【目次】
第17回:娘と二人シンガポールへ移住、英語が話せないゼロからのスタート
〈お話を伺った方〉
AS Global Education 取締役 ホランビー芳子(Yoshiko Hollamby)さん・桃子さん
聞き手・原稿:教育エディター 田口まさ美
▶︎Instagram:@masami_taguchi_edu
今回のゲストは、シンガポールとオーストラリアの両国で、日本人向けの留学のエージェント会社を運営されているホランビー芳子さんです。まだまだ日本では「特別」感のある留学を、教育の選択肢の一つとして捉えるその考え方や具体的なプロセスをお伺いします。
田口:芳子さん(お母さま)と桃子さん(お子さん)は、シンガポールとオーストラリアの両国で日本人向けの留学エージェントをされていて、留学を考えるご家庭から大変信頼が厚いとお伺いしています。まだまだ一般的には馴染みの薄い留学について様々なお話をお伺いしたいのですが、そもそもお仕事を始められたきっかけは、お二人でシンガポールに親子移住されたことなのですよね?
Yoshiko:私たちは母子二人で、娘が14歳の時から去年までの9年間をシンガポールで過ごしました。シンガポールに親子で移住したきっかけは、実は教育移住メインの目的ではなく、私が母親を亡くしたことだったんです。母が亡くなり、娘と二人で取り残されたような気持ちになってしまって、このまま日本にいても辛いだけだし、日本にいなくてもいいかなって思ってしまったんです。
当時は毎日が忙しかったため、空いている時間を使って他の移住国や留学国を探していました。そんな中見つけた国シンガポールへ飛び立ったのです。私は37歳、娘は14歳。それまでは留学や海外移住しようなどとは全く思っていなかったのですから、今思えば突然の一大決心でしたね。
Momoko:亡くなった祖母は幼い私に、「これからは海外で、英語で」ということは時々言ってくれてはいましたが、実際には公立中学に通っていて、英語といえば学校の授業のみでした。
私は英語が得意教科だったのですが、実際に留学が決まってから出発までの時間に駅前の英会話塾に通って、基本的な日常会話がなんとかできるレベルまで勉強しました。そんな英語力で、すでに14歳だったので、シンガポールで受験できる学校も少なく、エージェントさんに「ここしかないです」と言われて、選ぶ余地もなく、そこに入りました。
Yoshiko:当時私は日常英会話が話せるくらいのレベルでした。二人とも、初めての国で、知り合いもいないシンガポールに行ったんです。そんな状態でしたから、当初は帰ることが前提でした。
ずっと住むなんて絶対無理!と思っていて、「何ヶ月もつかな?そのうち娘も根を上げるかなぁ?そしたら帰ろう」と。将来のことや、大学のことまでは全く考えていなかったんです。ですが、予想外だったのは、徐々に娘に友達ができ始めまして。
Momoko:学校の準備コースで、英語がほとんどできない子同士、なんとかコミュニケーションを取ろうとしているうちに仲良くなっていったんです。私の通っていた学校は中華系インターナショナルスクールだったため、クラスメイトはほぼ全員中国人でした。 初めはギクシャクもしましたが、そのうちに深い絆ができてきて、「日本に帰りたくない」と思うまでになりました。
英語がわからない者同士の絆。英語力は最初の半年で急速に成長
Momoko:英語力は、最初の半年ですごく伸びました。とても凝縮した時間だったと思います。だいたいみんな半年くらいで基本的な日常会話ができるようになって、1年目で授業についていけるレベルになり、本科コースに入れた感じです。
Yoshiko:私は「大丈夫? 我慢しなくていいよ」なんてよく言っていましたが、子供はすごいですね。
田口:子供の逞しさは、環境によって育つんですね。14歳〜というのも、日本人としてのアイデンティティもすでに育っていて、かつ吸収率もまだ高い良い時期でしたね。
外国人として生きる厳しさと、海外でのネガティブな経験
田口:移住当初は想定外の展開だったということですが・・・?
