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LIFESTYLE 私の生き方

2020.02.27

バリキャリワーママを辞めて3年経った今思うこと。正直な気持ちをお話します。

 

国内外の出張や残業もこなし、バリバリしていた働き方から一転、フリーランスで働くDomanist福吉彩子が今だから言える「ワーママ・キャリアの転機」についてお話します。

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「ワーママ・キャリアの転機」について

自分で「バリキャリ」とか言ってしまうのもどうかと思うのですが、周りの人たちからそんな風にみられていたようなので、ここは敢えてそう呼びます。新卒から15年務めた会社を辞めて3年が経ちました。手放すのをあんなにためらって、不安で仕方なかった「キャリア」や「肩書」でも、それを手放した結果、私は自分を縛っていたものから解放され、身も心も自由になることができました。
「こうあらねばならない」という、自分で作った型の中に縛られて、まるで自家中毒のように「だめだ・だめだ」となる、そんな「枠」から飛び出すことができました。

今の私は、前の会社での経歴があってこその私だし、素晴らしい会社だと今でも思っているし、私はそこで、生涯の友人も、尊敬する先輩も、何より人生のパートナーまで見つけたわけで、だから、あの会社で出会った人たちが困っていたらすぐに助けてあげたい、と思うのだけどそれでも、私の人生の中で、いい時に辞めたなと思ってます。私がした人生の大きな「選択」の中でも、なかなかよい決断とタイミングだった、と。

知らない方ももちろんいらっしゃると思うので、少しだけ説明させていただくと、私は3年前に15年務めた外資系メーカーを退職しました。時短勤務はせず、ずっとフルタイムで7年間ワーキングマザーをしましたが、保育園は8時半から預け、週に最低3回はシッターさんにお迎えから21時ごろまでお願いをし、加えて月に1~2回の国内出張、年に1~2回の海外出張をするような働き方をしていました。
夫のアメリカ留学についていくため、会社を辞めようとしていた私に、3年にわたる休職を認めてくれたり、出産後は在宅勤務が選べたりなど、働き方の柔軟度は日本の中でもぐんを抜いていて「女性が働きやすい」ことで有名な会社でした。
だからこそ、会社を辞めることに悩みました。周りに「もったいない」「せっかくのキャリアなのに」と言われることが怖かった。両親から「なんで辞めちゃうの」と聞かれることも怖かった。

やめようと思ったきっかけは、当時保育園年長だった長男がだんだんと様子がおかしくなってきたことでした。
私は新しい管理職という職責にとまどう日々で、それでもなんとかきちんとこなしたい、と心もカラダも仕事に追われ、家族の関係が少しずつゆがみはじめていました。長男は年長クラス生で4年も通いなれた園なのに、朝の送迎時には泣きわめいて暴れるようになりました。カラダの大きな年長児が泣いて暴れて、男の先生が二人羽交い絞めにしてなだめないといけないほど。そして、ついに、彼は保育園最後の運動会も出たくないと当日ボイコットしました。「かあさんに失敗するところをみられたくないんだ」と、後で話してくれました。

彼が必死でリレーの練習していたこと、それでも最後までなかなかうまくいかなかったことを、私は運動会の後に知りました。運動会をボイコットしている間中、応援席でひとりぼっちで座って、背中をまるめて下を向いていた長男。運動は大好きなはずなのに、周りのみんなが最後の運動会を楽しんでいる、そんな中、ひとりぽつんと丸めた小さな背中。
自分のみならず家族にも「完璧」を求めていた、仕事に没頭して、そんな生き方をしていたことに気が付いて愕然としました。

この事件が一番大きなきっかけとなって、長男と家族のこれからを考えて、今は私が仕事を辞めることで時間をつくって、家族との時間と心のゆとりを生み出そう、と思い退職を決めました。

