鰯の頭も信仰から
「いわしのあたまもしんこうから」と読みます。「信心から」と「信仰から」の違いだけですが、「鰯の頭」を使った類義語です。こちらも正しいことわざなので、「間違いですよ」と指摘しないように。
「鰯の頭も信心から」の対義語は?
「鰯の頭も信心から」の対義語を見ていきましょう。「とても価値のあるものだけど、その価値がわからない人にとってはとるに足らないもの」という意味と、「疑うことばかりで、信じることが出来ない」という意味のものがあります。
豚に真珠
「豚に真珠(ぶたにしんじゅ)」とは、「価値がわからないものに、価値のあるものを与えても無駄である」という意味です。「鰯の頭も信心から」とは意味は逆ですが、使い方はその人を揶揄したり、馬鹿にしたりするときに使います。
猫に小判
「猫に小判(ねこにこばん)」は、「豚に真珠」と全く同じ意味です。このことわざに猫が選ばれたのは、人の意に沿うような行動を取らないことが理由とされています。簡単に言うことを聞かない点がこの言葉の意味にぴったり合っていたのかも知れません。
疑心暗鬼
「疑心暗鬼(ぎしんあんき)」の意味は、「一度疑い始めると、ほかのこともすべて疑わしく思える」です。簡単にものごとを信じない人のことを表しています。
「鰯の頭も信心から」の英語表現は?
「鰯の頭も信心から」の英語表現を見てみましょう。日本語と同じように「sardine(鰯)」を使う言い方があります。
「The head of a sardine can be great if you believe it」
日本語に直訳すると「鰯の頭(head of a sardine)も信じれば素晴らしいもの(great)となる」となり、「鰯の頭も信心から」とほぼ同じ意味となります。
少し意味合いは異なりますが、
「Miracles happen to those who believe in them」
日本語に直訳すると「奇跡(Miracles)は信じる者だけに訪れる」という意味になります。意味合いは「信じることは素晴らしい」というポジティブな表現ですが、「鰯の頭も信心から」の日本語表現として使えます。
ちなみに中国語では「精诚所至金石为开,心诚则灵」と表します。
最後に
「鰯の頭」と「信心」。節分の風習から来ていたことわざだったのですね。日本の文化である風習から由来する言葉は、日本人として大切にしたいものです。ですが、このことわざは、人を揶揄する時に用いることが多いので、使う時には注意が必要です。言われた方は気分を害することに。
とるに足らないものでも、何かを信じることは大切なこと。ですが、現代社会においては、何を信じていいのかわからないこともあるでしょう。現代において「鰯の頭」は自分の心なのかも知れませんね。
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