Yoshiko:お世話になったシンガポール人エージェントさんが、家の手配や、学校のことなどのアフターケアが全くなかったため、現地到着後は分からないことばかりであたふたしていたことを今でも思い出します。
「ここを訪ねて」と手渡されたアドレスを頼りに出向き、そのままお世話になったのですが、そこはたくさんの人が集うシェアハウスでした。その共同施設からシンガポール生活がスタートしまして、シャワーは部屋についているものの、キッチンは共用。
部屋の扉を開けると、共同スペースには戦争で脚を失ったかたや、様々な事情で身を寄せられている各国の方がいらっしゃいました。スーパーで食事を買ってきて共同ダイニングで自分たちも食べながら、そういった方々に食べ物をシェアしたり、会話をしたりもしました。
普通の日本のエージェントさんで、こんなことは滅多にないと思いますが、この経験が後に、海外で頼れるエージェントをやっていこうと思ったきっかけとなりました。
娘はまだ若く、初めての海外生活で慣れない環境にカルチャーショックを受けていましたし、ずっとここにいるわけにはいかないと思い、その後自力で不動産エージェントを探し、引っ越しをしました。当時は、生活費は家族からの仕送りと、実家のサポートで切り盛りしていましたので余裕はなく、コスパの良い物件を探し当てました。
田口:まさにサバイバルですね。
Yoshiko:やっぱり海外で生きるって、サバイバルなんだなと思います。日本にいた時に想像していた綺麗なイメージではなく、どこに行っても、開けてみたら全くの別世界。これが私が言えることです。
一応枠組みは考えて日本を出るのだけれど、結局現地では自分の足で一歩一歩探索するしかないんです。日本だと、学校生活や私生活の中でもしっかりとした規則があり、ルーティンがあり、それに沿って生活することが多いですが、海外は驚きの連続です。
思いがけないアクシデントや、規則外のことが起きるのが日常茶飯事です。その一つひとつに対応していけるようになることも留学の醍醐味だと思います。あまり神経質すぎる生徒さんよりも、“適当”ができる生徒さんの方が順応が早いケースも多いですね。
Momoko:私も日本の中学時代は結構おてんばと言いますか、先生にも時々怒られたりしていたタイプです(笑)。中学生の時はこれといって勉強が好きだったわけではなく、バスケをやっていて体育会系でした。
当時は高校受験を考えてはいたけれど、あまり興味はなかったので、ママにシンガポールに行かない?と誘われた時、「海外って楽しそう!行ってみようかな?」と思いました。
Yoshiko:海外では、思っていたことと違うことが必ず起こります。シンガポールは親日とは言っても、習ってきた歴史やバックグラウンドにより、日本への偏見がある人も実際にはいらっしゃいます。
Momoko:当時私は、クラスに一人だけの日本人で、海外のクラスメイトたちに、戦争の歴史のことで色々と突っ込んだ質問を受けたことがあります。
日本の教育では、中学生では世界史をやらないので、第二次世界大戦での日本の行為について言及されて、何も答えられない自分がすごく悔しくて、歴史の勉強をしようと思うきっかけになりました。日本ではどういうふうに学校で教えられているのか?海外ではどうなのか?と3時間くらい意見交換したりして、お互いの国の常識の違いに驚いたこともあります。
正直、嫌なこともたくさんありました。シンガポールはアジア圏ですが、同じアジア人同士でも、国同士の価値観や文化の違いがありました。日本への偏見を感じたこともありますし、最初は英語が話せないことへの悔しさや、言い返せない虚しさ、周りから遅れをとっていることに葛藤を覚えました。
でも、わかってくれる人もいるし、わかってくれない人もいる。その悔しさをバネに英語を必死で頑張って勉強しました。
▲桃子さんは、シンガポールのインターナショナルスクールで生徒会に入り活躍も。良い経験も悪い経験も全て糧に
Yoshiko:悪い経験も含めて、留学だし、良い経験ですよね。その部分だけ親が理解していいれば、子供はなんとかなります。
自身の過酷な経験を活かして留学エージェントを立ち上げ
田口:ご自身でエージェントを立ち上げるきっかけは?
