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2018.10.16

アラフォー女子のセカンドハウス物語【カリスマエステティシャン真理子の場合】/story1 ホームシアター付きのマイホーム

マイホームと別に、自分だけの「セカンドハウス」を見つけたワーキングウーマンの実録ストーリー。エステ開業と同時に銀座のマンションを借りた真理子さん(仮名)の1回目。

Text:
南 ゆかり(フリーエディター)
Tags:

story1 夢見る彼と郊外の戸建てに住んでみたけど…

Profile
真理子さん(41歳/仮名)夫あり
職業/エステティシャン
趣味/漢方、習字
住まい/東京・立川市(戸建・購入・地上2階2LDK+半地下1部屋)
    東京・中央区銀座(マンション・賃貸・35平方メートル・家賃20万円)

○story1 ホームシアター付きのマイホーム
○story2 銀座のセカンドハウスで夜景を観て暮らす
○story3 物を減らしてわかる家のよさストーリー

夢を応援したい

「いつか自分の映画をつくる。そんな夢をもってる彼のこと、いいなと思って。それで、つきあってすぐ、私から結婚したいと伝えました。あなたの映画づくりの夢を応援するから。その分、私が稼ぐから。本当にそう思っていたんです」

真理子が30歳、夫・太郎が32歳のときだった。学生のときから自主映画を制作してきて、「いつか脚本・監督でヒット作をつくる」と言っていた太郎。その夢が中途半端なものでないことは、彼が本格的ホームシアターをもちたいがために、郊外に戸建の家を買ったと聞いて、確信した。そして太郎自慢のホームシアターに初めて真理子を招いた日が、ふたりが結婚を約束した日となった。

2階建で2LDK、半地下に10畳ほどの部屋がついている。この半地下の部屋が、太郎の念願のホームシアターだ。3,500万円の土地付き一戸建てで、立川駅から徒歩10分ほど。小さいながら庭と駐車場がついているが、横の壁は近隣と近いこともあって、ホームシアターには防音設備を導入し、ビデオやDVDを収納する壁一面のラックをつくってあった。100インチの大型スクリーンと大型スピーカー、ヴィンテージのソファ。そのソファで太郎は、「いつか自分の家族を題材にした映画をつくる」と、目を輝かせて語ってくれた。そのプロットもすでにあって、小さい時に亡くした彼の母親への思いが描かれていた。

「私、映画といえばメジャー作品くらいしか知らないから、彼のプロットが面白いのかどうか、よくわからなくて。でも、地味な話だけどいいと思う人もいるんじゃない? どんどん売り込んだら? ってアドバイスしました」

けれど、そのプロットが脚本になったり、ましてや映像になったり、ということは、それから先もそして今も、まったくない。彼が30代で成し遂げたことというと、映画のコラムを書いたり映画雑誌の編集部で働いたお金で、家のローンを完済したことくらいだった。

子どもが無理なら、仕事に没頭しよう

真理子の30代はというと、漢方の知識を活かしたエステが人気を集め、働く女性の駆け込み寺のようになっていた。フェイシャルもボディもフットも、真理子のマッサージはかなり強めだけれど、その後にかけてくれる言葉の温かみや包容力が大きい。

「静岡の自宅で母がエステをやってきたのを見てきたので、私も自然と同じ道に進みました。初めは、友人が赤坂のマンションの一室で開業したエステで、共同経営という形で。ワンルームのマンションの一室で、ベッドはふたつ。家賃も10万円ずつ折半でした。お客さんは絶えなかったですね。友人は最新美容に詳しく、私は薬剤師の資格をもっているので漢方的なアドバイスができて、それぞれ得意分野も違うのでお客さんも別々。休みなしで施術してましたけど、疲れも感じないくらい、すごく充実していました」

