「不惑」とは40歳を指す言葉
「不惑(ふわく)」という言葉は、一般的に40歳を指すときに用いる言葉です。言葉の由来は論語にあるので、かぞえで年齢を数えていたときから使われていたと考えられるでしょう。かぞえはその年の誕生日においてなる満年齢に1を加えた数なので、「私は不惑です」と年齢について話す場合、38歳、39歳を指すこともあります。
【不惑】ふわく
1.物の考え方などに迷いのないこと。
2.《「論語」為政の「四十にして惑わず」から》40歳のこと。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「迷うことがない」の意味でも用いられる
「不惑」という言葉が年齢を指すときは、40歳、かぞえであれば満年齢は38歳、39歳を示します。しかし、「不惑」は年齢だけを指す言葉ではありません。漢字通りの意味、つまり「惑うことがない、迷うことがない」の意味でも用いることができます。
例えば、次のように使えるでしょう。
・40歳になった。孔子は40歳は【不惑】と言ったが、私は迷ってばかりだ。
・この案件に関しては、【不惑】の気持ちです。これ以上によいアイデアはないと思います。
本来の意味は「区切らない」という説も
孔子がいた紀元前6世紀ごろには、「惑」という漢字がまだなかったのではないかと言われています。そのため、本当は不惑ではなく「不或」と記され、何千年もの歴史の中で「不惑」と変化したのではという説も生まれました。
中国語の発音では「惑」も「或」も同じです。しかし、「不惑」とは迷わないことを指しますが、「不或」は区切らないことを指すので意味が異なります。
つまり、孔子は「40歳になって迷わないようになった」と言いたかったのではなく、「40歳になって物事に区切りをつけないで判断できるようになった」、「40歳で固定観念がなくなった」と伝えたかったのかもしれません。
「不惑」の類語
「不惑」といえば40歳を示す言葉ですが、「不惑」以外にも40歳を示す言葉はいくつかあります。しばしば使われることがある不惑の類語としては、次の2つを挙げられるでしょう。
・四十路
・初老
四十路
四十路(よそじ)とは40歳を示す言葉です。十路とは10年の区切りを指す言葉で、40歳ちょうどであれば四十路、30歳ちょうどであれば三十路(みそじ)、20歳ちょうどは二十路(ふたそじ)と表現できるでしょう。そのほかにも、五十路(いそじ)、六十路(むそじ)、七十路(ななそじ)と、いずれも十路をつけて、何十歳ちょうどの年齢を表現できます。
なお、四十路を40代、三十路を30代とする使い方は比較的近年のものです。辞書によっては採用しているものもあるので間違いではありませんが、元々の意味は何十歳ちょうどを意味するということは覚えておきましょう。
初老
初老(しょろう)も40歳を示す言葉です。初老には、老い始める時期もしくは老年期の始まりという意味もありますが、長寿の祝いを始める時期という意味もあります。
例えば60歳になると還暦(かんれき)の祝いをするように、かつては40歳になると初老の祝いをしたようです。現在よりは寿命が短く、若くで亡くなる人も多かったため、40歳になって老いを迎えることは、喜ばしいことと感じたのかもしれません。
「不惑」以外にも年齢を指す言葉は多い
「不惑」が40歳を指すように、年齢を示す言葉は古来多数存在してきました。「不惑」が40歳を示すことになった原典である論語には、40歳以外の年齢を指す言葉も多数記載されています。
また、論語以外を由来とする年齢を示す言葉も少なくありません。どのような言葉で年齢を示すことができるのか、また、本来の意味や読み方について見ていきましょう。