Yoshiko:私は保護者のビザで来ていたので、このままシンガポールに居続けるには、仕事をするしかない、となりました。会社を設立したらビザが降りるということを聞いて、ならば、と2017年に自分でエージェントを作りました。
▶︎AS Global Education 公式ウェブサイト
日本から留学や移住をする際に、自分たちのような大変な経験をしなくても済むエージェントを作りたいと思ったんです。最初は手探りでしたが、少しずつ口コミで広がり、最初のクライアントは、富裕層の投資家さんや金融系、IT系企業のファミリーの移住サポートがメインでしたが、最近は時代の流れで親子留学や大学留学も増えてきましたね。
▲桃子さんは、高校卒業後シンガポールのインスティチュートマネジメント大学(SIM)に入学・卒業。SIMではシンガポールで学生生活を過ごしながら、海外の大学の学位が取れる仕組みがある。桃子さんはイギリスのロンドン大学LSE(ロンドンスクールオブエコノミック)の学位を取得して、ロンドンにて卒業式。このような多様な大学があるのもシンガポールの良さ。
シンガポールで子供におすすめは「サマーキャンプ」
Yoshiko:最近おすすめなのが、短期のサマーキャンプで、これは人気です。シンガポールはオーストラリアなどと違って、インターナショナルスクールは正規留学が主流で、短期(ターム留学など)での受け入れはしていないんです。
ですが、1ヶ月以内の期間での夏休みを利用したサマーキャンプだけは可能です。シンガポールサマーキャンプには原則、親御さんの付き添いが必須となります。日本と時差もほとんどなく、近くて治安も安全で、食も美味しいシンガポールが最も適していると思います。
逆に長期留学をお考えの場合は、親子留学、単身留学が可能ですが、シンガポールのボーディングは13歳〜です。中学生〜はボーディング参加可能です。ただシンガポールではボーディングスクールが主流ではないので、各学校についているのではなく、シンガポール国内のインターナショナルスクールの生徒さんが集まる学生寮のようなイメージです。
イギリスやスイスのような、各学校に付随のものではありませんので、そこはご注意ください。その理由から、教育移住の形で、ご家族でいらっしゃる方が多いです。
サマースクールの場合は、開始の2ヶ月前に申し込みとなりますので、エージェントにはなるべく早くお問い合わせすることをお勧めします。4月から情報解禁となりますので、その前の冬あたりからエージェントに当たり始めるとよいのではないでしょうか。
サマースクールは、学習系のサマースクールと、アクティビティキャンプ(野外で遊ぶ)を組み合わせることもできます。
▶︎AS Global Education|シンガポールサマースクール2024年
桃子:親子でいらっしゃる場合に、シンガポールは、多国籍ですがアジア圏のため、お米が安くて美味しいのもポイントです。
サービスアパートメントに泊まって、ミニキッチンで自炊したりもできます。実際に海外で生活してみて困ることとして、栄養に対する概念が日本と海外ではかなり違うことが多いのですが、そこはシンガポールの嬉しい点ですね。
中・高校生以上になりますと、オーストラリアのブリスベンに関しては、現地の私立ジョン・ポールカレッジで1週間の短期留学もございますので、こちらもおすすめです。
▶︎AS Global Education|オーストラリアゴールデンウィーク2024年短期留学
留学や教育移住は、考えすぎずに飛び込んで
芳子:私が言えることは、とにかく「構えすぎないで来てほしい」ということです。
日本人って本当に真面目で、できるすぎるくらい完璧なんです。ですから、海外に出ると、必ずカルチャーショックはあると思います。日本ほど素晴らしく便利な国はありません。だからこそ、少しのことでもセンシティブになりすぎちゃう面はあると思います。私もそうでした。
ですが、一歩足を踏み出すといい意味で適当で全く違う世界が広がっています。ですから、海外でよその国にお邪魔した時に、相手の国にフィットするリスペクトや尊敬の念も、忘れてはいけないなと思います。あれもやだこれも嫌だではなく、まずは受け入れるという精神ですね。
それだけ理解していれば、あとは大きな枠組みだけ考えて、気軽にいらしてください、とお伝えしたいと思います。必ず、そこからその人の物語が始まります。完璧な理想を持ちすぎるのではなく、来たらなんとかなるんです。
知らない土地に出るということは、誰でもマイナスとか嫌なことから始まるけれど、それがゼロになって、プラスになっていく。その過程が価値なのかなと思います。
田口:力強いお言葉をありがとうございました。経験から裏打ちされる言葉が胸に刺さります。今回は、留学は、語学習得だけでなく、たくさんの豊かな経験をもたらしてくれることを身をもって証明くださる、芳子さん桃子さん親子の素敵なお話でした。
教えてくれたのは…
ホランビー芳子(Yoshiko Hollamby)
AS Global Education 取締役
大学在学中シドニーに留学経験有り。2014年母子でシンガポールに移住をし、そこで得た経験や知識を生かし、これからシンガポール留学、移住をするご家族をサポートしたいと思い、2017年に留学会社Peach Global Education Pte Ltdを設立。(現 AS Global Education) 2023年オーストラリア、ブリスベンに移住。現在はオーストラリアとシンガポールの留学、移住をサポートしている。
▶︎AS Global Education
Interview&Writing
田口まさ美
〈教育エディター〉
小学館で教育・ファッション・ビューティ関連の編集に20年以上携わり独立。現在Creative director、Brand producerとして活躍する傍ら教育編集者として本連載を担う。私立中学校に通う一人娘の母。Starflower inc.代表。Instagram▶︎@masami_taguchi_edu
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