「達観」とはどんな言葉?
達観している……この「達観」とは、どのような言葉なのでしょうか。達観は、2つの意味をもつ言葉です。本章では初めに、達観の読み方や正しい意味、似た言葉として知られている「俯瞰」や「諦観」との違い、言葉の語源について解説します。本章を参考に、達観の意味・語源を理解して、日常会話でも正しく使えるようになりましょう。
■達観の読み方・意味
達観は「たっかん」と読みます。日常会話やビジネスの場面で、おそらく「達観している」という表現を耳にしたことがあるかもしれません。「達観」を辞書で調べると、以下のように説明されています。
達観[名](スル)
1. 広く大きな見通しをもっていること。遠い将来の情勢を見通すこと。
2.目先のことや細かなことに迷わされず、真理・道理を悟ること。俗事を超越し、さとりの境地で物事にのぞむこと。
<小学館 デジタル大辞泉より>
「達観」は上記のように、2つの異なる意味を持つ言葉です。どちらの意味かは状況に応じて判断しなければなりません。一つは広い視野で全体を把握することを指しており、もう一つは心理や道理を悟ることを表しています。
■俯瞰・諦観との違い
達観と近い言葉に「俯瞰(ふかん)」や「諦観(ていかん)」があります。「俯瞰」は物事を上から見ることや全体を広く見渡すといった意味です。広い視野で事象を捉えるという要素が強調されています。「諦観」は、本質を理解して悟りをひらくという意味で使われる言葉です。「諦める」という要素が含まれており、ここで一区切りして、新たな段階に進むといったニュアンスが感じられます。
■「達観」の語源
「達観」という言葉は、もともと仏教の専門用語でした。仏教では、真理を悟ることが「仏」と同等であるとされています。この観点から考えれば、真に「達観」した人は、宇宙全体にどれだけ存在するのか、という議論につながるでしょう。
私たちが通常「達観」と表現するのは、ある程度それに似ていると感じるためであり、ある意味比喩的な表現ともいえます。
「達観」の使い方
「達観」には「広い見通しがあること」や「真理・道理を悟っていること」といった、2つの意味があります。2つの意味を混合しがちですが、文脈によってどちらの意味で用いられているのか判断しなければなりません。本章では、達観の使い方や具体的な例文を紹介します。使い方を間違えてしまわないように注意してください。
■使い方
「達観」という言葉は、大まかに分けて二つの意味があるため、具体的な文脈に沿って、その使い方を判断しなければなりません。ただし、言葉の意味をしっかり理解していれば、適切に使用することは、それほど難しくないでしょう。次項で具体的な例文を紹介していきます。「達観」を正しく使用するための参考にしてください。
■例文
「達観」を正しく使用する使い方としては、以下の例文を参考にしてください。
・彼は一見すると「達観している人」という印象だったけれど、案外、ネガティブな性格でもあるみたいだよ
・彼女はいつでも、達観した考えをもっている。説得は無理そうだ
・彼はまだ大学生なのに、どこか大人のように達観した考えをもっているように見える
「達観」の対義語
達観の対義語には「固執」「執着」「拘泥」があります。いずれも特定の物や考えにこだわる様を表した熟語であるため、悟りをひらくといったニュアンスを含む「達観」とは対をなす言葉です。本章ではそれぞれの対義語について、正しい意味を解説していきます。どのような点が「達観」と対となっているのかに注目しながらチェックしていきましょう。
「固執」
「固執」という言葉は「こしつ」と読みます。自分の意見や態度、考え方などを頑なに変えず、譲らないことを表した言葉です。通常、否定的な意味合いで使用されることが多い表現ですが、時には肯定的な文脈で利用されることもあります。ただし非常に強い表現であるため、頑固な印象を持たれることがあるかもしれません。使う時は注意しましょう。
「執着」
「執着」は「しゅうちゃく」または「しゅうじゃく」と読みます。特定の事柄や人物、場所から離れられない、心の状態を表します。
仏教では「執着」こそが、あらゆる悩みの根源であると考えられているため、この言葉は仏教の文脈では否定的な意味合いを持つため注意してください。例文としては「彼はお金に執着心を持っています」といった使い方をします。
「拘泥」
「拘泥」は「こうでい」と読む言葉です。いくつかの選択肢が存在するにもかかわらず、ある事柄に過剰にこだわり、執着することを指します。一つのことに固執しすぎて、周囲の全体像を見失う状態を表現しており、否定的な意味合いを持つことが一般的です。例文としては「誰しもミスは犯すことがあるため、過度な拘泥は避けましょう」といった文脈で使います。
「達観している人」の特徴は?
あなたは特定の人を何となく「達観している人」と認識していませんか。しかし本当にその人は、達観している人なのでしょうか。本章では達観している人の特徴として「欲が少ない」「落ち着いていて冷静である」「客観視できる」といった3点を紹介します。自分が達観していると感じている人に該当しているか、考えてみましょう。
・欲が少ない
多くの人はさまざまな物事や成功、愛情に対する欲望に駆られますが、達観した人々は自身の欲望に過度に囚われないといった特徴があります。周囲の影響を受けず、他人を羨むことや嫉妬することなく、自己と他者を明確に区別できるためです。
達観している人は、すでに手に入れたものや必要なものを認識しており、充足感を覚えています。不要なものを求めることや、手に入らないことに苦しむ必要もありません。
・落ち着いていて冷静
達観した人々は冷静です。予期せぬ出来事が起こっても、自己を見失ったり絶望的になったりすることはありません。予期せぬ変化や計画の崩れは、どの人生にも訪れるものです。すでに起こったことに対しても動揺せず、状況が変わらないことを理解している方は、達観している人といえるでしょう。トラブルがあっても速やかに対処できるため、職場にいると心強いかもしれませんね。
・客観視できる
達観した人は、常に偏りのない視点から物事を評価できます。視野が広く事象を正確に判断する能力を持つため、誤った情報やデマに惑わされず、冷静な判断ができるでしょう。人間関係においても、特定の個人やグループを支持したり、敵対視したりせず、公平な立場を保てます。すべての人の感情や立場、関係性を理解しているため、どの人に対しても穏やかに接することができるでしょう。
「達観する」を正しく使用しよう!
「達観」という言葉について解説しました。先々まで見通せる人や、欲が少なく悟りをひらいているように見える人を「達観した人」と表現します。このような人は「クールな人」と思われるかもしれません。ただし落ち着いていて動じない人は、少し「冷めている人」という印象を持たれてしまうこともあるので、注意しましょう。
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