雑誌でも「漢方エステ」として取り上げられることが増え、予約が取れにくいエステとしても知られるようになった。

エステで1日の仕事を終えて、赤坂から1時間かけて帰る立川の家は、周囲が静かなこともあって、疲れを和らげてくれた。真理子は太郎と違ってコレクション癖がない上に、ものをあまり多く持たない性分だ。ミニマリズムを反映させたリビングダイニングは、テレビも置かず、大きなソファとテーブルだけですっきりしている。ただ、太郎が買い集めている映画関連の本を収納する大きな本棚だけは、置くことを許してあげた。このリビングルームで、真理子が薬膳の知識を活かして作った鍋をふたりでつっつくのは、夫婦の大好きな時間だった。そのときは、たいていは真理子が太郎の聞き役になる。そして家のローンは太郎が払っていたので、それ以外のものは生活費も含めほぼ真理子が負担していた。

ビジネスとしての成長も実感できて、さてこれからどうやって事業を広げて行こうか。真理子が考え始めた矢先のこと。

「実家の母が75歳をすぎて、エステを続けるのが厳しいと言い出したんです。でも、長年通っているお客さまを断るわけにもいかないから、私にエステを引き継いでほしいと言うんです。それは無理だな。立川の家から静岡に通えないし、赤坂のエステもやめるわけにはいかないし。母が提示した妥協案は、『1ヶ月のうち1週間だけ帰ってきてエステをやってくれれば』でした」

母のためなら、なんとしても協力したかった。月に1週間だけ静岡に帰るのは、赤坂の予約を調整さえすれば、無理なことではなさそうだ。

けれど、真理子はひとつだけ引っかかっていた。

「子どもが欲しかったんです。40を前に焦る気持ちが大きくなってきて、だから太郎との家を離れたくなかった。けれど、彼とはもう3年前からセックスレス。それで、夫に話してみたんです。子どもがほしい、年齢的にもチャンスは少ないと思うと。彼、なんて言ったと思います? 『自信がない』とひとことだけ。そう言って、地下のホームシアターに入っていきました。それからですね。彼の生活のほとんどが、ホームシアターの中になったのは」

もし、彼が「無理」とか「あきらめてほしい」と言ったら、真理子はそうしていただろう。けれど、「自信がない」という中途半端な答えだけをもらって、気持ちの置き場所がなかった。一緒に不妊治療に行こうと誘ってみたこともあったけれど、最初のカウンセリングに行っただけで、それっきりになってしまった。

「子どもができるのかできないのか。彼はいいのかイヤなのか。いっそのこと、別れるのか別れないのか。すべてがYESでもNOでもない状態。それがイヤでした。かといって、私が決めることもできないし。それにモヤモヤしている自分もイヤ。

私が決められたのは唯一、『仕事に没頭しよう』『自立しよう』ということでした」

母には毎月最終週に静岡に帰ってエステをやると返事をした。同時に、赤坂のエステをやめて、自分のサロンを開くことに決めた。共同経営ではなく、自分だけのサロンをもつことが、真理子にとっての「自立」だったのだ。サロンの場所は、以前からもちたかった銀座にしぼって物件探しを始めた。予算は家賃20万。赤坂での共同経営のときより倍の家賃になるけれど、それでも20%を蓄えに回せるくらい、売り上げが見込めると確信してのことだ。

このときはまだ、銀座の物件はセカンドハウスにするつもりはなかった。あくまでもエステサロンとしての仕事場であり、立川の家から通うつもりでいたのだ。そうでなかったら、夫とのつながりが消えてしまいそうだったから。会話もセックスもないけれど、だからといってきっぱり切ってしまう理由もなかった。

story2 「銀座のセカンドハウスで夜景を観て暮らす」に続く。

南 ゆかり

フリーエディター・ライター。10/5発売・後藤真希エッセイ『今の私は』も担当したので、よろしければそちらも読んでくださいね。CanCam.jpでは「インタビュー連載/ゆとり以上バリキャリ未満の女たち」、Oggi誌面では「お金に困らない女になる!」「この人に今、これが聞きたい!」など連載中。

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