story3 仕事の代わりはいても、家族の代わりはいない
Profile
早苗さん(37歳・仮名) 既婚・子どもひとり
職業/医療機器メーカー・広報
趣味/海外旅行、ワイナリー巡り
住まい/シンガポール(賃貸戸建)
story1 私には結婚という形が合わないのかもしれない
story2 ワインバーでMBAのことを考える
ルノアールで勉強しながらのデート7時間
「そういえば私、かつての婚約者タカシに、いつも×ばっかりつけていた気がします。いいところに星をつけるんじゃなくて、気になるところを減点してばっかりの。タカシのお母さんが悪い、タカシの理想の奥さん像が悪い、寂しがりやのタカシが悪い、あれも、これも…。あげく、タカシの話し方まで気になり出してくる。実は、そんな自分がイヤだった。タカシじゃなくて、自分のことが嫌いだった」
やがてそう気付くようになったのは、早苗が慎一郎のいいところを見つけるごとに、自分も前向きになれたから。MBAで学んだ『リーダーシップ』の講座では、会社を変えるために、またプロジェクトを運営するために、前向きに実践することを、何度も繰り返し勉強してきた。それが、いつしか早苗の頭に染み込んでいたのだ。その議論は、教室内だけでなく、食事や飲みの席でも続く。
でも、前向きな議論はまったく苦にならなかった。
「肉会グループ5人でいつものように食事に行った後、二次会にイタリアン、三次会にカラオケ、四次会ラーメン…と、これまたいつものように流れて、明け方まで飲んで食べて、議論して。みんな、それぞれの仕事の状況を話したり、励まし合っていると、あっという間に時間が過ぎるんです。このころはもう、私は慎一郎のことが好きでした。四次会のラーメンをたいらげて、みんな解散したあと、私と慎一郎は、ふたりでごく自然にバーに流れました。もう一杯飲もうかって。そう、不思議なくらい自然でしたね。
ずっと一緒にいたいなと思ったのも、ふたり同時で、付き合いたいと思ったのも同時。どちらが告白したとかじゃないんです。それからは、ふたりで一緒に勉強デートをするようになりました」
早苗と慎一郎がよく勉強デートに使っていたのが、上野のルノアール。週末は午前から集合してそれぞれブースで仕切られてる席を確保して、無言でひたすら本を読んだりレポートを書いたりしていた。長いときはコーヒーをお代わりしながら7~8時間。最長だと10時間。途中でケーキを頼んでブレイクを挟むこともあるけれど、たいていは夜の焼肉まではひたすら集中して勉強する。
忙しいながらも穏やかな生活が、ずっと続くのだと思っていた。結婚はしてもしなくてもいいような、そんな気になっていた。が、慎一郎の海外転勤辞令で事態が一変した。
家庭でもPDCAサイクルで考える
「慎一郎の勤める化粧品会社が、アジアに輸出を広めることが決まり、彼はその拠点となるシンガポールに行くことになりました。慎一郎いわく、転勤はそろそろ、と思っていたけれど、まさか海外になるとは予想していなかったみたいで。私は初め動揺しました。でも、彼の『一緒に行ってくれる?』という言葉で少し気持ちが落ち着いて」
後になってから、「あれが、プロポーズだったのか」と思うと、早苗は少しくすぐったい気持ちになる。でも、あまりに自然な流れだったので、「一緒に行きます」という返事も、ごく自然に出てきた。
辞令から1か月後、慎一郎がまず単身でシンガポールへ。その3か月後、早苗の仕事の引き継ぎと休暇の手続きが整い、シンガポールへ向かった。
「初めは、私の会社のシンガポール支社に異動ができないか、上司に相談しました。けれど、それができないとわかって、新しくできた長期休職制度を使うことにしました。休職は最長3年、ちょうど夫の海外赴任期間も3年の予定だし、ちょうどいいかなって。仕事の第一線から離れる心配は、もちろんありました。もう少し仕事を続けてから、休職を取ったほうがいいのかしら、と。でも、彼と一緒にいるうちに考えが変わってきたんです。
私の仕事を変わってくれる人はいくらでも見つかるけど、家族には代わりはきかない。だから、慎一郎と一緒にいようと。それから半年後、妊娠がわかって、あのときの決断は間違っていなかったと確信しました。仕事はまた復帰して挽回すればいい。今は、今の私にしかできないことを、やり遂げよう。妻として母として」
かつての早苗だったら、「せっかく広報に異動できたのに」「同期に遅れをとってしまいそう」と自分のことばかり考えていただろう。それも、減点方式で。でも、相手(家族)のことを考えながら加点式でする判断は、次につながる。海外生活の体験で得られること、子供が海外で育つこと、夫が新しい仕事に挑戦できること。もちろん心配になることは山ほどあるけれど、「いいところを見つける」思考ができているので、そう悪いほうにはいかない自信もついた。
「今日も検診で婦人科に行ってきました。慣れない海外での出産は不安もありますけど、病院のサポート体制がしっかりしているので、少しずつ安心に変わってきました。地下鉄の中では、若い人もお年寄りも妊婦に席を譲ってくれますし、『いい赤ちゃんを』と声をかけてくれます。こういう小さい幸せをちゃんと感じられると、仕事を休んでいる焦りや不安に襲われることはありません」仕事が忙しいながらも、慎一郎も家事をすすんでやるようになった。それは早苗がMBAで学んだ人材マネジメントのコツが、功を奏しているようだ。
「仕事に役立てようと学んだけれど、家庭でも実は役立つんです。なにか相手にやって欲しかったら、どうしてそれをやる必要があるのか、理解度に応じたやり方の説明、そして終わってからの労いやフィードバック。これができればお互い気持ちいいですから」
あれだけ、「仕事もバリバリ、結婚も子どもも」と思っていた早苗が、今は夫ともうすぐ生まれる赤ちゃんのために、仕事を中断する道を選んだ。人生は長いんだから、そのときどきで優先順位が変わってもいい。いや、どれが1番で何が2番とかじゃなくて、「どうバランスを取るか」だというのが最近の早苗の考えだ。
「仕事でいつもやっていたPDCAサイクル【※1】を回しながら、家庭内でもやっていきます」
仕事は休んでいても、考えることをやめなければいい。試行錯誤を続けながらも、そのときどきの最適なバランスを見つけることは、きっと一生続くだろう。それが楽しくて幸せだということは、早苗も慎一郎も一致している。(終わり)
【※1】PDCAサイクルとは、企業が行う一連の精算活動を、それぞれPlan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Action(改善)という観点から管理するフレームワーク。一連のサイクルが終わったら、反省点をふまえて再計画のプロセスへ入り、次期も新たなPDCAサイクルを進める。
南 ゆかり
フリーエディター・ライター。『Domani』2/3月号ではワーママ10人にインタビュー。十人十色の生き方、ぜひ読んでください! ほかに、 Cancam.jpでは「インタビュー連載/ゆとり以上バリキャリ未満の女たち」、Oggi誌面では「お金に困らない女になる!」「この人に今、これが聞きたい!」など連載中。