「人間は考える葦である」とは?
「人間は考える葦である(にんげんはかんがえるあしである)」とは、フランスの思想家パスカルが語ったとされる言葉です。「考える葦」の部分だけを取り出して、慣用句的に使うこともあります。
パスカルはこの言葉で、葦という植物の中でも特別にか弱く細い存在を人間にたとえました。自然の中の人間という一個の存在のはかなさと、思索する偉大さを対比しているとも捉えることができるでしょう。
【考える葦】かんがえるあし
パスカルの「パンセ」の中の言葉。「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」として、人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表したもの。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
■誰が言った言葉?
「人間は考える葦である」とは、フランスの思想家であるブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)による言葉です。パスカルは1623年にフランス中部のクレルモで生まれ、1631年に一家でパリに移住しました。
パスカルは子どものときから科学者と接する機会が多く、幾何学に興味を持ったり、計算機などを発明したりと、その才能を開花させていきます。
また、24歳のときには宗教的自覚を体験し、信仰に身を捧げ、キリスト教徒として生きていくことを決意しました。特にイエズス会の自由主義的な考え方を批判し、キリスト教の真理について文章で明らかにしようと『プロヴァンシアル』を執筆します。
学問や発明、宗教にと積極的な活動に明け暮れたパスカルですが、1662年には重い病いに陥り、その生を閉じました。
思想家であり科学者、数学者でもあるパスカル
パスカルといえば「人間は考える葦である」という言葉が遺されているように、思想家としての側面が印象深い人物です。また、物理学や幾何学など幅広い学問にも才能を発揮し、科学者や数学者としても知られています。
例えば、密閉容器内に入った物体は、固体・液体・気体のいずれにおいても各部分にかかる圧力が等しくなることを示しました。これは「パスカルの原理」と呼ばれ、物理学の基本として広く知られています。
そして、円に内接する六角形の対応する辺の交点は、同一直線状に並ぶという「パスカルの定理」も有名です。この原理はパスカルが16歳のときに証明し、現代でも幾何学上のさまざまな問題を解く際に用いられています。
■どの本に書かれている言葉?
「人間は考える葦である」という言葉は、『パンセ』と呼ばれる書物に記載されています。パンセとは断想という意味で、パスカルの普段の思考の一片が集められている書物です。
しかし、このパンセはパスカル自身が執筆した書物ではありません。パンセはパスカルの死後、友人たちによりパスカルが執筆した言葉を集めて編集されたものです。
「人間は考える葦である」という言葉に代表されるように、人間に対する思索や文章について、神について、賭け事についてなど、さまざまな対象に対するパスカルの考えがまとめられています。
■「人間は考える葦である」には続きがある
「人間は考える葦である」には、続きがあります。かいつまんで見ていきましょう。
人間を押しつぶすためには宇宙全体が武装する必要はなく、蒸気や一滴の水でも人間を殺すことはできるだろう。もし宇宙が人間を殺しても、人間は尊い。なぜなら、人間は自分自身の死を理解している点で、宇宙よりも尊厳のある存在といえるのだ。人間の尊厳は、すべてその思考の中にある。よく考えることに努めよう。考えることにこそ、道徳の原理があるのだ。
「人間は考える葦である」を分析してみよう
「人間は考える葦である」という言葉は、さまざまな意味を含む含蓄のある言葉です。この短いフレーズの中には、次の3つの要点が含まれていると考えられます。
〈3つの要点〉
・小さくか弱い存在としての人間
・思考力を持つ存在としての人間
・考えて出した答えがその人を表す
それぞれの要点がどのように「人間は考える葦である」という言葉を構成しているのか、わかりやすく解説します。
■小さくか弱い存在としての人間
自然界には、さまざまな植物や動物がいます。しかし、その中でもあえて細い葦にたとえたことで、人間という存在が宇宙から見れば本当に小さく、か弱い存在であることを表現していると考えられるでしょう。
なお、葦は聖書の中にも出てくる植物です。そのため、葦を選んだことは偶然ではなく、キリスト教徒として自覚していたパスカルらしい選択だといえます。