スタートラインに立った瞬間が私の〝じぶんのじかん〟。
どう走るか、だけに集中します
「2013年6月、23歳で引退を決めたとき、大好きだった〝走ること〟が好きじゃなくなっていました。小学校4年から陸上競技を始めて、5、6年生のときには100mで全国2位。高校時代はインタ ーハイの100mハードルで3連覇、卒業後も日本選手権で3連覇。好きなことで結果を残せて、とにかく楽しかった。
でも、怪我や摂食障害、生理不順で記録が伸び悩み、2012年のロンドン五輪を逃し、違う人生を歩んでみたいと思いました。周囲からはまだ若い、才能があるのにもったいない、などと言われました。確かに、日本国内でならまだまだ結果を残せたかもしれない。でも〝世界のトップ選手と戦えないレベルの才能ならいらない〟と、引退を決意。今思うと、かなり生意気です。当時つきあっていた夫は『勇気ある決断にしびれた!』なんて言ってくれますが(笑)。
ところが、その3か月後に2020年五輪の東京開催が決定。競技者をやめたばかりの私にしてみれば、残念な気持ちがまったくなかったかと言えば噓になりますが、それよりも東京でオリンピックが見られるなんて、というワクワクのほうが大きかったです。
引退後は上京して、大学を受験。以前から、現役を引退したら大学に行きたいと思っていたんです。結婚もして、大学に行きながらスポーツマネジメントの会社で働いていたさなか、妊娠がわかりました。
出産後、子育てをしながら大学生と社会人をやっていたとき、意外なオファーをいただきました。東京五輪の競技、7人制ラグビーへの挑戦です。
競技人口がまだ少ないこと、接触プレイがあるとはいえ、必要なのは脚力であること。違う競技ですが、私の強みをいかして戦える。しかも、舞台は東京オリンピック!やってみたい気持ちと、チーム競技ゆえに合宿が多く、当時2歳になったばかりの娘のことを思い迷う気持ちと。背中を押してくれたのは、『やらないと後悔する。母親が夢を追いかける姿を見せることは、娘にとっても絶対いいはず』という夫の言葉でした。
引退して3年強。アスリートとしての体を取り戻すのに苦労しつつも、夢中でグラウンドを走っているうちに、『やっぱり走ることが好きなんだ!』と実感。結局、入院を伴う大きな怪我をしてしまい、7人制ラグビーは2年で断念しました。でも、一度火がついた走ることへの情熱と五輪挑戦への想いは消えることがなく、陸上競技への復帰を決めました。
とはいえ、どんなに疲れていても娘と一緒にお風呂に入りたいし、散らかった部屋を見れば、片付けもしたい…。夫や義理の母の全面サポートがあるとはいえ、自分自身、変に完璧主義なところがあって。ちゃんとやらなきゃと勝手にひとりで抱え込み、アスリートと子育ての両立に苦しんだ時期もありました。
今はすっかりズボラに(笑)。全部自分でやりたい、完璧でいたい。そんなことを言っていたら、どれだけ時間があってもたりません。子育ても一緒です。子どもは思うように動いてはくれません。少しくらい埃があっても、部屋にくつ下が落ちていても気にしない。イライラしながら片付けるよりも、娘や夫と笑って過ごしたい。いい意味で、あきらめ上手になったというのでしょうか。
スタートラインに立った瞬間が、私の〝じぶんのじかん〟です。どう走るか、だけに集中します。最高のパフォーマンスを出すためには、ゆるめるところはしっかりゆるめる。これは、娘という存在がなければ、得られなかった感覚です」
陸上女子100mハードル日本記録保持者
寺田明日香
てらだ・あすか(30歳)/1990年生まれ、北海道出身。高校1年から本格的にハードルを始め、インターハイで100mハードル3連覇。社会人1年目には日本陸上競技選手権で優勝、以降3連覇。2009年世界陸上ベルリン大会に出場、アジア選手権では銀メダルを獲得。2010年アジア大会で5位入賞。2013年に現役を引退、結婚・大学進学・出産を経て2016年夏に7人制ラグビーに競技転向。2018年にラグビー選手を引退し、再び陸上競技の世界へ。2019年日本選手権では女子100mハードルで3位。同年8月には19年ぶりに日本記録と並ぶ13秒00をマーク、9月には12秒97の日本新記録を樹立。来年の東京オリンピックで日本女子短距離種目ではママアスリートとして初の決勝進出を目ざす。
Domani12/1月号「2020年→2021年〝じぶんのじかん〟、〝かぞくのじかん〟。」より
撮影/三浦憲治 ヘア&メーク/RYO(ROI) 協力/プロップス ナウ、EASE 撮影協力/ニシ・スポーツ 構成/田中美保、上阪泰幸(本誌) 再構成/WebDomani編集部