、病気や邪気を祓うといった意味で行われています。
そうした節分の風習のひとつに、「柊鰯(ひいらぎいわし)」とうものがあります。鋭い棘を持つ柊の小枝と、焼いた「鰯の頭」を玄関や門の外に飾るというもの。この風習は、いまも日本の各地で残っています。「鰯の頭」を使うのには、2つの説があります。1つは「鰯の頭を焼いた時の匂いが強く、その臭気や煙を嫌がるから」という説。2つ目は「鬼が鰯の頭を焼いた臭いにつられてやってくるので、その際に柊の枝の先で目をつく」という説です。
■使い⽅を例⽂でチェック
信じている人を揶揄することが多いこのことわざ。次の例文を見ながら使い方をチェックしてみましょう。
1:会社のプレゼン前にゲン担ぎをしていると、「鰯の頭も信心から」なんて言われる。
会社での大切なプレゼンは緊張するもの。成功させるために何かにすがりたいと思う気持ちはよくわかります。ですが、他のものに頼るゲン担ぎのようなことではなく、集中するための瞑想や、気分転換のために歩くといった準備の方が役立つかもしれませんね。
2:「鰯の頭も信心から」と言われるが、お金持ちになるために10円貯金をずっと続けている。
小さな金額を積み重ねることでお金持ちになるとは思えない、周りの人たちに揶揄されているようですが、小さなことをコツコツ積み重ねて大きなことを成すことは大切ですよね。
3:何かを信じることは大切だけど、それに依存しすぎると「鰯の頭も信心から」になってしまう。
学生なのにろくに勉強もせず神頼みばかりしていたり、金運があがると言われて法外な金額の壺を買うといったことは、まさに「鰯の頭も信心から」。何かに頼らず自分自身を磨くことに注力しましょう。
類語や⾔い換え表現にはどのようなものがある?
では、「鰯の頭も信心から」と同じように、「取るに足らないものを信じること」を表す言葉を見ていきましょう。
竹箒も五百羅漢
「たけぼうきもごひゃくらかん」と読みます。「羅漢」とは、「尊敬されるに値する人」という意味で「阿羅漢」を省略した言葉になります。意味は「鰯の頭も信心から」と全く同じで、「竹箒ですら五百羅漢のように価値のあるものとして崇めてしまう」という意味です。
白紙も信心から
「はくしもしんじんから」と読みます。「鰯の頭」を「白紙」に言い換えたもので、「鰯の頭も信心から」と全く同じ意味になります。