「xx社(前社の名前)の彩子さん」でいられなくなることが、途方もなく不安だった。何者でもない自分になるような気がして、不安で不安で仕方がなかった。

でも、あれから三年、今、ほんとうに晴れ晴れとした気持ちで新しい春を迎える私がいます。

私が仕事に追われなくなって、できた時間はまずは家族との時間に費やしました。夕方にはなるべく家にいて「おかえり」が言えるようにすること。生後3か月から保育園で、常にお迎えが遅いグループだった長女には、なるべく早い時間にお迎えを。平日の夕方に始めた習い事は、見学にいけるようになりました。小学校はクラスのPTA役員になり、授業参観には皆勤賞で参加できました。

▲2歳差だったのでよく使っていたPhil&Tedsの二人乗りベビーカー(通園風景が全く見当たらず・・・友人に譲るときに撮影した1枚)

▲保育園への登園は話したかったのので、できるだけ徒歩で

▲小学1年生、お迎えに行けるのが嬉しかった

「かあさん、見て!」という子供たちの言葉に、顔を向けて手を休めてみてあげられる余裕ができました。

子供たちの「かあさん、見て!」の多いこと・多いこと。これって昔からだったのかな?お手伝いブームの長女に夕飯のお手伝いをさせてあげられるようになりました。

▲お手伝い風景、心にゆとりがないとお手伝いもなかなかしてもらいづらいですよね

▲ちょっとしたいたずらも、イライラせずに一緒に楽しみます

家にいる時間が増えた私が運転しやすいように、と夫が買い換えてくれた新しい車で、夫がいない週末でも3人で遠出して、子供たちを新しい場所に連れ出してあげられるようになりました。体がついていかなくて、昼寝ばかりしていた休日がアクティブになりました。遅く帰ってきた夫に夕飯をつくることができるようになりました。

▲一緒にいろんなところにお出かけできるように

そう、あんなに自分の「すべて」だと思っていた会社は(あたりまえだけど)すべてではなかった。すぐに大きくなる子供たちの成長を見守り、育てていく「母」という役割を、私は仕事にかこつけて、あまりにもおろそかにしていたのだなあと、辞めて初めて思い知りました。

私は今、前職でしていた仕事内容を、フリーランスで「コンサルタント」として請け負い、自分のペースで仕事をしています。無我夢中で突っ走ってきたワーママ時代の7年があったからこそ、こういう仕事や働き方ができるのだと思う。

今、周りを見ても、働き方ってホントに多様。
私のように、新卒で同じ会社で働き続けること以外にこんなにたくさんのやり方があったなんて、気が付かなかった。世界にはいろんな人がいて、いろんな考え方がある、という多様性を、外資系で働く中でイヤというほど見てきたはずなのに、働き方の多様性には、あまり気が付くことができなかった。今までの生き方を手放したら、気が付くことがいっぱいあって、違う世界がひらいていけるし、ひらけていく。大事に大事に握りしめていた何かは、そんなに大事じゃなかったと気が付くこともあるし、気が付かなかった何かが、本当は大事だったって思うこともあるのだと思います。

仕事と仕事以外のバランスがとても心地よく、こんな風に穏やかな気持ちで、また新しい春が迎えられるなんて、ひたすらこの環境に感謝するばかりです。

今、キャリアに悩んでいるワーママのみなさん、働き方や子育てって本当にいろんな形があると思います。今のやり方に縛られず、子育てステージや環境に応じて変えてみる、そのために自分がまず何かを「選択」することが、何かを変えるきっかけになると思います。何かを「変えない」ことにするのも、立派な「選択」。周りが変わっているのに、私だけ前と変わらない・・・・のではなく、それは自分のした「選択」だから、自覚的に思えるようになると、見えてくる世界が変わるのだと思います。

バリキャリワーママやめて三年、私は、今すごく幸せです。

▲小1の運動会は、やっと笑顔で!

▲すっかり大きくなりました!私も子供たちも、ハッピー!

Domanist

福吉彩子

外資系企業で15年働き、独立。現職はフリーのマーケティングコンサルタント。メークセラピストの一面ももち、自宅でレッスンを行っている。「ワーママ・オブ・ザ・イヤー2016」受賞者。
IG:https://www.instagram.com/fuku44aya/

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