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LIFESTYLE 私の生き方

2019.07.01

私が年商100億円の女社長になるまで【マネできない⁉けど、マネしたい!女のヒストリー】

学校を卒業して、就職して結婚して、子育てして…。そんな日々も十分幸せだけど、人がマネできないような波乱万丈な人生を歩んだ女性の人生から学ぶこともあるはず。多くの困難を乗り越えて、充実した日々を送る先輩女性たち3人が登場します。ひとりめは、「株式会社ランクアップ マナラ化粧品」の社長、岩崎裕美子さん(51)。美容液成分91.3%という「ホットクレンジングゲル」(メイク落とし)が大ヒット! 年商100億円以上の会社を束ねる彼女の人生とは。(全4回連載)

第1回 玉の輿が目標だった女子が年商100億の化粧品会社の社長になるまで

株式会社ランクアップ
代表取締役・51歳
岩崎裕美子さん

突然横づけされたスポーツカーが彼女の人生を変えた

 北海道で生まれ育ち、短大を卒業して地元で旅行代理店に就職した岩崎さん。当時の目標は、「めざせ、玉の輿!」。地元で、一生添い遂げられる王子様を探していたそう。そんな岩崎さんの人生を変えたのが、地元の先輩が起業して大成功したのを知ったこと。
「旅行代理店のカウンターに座っていると、突然ド派手なスポーツカーが止まったんです。だれだろう…と見てみると、なんと地元の先輩。彼の実家は自営業なのですが、実家を出て自分で起業して成功してそれを私に見せびらかしにきたんです(笑)。私は、彼は家業を継ぐものだとばかり思っていたので〝人生って自分しだいでどうにでもなるんだ!〟と衝撃で。そのとき、私も起業して社長になりたい! と思ったんです」

 そうして、約2年間勤めた旅行代理店を辞めた岩崎さん。まずは、営業を学ぼうと広告代理店に転職、その後転勤で東京勤務となった。写真はそのころのもので、当時27歳。東京では、毎日営業ノルマに追われる日々。つらい日々も、起業のための勉強だと思って乗り切ったそう。その後、その会社で一緒だった上司が立ち上げた広告代理店に転職した。

会社が変わらないなら、自分の会社をつくるしかない

「転職先はほぼ創業メンバーで入社し、取締役営業本部長まで経験しました。ここもとてもハードで、深夜残業や休日出勤はあたりまえ。自分はもちろん社員にもそれを強いていたから、社員は長続きせず、すぐに辞める人が多かったんです。あるとき、管理職が全員辞めてしまったことがあって、このままではいけないと社長に何度も社員たちの残業を減らすように訴えました。ですが、社長を説得することはできませんでした」

そこで、岩崎さんは「もう自分の会社をつくるしかない!」と36歳で退職。
「不規則な生活を続けていたせいで、肌はボロボロ。上の写真はそのころのもので、36歳なのに、40歳以上に見られることもありました。当時、なんとか若返りたくて、高い化粧品をたくさん試したけれど、全然肌が変わらなかったので、『それなら、自分で化粧品をつくって、肌を変えてみせる!』と決心し、化粧品会社を立ち上げたんです」
ただ、化粧品については素人同然。理想の化粧品をつくってくれる研修者探しからスタート。半年かけてようやく研究者を見つけて初代「ホットクレンジングゲル」が誕生したのです。

現在は累計販売数1000万本を突破(※2018年6月現在)。2019年にはパッケージをリニューアルした。
「広告代理店時代の反省を生かし、今も長時間労働をさせない仕組みをつくり、会社の福利厚生制度も充実させました。私自身は39歳で結婚、41歳で出産しました。社員の提案から、次々に新しい商品が生まれ、売り上げも順調で12年連続アップしています」
創業13年で、今では100億円以上の売り上げる会社の代表の岩崎さん。これから、3回にわたって彼女の数奇な人生の中で苦しかったこと、うれしかったこと、そして、読者へのメッセージをご紹介します。
(次回に続く)

取材・文/赤木さと子(スタッフ・オン)

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